一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

句会迫る。苦界になりそう

こんにちは。旅するおやじ旅生です。

今月も句会が近づいてきた。そろそろ俳句の調子を上げないと、このまま低迷が当たり前になりそうで危機感を感じている。

主宰者が投げ掛けたテーマは建国記念日

む、む、難しい。今までトライしたことのない堅苦しい季語。建国祭、紀元節でもいいみたいだ。幸いなことに年明け以来、神話に興味を持っている。ただなぁ、どうやって読み込む。

歳時記を見ると広々とした作品が多い。例えば、

 

むらさきの山河建国記念の日  井上弘

 

とりあえず短くて使いやすそうな建国祭で作ってみる。

 

稜線の長々青く建国祭

稜線は青き筆跡建国祭

建国祭海を見ている記念塔

 

うわ、下手。独善的。

ちなみに、いずれも正月に宮崎を巡った際のイメージ。記念塔とは平和記念塔、昔の八紘一宇の塔である。太平洋が遠くに見えた。

宮崎の空は広くて青く、山並みもくっきりとしている。青き筆跡はそのあたりを表現したかったが、できてなさそう。どうしても説明になり、詩情がなくなる。やはり下手。

結局、3番目の句を出すことに。

 

句会には5作品が必要だが、あとは雑詠にする。

 

集会所のあかりは戻り宵の春

落椿茅屋解かれはや五年

湯治場の隅の隅まで日脚伸ぶ

菩薩像まろやかな眉春浅し

 

集会所の句はコロナが一段落して、閉鎖されていた公民館の再開を詠んだ。

落椿は熊本地震から5年がたったのを詠んだ。

3句目はそのまま。4句目は以前書いた中宮寺展の半跏思惟像を見て。

俳句素人の妻に読ませたら、「きれいな言葉で飾ろうとする悪い癖が出ている」と厳しい言葉。

すごく下手なんだと思う。でも下手かどうかさえ自分で分からない。

いわば音痴だ。俳句音痴。

やがて結果が出るので、またこのブログでお知らせしたい。自虐趣味満載だ。

やはり旅生は、文字でアウトプットできないタイプなのかもしれない。ブログの読者は相変わらず少ない。自分で「やれる」と思っても、とんでもない勘違い、なんてことは多いものだ。

なんだか暗いブログになった。

 

 

 

 

 

半跏思惟像のまろやかな眉

こんにちは。旅するおやじ旅生です。

九州国立博物館(福岡県太宰府市)に中宮寺の国宝展を見に行った。久々の特別展なので相当の混雑かと思いきや、割と空いていてゆっくり観覧できた。

 写真のパネルに載っているのが国宝の菩薩半跏思惟像。この仏様が今回の目玉である。

f:id:noaema1963:20210213221039j:image

ちなみに中宮寺は、法隆寺奈良県)のすぐ裏手にある飛鳥時代創建の尼寺。「聖徳太子建立七寺」の一つとされているが確証はないようで、日本書紀にもこの寺についての記載はないらしい(Wikipediaによる)。展覧会には、菩薩半跏思惟像(飛鳥時代作)と天寿国繡帳(聖徳太子が往生した「天寿国」を表した刺繍)の両国宝が出品されている。

で、菩薩半跏思惟像。展覧会の最後に広々としたスペースがつくられ、この仏像一点だけ鎮座している。「前から後ろから、好きなだけじっくり鑑賞して」という学芸員の意志が伝わる。何しろ飛鳥時代の最高傑作の一つ。アルカイックスマイル。

第一印象は「予想以上に真っ黒」。写真で見た時は「光の具合で黒っぽく写っているのだろう」と思い込んでいた。でも実物は、漆で塗られていて本当に真っ黒なのだ。もともとは肌色であったらしい。足の裏の一部にその色が残っている。誰がいつ頃、どういう理由で漆で塗り固めたのだろう。

でもその黒々とした光沢が、この仏像の気品をより以上に発散させている。

 

思惟像のまろやかな眉春浅し

 

横顔をじっと見ていたら上の句が浮かんだ。そして「確かにこんな感じの女性がいるなぁ」と思った(旅生には縁がなかったが)。飛鳥時代の仏像はいずれも大陸風の固さや荒っぽさを孕んでいるが、この仏像にはそんな感じがない。仏教伝来から100年で、早くも日本人は独自性を編み出したということだろう。

