一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

旅費はすっかり安くなった

旅費について。

前にも書いたかもしれないが、旅費は削るだけ削って、その分、旅に出てる回数をなるべく増やすよう涙ぐましい努力を続けてきたし、今後もそうしようと思う。

大学時代以降を思い出してみると、私が大学生だった1980年代は、北海道、東北、信州、九州など地域別に限定した「ワイド周遊券」というのが存在した。貧乏旅行にはぴったり。ずいぶんお世話になった。エリア内は特急含め全列車乗り放題。当時は国鉄だったが、特に北海道をみた場合、いまより路線はずっと多く、列車の便数も今の倍くらいあったのではなかろうか。

もちろん、当時から既に列車の利用客の減少が叫ばれてはいたが、まだ全盛時代の体制が維持され、路線廃止も始まる前だったように記憶している。

謡曲にまで歌われた「幸福駅」があった広尾線(帯広〜広尾)は、私が北海道を巡った1985年の夏はまだ存在し、その2年後に廃線となった。この辺りから北海道各地の路線が廃止された。今、時刻表で路線図を見ると、80年代に記憶した路線図とのあまりの違いに、愕然としてしまうのである。

ところで北海道ワイド周遊券の値段だが、東京発着で5万円はしなかったはずだ。おまけに北海道に入るまで(当時は青函連絡船だった)は、急行列車ならば乗車券も急行券も不要。「八甲田」など東京〜青森の急行列車が結構な数走っていたので、それに乗った。思えば旅好きには幸せな時代だった。ちなみに現在、北海道ではJR北海道周遊券を販売してはいるが、既に書いた通り、列車の路線も便数も少ない。

全国で新幹線整備が進み、移動時間は早くなったが、何しろ運賃が高い。

全国のJR各社の思いはこんな感じではないか。「地元のお年取りや学生の通学のため最低限の便数は走らせますが、貧乏旅行の学生さんの相手までできしまへんわ。我々もボランティアで列車走らせとるんと違いますからな」(なぜだか関西弁。関西の方々すいません)。だから今はどこに行っても新幹線と普通列車ばかりになった。世知辛いといえば世知辛いが、なるべくしてなった結果だろう。仕方ないところだ。

話がぐっとそれた。70年代の空気を引きずった80年代の前〜中盤を過ぎ、やがてバブル期に。旅行代金はかなり高騰していたように思う。

私は1991年に結婚して、新婚旅行は当時人気のスペインだった。結婚披露宴も新婚旅行も一番派手な時代だった。添乗員付きのツアーで、ホテルはB級が多かったが、一人の旅費は50万円近くした。バルセロナ→アンダルシア→マドリッドとめぐる6泊8日だったと思う。同じツアーだったら今、どのくらいの価格だろうか。おそらく40万円はしないだろう。この時の旅行の様子は以下の記事を。

 

noaema1963.hatenablog.com

 その後、海外旅行を含め長距離の旅行費用はどんどん安くなっていったように思う。もちろん旅のパターンも変わってきた。「大名旅行」の需要が減り、自由度が高いフリーツアーで海外を楽しむ人々も増えたことだろう。そうなると航空機チケットとホテルだけ確保すれば、あとはなんとかなる。ホテルに至っては初日だけ予約しておけば、あとは現地に着いてみて都合がいい場所のホテルを観光案内所で見つければいい。このあたりは海外の案内所の方が迅速に対応してくれるイメージがあるが、ネット情報が溢れている今、国内も国外も関係ないかな。

それにしても、貧乏旅行がやりやすかった80年代、学生たちの気質も違った気がする。モラトリアム期間という思いが強く、無頼を気取って全く学校に顔出さなかったり、海外を放浪したり、留年を繰り返したり(サークルの先輩に8年生がいた)、そんな学生が多かった。酒飲んで大時代的なエロっぽい歌を大声で歌ったりして。そんなのがどうにか許された最後の世代だったのかもしれない。その一方で軽さを売りとするテニスサークルが全盛で、近づくバブル期の序曲だったような感じさえする。

思えば、今の若者たちの方がずーっと現実的だし、社会を組み立てていく力とでも言おうか、そんな「しっかり度」は確かなものがあると思う。ふわふわチャラチャラしていない(訳のわからんリーゼント姿のヤンキーなどあまり見かけないし)。

まぁ、80年代までは時代が若者に寛容だったのかもしれない。

今は寛容さにかけるもんなぁ。逆に見れば、社会がよりきちんとなってきたということだが。息苦しいのは息苦しい。ただ、60年代も70年代も80年代も、いつも日本人は「息苦しい」と言い続けてきているはずだ。私など、「息苦しい」という言葉こそ使っていないが、結局のところほぼ同義語である「嫌になる」とか「やってられない」とか「インチキくさい」とか言い続けてきた訳なのである。「息苦しさ」あっての旅であり文芸なのだろう。