一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

世界遺産と日本遺産を考える

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球磨郡山江村の山田大王神社


世界遺産も年を追うごとに、指定される場所が地味になってきているような‥。

他の国のことはよく分からないが、日本人はかなりの世界遺産好きなのではないかと思う。訪ねるのも、指定されるのも大好きだ。20世紀に指定された屋久島とか姫路城などは納得できるが、石見銀山あたりから次第に疑問を持ち出した人も多くなったのではないか。

私が住む九州熊本も、明治の近代化遺産として荒尾市万田坑宇城市三角西港が指定され、天草市の崎津地区は潜伏キリシタン関連遺産になった。確かに貴重ではあるし、指定されて嬉しいが、どうしても指定基準が欧米の視点を重視しているように思うのだが、いかがなもんだろうか。極東の日本人が頑張って西洋に追い付きました、西洋人が支えとする宗教を大切にしてくれました、という思いが潜んでいるような。

例えば、関が原や田原坂などの戦跡地は日本人にとって大事な場所だが、世界遺産になることは、まずないだろう。西洋にとって何の意味も影響もないからだ。基本的には世界遺産は西洋が納得するストーリーがあるか否か。

ところで日本遺産というのもある。指定地が年々増えており、全国の自治体の観光課は指定を勝ち得るのに一生懸命だ。これもストーリー重視。熊本では人吉球磨地域の700年に及ぶ相良文化と、菊池川流域の古代以来の文化で指定を受けた。こちらは日本独自の感覚なので、すとんと胸に落ちる。

今年9月、久しぶりに人吉球磨を巡った。中世の香りがこれほど濃厚な地域は日本各地を見回してもそう多くない。茅葺の神社仏閣が多く、隠れ里らしい。国重要文化財に指定された平安期から鎌倉期の仏像があちこちに点在する。青井阿蘇神社の楼門は国宝だ。江戸末期まで統治した相良氏の石高はわずか2万石程度だったが、なかなかの歴史的遺産がいまもしっかりと引き継がれている。隠れ里ゆえのタイムカプセルなのかもしれない。

世界遺産がこれからあまり増えることはないだろう。一段落している感じだ。ある程度のところでやめとかないと、さすがにまずいように思うのは、私だけではあるまい。