奈良時代以降のドーンと重心の低い仏像ではなく、横から見ると、どこか軽々とした感じがする。右脚を組んだ少し前屈みの姿勢がそう見せるのだろう。

鑑賞している人々にも目がいく。慈悲深げな仏様に見惚れるマスク姿の女性たち。「日本人女性は目眉が美しいなあ」と改めて感慨にふける。「挙動不審なオヤジがいる」と怪しまれそうなので、適当に切り上げた。

せっかくなので隣接する太宰府天満宮に参拝した。

 

本殿前の飛梅が咲き始めていた。菅原道真大宰府に左遷された時、京都の屋敷内で大切にされていた梅が一夜のうちに飛んできたーというのが飛梅の伝説である。

境内ではたくさんの梅の花が咲いていた。もちろん梅ヶ枝餅も食べた。太宰府天満宮に参ったからには欠かせない。境内や参道にたくさんの店が並び、ネットでは「あの店のがうまい。この店はよくない」など結構話題になっているがる、旅生からすると「どこの店のもうまい。そんなに差はない」。

それにしても、コロナの影響で中国語や韓国語をまったく耳にしなくなった。20年前の観光地に戻ったような感じだ。ちょっと耳にした関西弁に「ヘェ、関西から来たんだ」と感じたあたり、日本人の行動範囲が急激に狭まっていることに自分ながら驚く。
f:id:noaema1963:20210213221044j:image
f:id:noaema1963:20210213221030j:image

境内の心字池のほとりに室町時代の小さな社もあり、国重要文化財に指定されていた。さすがに大宰府である。クスの古木も多い。幹から草が生えていて、仙人の髭を思わせる。
f:id:noaema1963:20210213221050j:image

帰りに近くの花立山温泉に立ち寄る。温泉の質抜群。10年ぶりくらいに来た。

夕日が温泉場の奥深くまで照らしていた。

 

湯治場の隅の隅まで日脚伸ぶ

 

といった感じの句が浮かんだ。風呂上り、外に出るとちょうど日が沈んだ。
f:id:noaema1963:20210213221022j:image
f:id:noaema1963:20210213221034j:image
f:id:noaema1963:20210213221026j:image

晴れてるけど寒そうな空

こんにちは。旅するおやじ旅生です。

温暖化の影響か最近、2月になるとすぐ春になる。寒いのは年末年始のほんの一時期。寒さ好きの旅生としてはつまらん。

で、気分だけでも真冬に戻りたく、晴れてるけど寒そうな空の写真をアップした。

まずは熊本の南阿蘇村。水車が凍り付いていた。1月末。

f:id:noaema1963:20210212221346j:image

宮崎の西都原古墳群。1月3日の冷たそうな朝日。

f:id:noaema1963:20210212221358j:image

昨年末の寒波に凍える熊本城。なんだか行儀良し。
f:id:noaema1963:20210212221333j:image

宮崎の高千穂。昨年12月。九州とはいえ気温3度。空が近い。

高千穂から阿蘇外輪山一帯は九州で一番寒い場所とされる。先日は阿蘇カルデラ内の高森町で氷点下10度を下回った。すごい。やったね、である。
f:id:noaema1963:20210212221341j:image

2年前の1月の弘前城。雪が降り止み一気に晴れた。氷点下。積雪70センチだった。この上なく贅沢な旅気分。
f:id:noaema1963:20210212221403j:image

同じ日の午後。五所川原あたりを3枚。高倉健の雰囲気に浸れる。この付近、とても好きです。
f:id:noaema1963:20210212221338j:image
f:id:noaema1963:20210212221350j:image
f:id:noaema1963:20210212221354j:image

再び熊本の南阿蘇村、見晴台駅午後の紅茶のCM舞台となった。上白石萌歌が出演。すごく絵になる場所である。訪れる人多し。お勧め。
f:id:noaema1963:20210212221407j:image

