一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

思い出の紅梅荘をまた訪ねたい

同じ場所を懲りずに何度も訪ねる旅を、時々やってしまう。

言うならば思い出の地巡り、あるいは聖地巡礼とでも言おうか。

東京では中野区鷺宮がそうだ。そこは大学時代、3年半住んでいた場所。別にそこで彼女と同棲していたとか、連日仲間が集まってわいわいやったりとか、そんなにぎやかな思い出があるわけではない。もっとずーっと地味だった。ほかの人たちが見れば、随分面白みのない学生時代だと笑われるくらい、静かな暮らしだった。

西武新宿線鷺宮駅に近い若宮3丁目。さすがにその下の番地は忘れた。紅梅荘という名のモルタル2階建ての中途半端に古いアパートだった。社会人になっても出張で時間が空いた時、家族を連れてディズニーランドに行った帰り道、中野新橋のアパートに住んでいた娘たちを訪ねた後、時間に余裕があれば訪ねた。私が30代半ば頃までは当時のままの姿で建っていた。まだ幼稚園児くらいの娘たちが一緒に写り込んだ紅梅荘の写真もアルバムに残っている。

いま、紅梅荘はマンションになっている。3階建てのマンションだ。おそらく、以前はなかった風呂もしっかり完備された学生用マンションなのだろう。

紅梅荘のアパートの一室(確か106号だった)で学生時代の私はなにをしていたか。本を読んだり楽器を弾いたりしていた。村上春樹がデビューしたてだった。屋内アンテナで映りの悪い16型ブラウン管で始まってまだ間もない「笑っていいとも」や「オールナイトフジ」を見ていた。「夕焼けにゃんにゃん」も話題になり始めたが、これは全く興味がなかった。友人は限られた数しかいなかったので、あまり人が部屋に遊びに来ることはなかった。だから散らかし放題だった。冷房もなければ風呂もなかった。夏場は大変だっただろうが、不思議とその記憶はない。記憶にあるのは10月初旬、部屋を吹き抜けるさわやかな風だ。ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」がラジオから流れていたのが強烈に脳裏に刻まれている。顔だけ冷たくて目を覚ました冬の朝も覚えている。すごく仲が良かった青森出身の先輩が遊びに来て、ベッドの掛け布団の上に毛布をかけているのを見て、「毛布は中に入れたがあったかいぞ」と語ったのも面白い思い出だ。それくらい九州出身者にも分かっていたのだが。

 1人で明け方まで起きていることもしばしばで、西武線の始発の電車の音を遠くに聞いて眠りにつくことも多かった。

 こんな変化に乏しい暮らしだったが、なぜだか珠玉の思い出として大事にしている。どこか孤独感がこびりついていたせいか、いろんなことを自分の頭で考えた時期だった。

 今、単身赴任で、あの頃以来、久しぶりの1人暮らしをしている。「アローン・アゲイン」なのである。娘が最近結婚して、鷺宮から中杉通りを南に行った阿佐谷に住んでいる。いつか分からないが今度訪ねた時には、ぜひ紅梅荘を見に行きたい。