最近、文章を書く気が低迷。俳句はさらに低迷。20日は句会なのだが。苦会になりそうだ。

それにしても暖かい日が続く。あすなど熊本では20度まで上がるらしい。

霧島は神話の里。空が美しかった

こんにちは。旅するおやじ旅生です。

妻と2匹のトイプードルを連れて霧島へ日帰りドライブ。コロナ対策としてほぼ人がいない所ばかりを訪ねる。

f:id:noaema1963:20210206204836j:image

えびの市の川内川河川敷から。雲がいい感じ。
f:id:noaema1963:20210206204839j:image

2匹のトイプードルは久々のお出かけで楽しそう。
f:id:noaema1963:20210206204832j:image

紅梅が咲き始めていた。
f:id:noaema1963:20210206204816j:image

えびの市から霧島を目指す。途中の展望台から熊本県方面を望む。
f:id:noaema1963:20210206204821j:image

霧島を南へ縦断し、霧島神宮。祭神はニニギノミコト。ひむかのタカチホノミネに天孫降臨した神様。高千穂町と並び、この地域も天孫降臨の地であるとアピールしている。
f:id:noaema1963:20210206204828j:image

御神木が見事。
f:id:noaema1963:20210206204825j:image

島津氏が江戸期に建てた拝殿などは国重要文化財
f:id:noaema1963:20210206204813j:image

高千穂峰の麓にある御池の夕暮れ。神話の里らしく神々しい。

長い長い旅をするには

f:id:noaema1963:20210201212345j:image

こんにちは。旅するおやじ旅生です。

退職後、セカンドステージは旅を住処とするつもりである。これは以前書いたので読んで欲しい。

noaema1963.hatenablog.com

 車中泊をしながら長い長い旅ができるよう愛車プリウスαの車内環境を整えているわけだが、実際に車中泊をしてみていくつか見えてきたことがある。

(1)プリウスαでは長期間の車中泊ではやはり難しいようだ。

(2)長期間の車中泊(バンライフというらしい)にはバリバリのキャンピングカーか、ハイエースを改造したキャンピングカーくらいの大きさが必要なようだ。

(3)しかし新車で購入すれば400万円〜1000万円かかる。

(4)コロナの影響でキャンピングカーはバカ売れしており、納車までは1〜2年かかる。

 

まずは(1)。1番の理由は後部をフルフラット(に近い状態)にした場合、寝ている時はいいが、いざ体を起こすとなると天井が低すぎて座れない。

そのため就寝する時のほかは、ほぼ運転席に座っている状況になる。自分の体が車の一部になっているような気になる。

1月初旬に車中泊の宮崎旅行をしたが、午後6時以降、読書灯もない車内環境においては運転席に座り、暗い車内でナビに映るテレビ番組をひたすら見るか、スマホをいじくり回すしかなくなった。宮崎市郊外にある道の駅高岡。もちろんエンジンかけっぱなし。

とにかく夜が長く感じた。午後9時の段階で「今から高速道路を飛ばせば今日中に熊本まで帰り着くなぁ」と弱気になったが、「いやいやこれは一つの実験なのだ。車中泊一人旅がどんなものか思い知らねばならない」と我慢した。まったく、修行僧か。

で、強く思った。長期間の車中泊には「高さ」そしてたくさんの荷物を置ける「広さ」が必要だ。この二つがあれば知恵と工夫で車内環境を快適にすることは可能である。

さらに精神面で学んだこと。車中泊は「なんだか嫌になる(気分が膿んでしまう)」ことが大敵なのではないか。これは結構な確率で陥るブラックホールなのでは、と感じた。さらにアイドリングを続けていると、思いの外、ガソリンを消費してしまうことも知った。

そこで考えが至ったのが(2)だ。

で、ここ最近、精力的に車中泊やキャンピングカーについてYouTubeで情報を集めている。

結構いるんですね、この分野のYouTuber。中でも高品質の動画作ってるなぁと感心させられたのが「クーピーチャンネル」。42歳の男性(妻は18歳年下)が軽キャンピングカーを購入して、いろんな場所で車中泊したり、新たに改造を加えたりする。男性の嫌味のなさ、器用さ、発想の豊かさがいい。奥さんとの仲の良さも見ていて気持ちいい。なので結構な回数見てしまった。思わず軽キャンピングカーを購入しようかと思ったが、軽キャンピングカーを専門としているある業者が「1〜2泊の旅をイメージしている」と言っていたので思いとどまる。

ただYouTubeではどうしてもつかめない部分もあるので、今も書いた通り、先週あたりから専門業者巡りを始めた。

まだ初心者なので専門用語がわからない。本来なら用語一言で言い表せる事柄を「こんな作り、あんな作り、こんな車」とまどろっこしく説明しなければならず、結構苦労している。

そんなこんなで(3)(4)に行き着いた。

3店舗を回り、それまでのYouTubeでの知識を合わせたところ、今は「いわゆる本格的なキャンピングカー」(多分一言で言い表せる用語があるはず)、「ハイエースをベースにした外見は商用車のキャンピングカー(でいいのかな?)」(これも用語があるのでは)、「エブリイなどをベースにした軽キャンピングカー」が三つの主流なのかなと思っている。

実用性を最も大事にして外見上のアピールを嫌う旅生としては、いま現在、ハイエース改造型が一番自分に適しているかな、と感じている。それも徹底した改造ではなく最低限の改造(後を広〜いフルフラットにできて、テーブルも設置できて、読書灯が灯せて)。それでも納車に至るまでには450万円程度はかかると言う。

でもそんなにかかるんだったら、以前乗っていた「ボクシー」のような「車中泊に適している」と高評価を受けている車を購入して、自分の工夫で「できるしこ」(「できる範囲で」の意味の熊本弁)車内環境を整えたがいいのでは、とも思ってしまう。それだったら300万円もかからない。ちなみにボクシーは取り回しが楽で大変いい感じの車でした。その前の「デリカ」も好きだった。車高の高い車が好きなようだ、自分は。

話はそれるが、妻と先日行った専門店では、本格的なキャンピングカー(あ〜面倒臭い表現)に妻が興味を示したものだから、お店の人が俄然勢いづいてそちらを勧めてきた。商売してるんだからそうなることは分かるのだが、「あ〜、妻の方が実権握ってるって思ってるのかな。見るからにそんな感じなのかなぁ」といつものごとく疑心暗鬼に陥ったのであった。そうだな、あの店は外そうかな。

しばらくはキャンピングカーのことばかり考えそうです。

 

俳句の聖地江津湖 片道1キロの旅

こんにちは。旅するおやじ旅生です。

江津湖という小さな湖が熊本市の東南部にある。おそらく熊本県外でご存知の方はごくごく少数であろう。しかしながら水前寺成趣園から流れてくる水は清冽で、遠くに金峰山阿蘇の山並みが望み、熊本市民にとってまさにオアシス。江戸時代から細川藩士らが舟遊びをするなど歴史もある。

今日も3月並みの陽光。まとまった休みが取れたもののコロナでどこにも行けない旅生は「江津湖はブログにふさわしい場所ではないか」と今頃気付き、早速、片道1キロの旅に出た。

f:id:noaema1963:20210128174638j:image
f:id:noaema1963:20210128174659j:image

この江津湖は俳句の聖地ではないかと個人的には思っている。すごくたくさんの句碑がある。

何しろ湖畔では昭和を代表する女流俳人中村汀女(1900〜1988年)が生まれている。

今書いていて知ったが、旅生が社会人になった時、汀女はまだ存命だった。そう言われれば生まれた年が旅生の祖父と一緒である。そんなに近い(?)年代の人だったのか。もっと前の時代の人(例えば夏目漱石)かと思っていた。

少し詳しく書くと、汀女は江津湖付近の大地主である斉藤家の出身(今も江津湖には斉藤家が架けた斉藤橋がある)。女学生の頃から地元新聞の文芸欄に投稿を繰り返し、熊本の文芸界で名を知られ、マドンナ的な存在だったようだ。文芸とはまったく無縁の旅生の両親でさえ、「中村汀女さんな相当な美人だったもんなぁ」と言っていた。

大正10年に同郷の大蔵官僚と結婚後、熊本を離れて全国を転々とする。昭和初期には日本を代表する女流俳人となり、星野立子、橋本多佳子、三橋鷹女と共に4Tと言われたそうな。
f:id:noaema1963:20210128174704j:image

とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな     汀女

 

柔らかで素朴で、ホトトギスの同人らしい作品に思える。汀女はまた、主婦らしい視線の句が多い。江津湖に句碑はないが、これも代表的な句。

咳の子のなぞなぞあそびきりもなや     汀女

 

「そうそう、風邪で学校休んでる時の子供ってこんな感じなんだよな」と思わず共感するが、とても自分では作れそうにない。いやいやいつの日か。

別の俳人の作品だが、やはり風邪の子供を読んだ、旅生の好きな句がある。

何をきいても風邪の子のかぶりふり    小路智壽子

 

我が子がまだ小さかった20年くらい前を思い出す。あの頃、子供はホントに小さく無力で愛おしかったなぁ。でもほとんど誰の手も借りずに子育てをしていた妻はかなり大変だったことだろう。今となって分かるのだが。

いかんいかん、また遠くを見る目になっていた。江津湖を散策しているとそんないろんなことが思い出されるのだ。

ただ熊本市中心部に近い場所にあるので、職場の同僚や仕事関係者を見掛けることも多い。そうするとぐ〜んとテンションが下がる。地元でのリフレッシュの難しいところである。
f:id:noaema1963:20210128174648j:image

夏目漱石の句碑もあった。漱石は五高教師として4年間、熊本に滞在している。

ふるひ寄せて白魚崩れん許(ばかり)なり      漱石

 

やはり男性の句だなぁと思う。

ちなみに熊本時代の漱石はこれを読んでください。

noaema1963.hatenablog.com

 

写真はないが高浜虚子の句碑も。

縦横に水の流れや芭蕉林           虚子

 

この芭蕉林は今も残っており、そのすぐ近くにこの句碑が建てられている。下の写真が芭蕉林。冬場の枯れた芭蕉の木々は、年老いた象の列を思わせる。風にゆらゆらと揺れて、なんとも言えない雰囲気を醸し出している。

f:id:noaema1963:20210128225600j:image

f:id:noaema1963:20210128174643j:image

芭蕉林の近くには、江津湖の一部を水遊び場にしているエリアがあるが、真ん中に写っている遊具の白い象は、私が水遊びしていた50年前から存在している。設置した人は旅生と同様、冬の芭蕉林から着想を得たのだろうか。

いやいやそれはあり得んだろう。

 

椿と山茶花

f:id:noaema1963:20210127132322j:image
こんにちは。旅するおやじ旅生です。

俳句を作るようになって、それまでほぼほぼ無関心だった花々に俄然興味が向けられるようになった。

特に椿に惹かれる。上の写真は宮崎県の高鍋城跡で撮影した。武家と椿はによく似合う。ただ俳句においては「近過ぎ」るので、一緒に歌い込むと一見良さそうだが、よくあるパターン(いわゆる月並み)に陥ってしまう。

以前、熊本市内にある細川家の墓所に行ったら、ガラシャ細川忠興の妻で明智光秀の娘。大河ドラマでは芦田愛菜ちゃんが演じてる)の墓に椿が一輪添えてあった。見事なマッチング。その記憶で俳句を作り句会に出したが評価はイマイチ。単純に俳句の出来が悪かったんでしょうが‥。
f:id:noaema1963:20210127132311j:image

今日は、熊本の街並みが見渡せる熊本市西部の山道を歩いた。あちこちに山茶花が咲き、椿も時折見られた。

旅生のイメージでは、椿は気品があり、山茶花はにぎやかで庶民的。ただ句作を始めた頃は椿と山茶花の違いさえ分からなかった。

やがて、椿は花ごとぽろりと落ちるが山茶花は花びら単位で散ることを知り、区別がつくようになった。お恥ずかしい限りである。

椿は散った後が少しぐちゃぐちゃした感じになるが、山茶花は散った花びらが満遍なく敷かれたような風情がなんともいい。

f:id:noaema1963:20210127132319j:image

f:id:noaema1963:20210127141144j:image

ちなみに上の写真が椿、下の写真が山茶花の散った様子である。
f:id:noaema1963:20210127132308j:image

小さな竹林もあり、冬空に見事に映えていた。それにしても一月末にしては気温高過ぎ。午後2時現在17度である。これでは3月だ。ここ数年の熊本は2月に入った途端に春本番を迎え、5月には夏本番になる。これでは陰暦通りである。
f:id:noaema1963:20210127132325j:image

梅の花につぼみがたくさんついていた。半月もすれば満開だろう。

子供の頃、家の近くに大きな梅林があり、その中の砂利道を通って小学校に通った。だから梅の花が今でも大好きで愛着がある。

f:id:noaema1963:20210127140754j:image

山道から熊本城と阿蘇山が一緒に見えた。