一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

三密を避けるべく山道を一人歩く

古代寺院というと奈良や大和をイメージしがちだが、実は熊本にも寺院跡が。

熊本市の西部に、市民から金峰山(665メートル)という呼称で親しまれている山がある。南北20キロほどの山塊を形成しており、ネットで調べたところ、この山塊全体を「金峰山」と呼んでいいらしい。主峰は、正確には一の岳。休火山らしい。周囲を取り囲むように聳える二の岳、三の岳、荒尾山は、なんと一の岳の外輪山になるとか。熊本に50年以上住んでいて、今初めて知った。阿蘇山より古い時代の火山なのである。

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その南麓というか、南部外輪山の中腹に池辺寺という古代寺院の跡がある。伝承でしかなかった古代の遺跡跡が発掘されてやがて30年。新聞やテレビを騒がせたのは、ちょうど私が就職して数年経った頃だった。

遅ればせながら初めて訪ねてみた。もともと、人が少ないエリアを散歩してみようと思い立った外出。若葉を楽しむため金峰山方面に進んだところ、池辺寺の麓にある住宅街に「国史跡池辺寺 2キロ」と書かれた看板を発見。「そうか、今や国史跡か。ちょいと行ってみるか」と山道に車を進める。ただ現地まで車で行ったら当初の目的が達せられない。そこで住宅地を過ぎたあたりの空き地に車をとめて歩くことに。

この日は前夜から朝にかけ雨が降り、おまけに南から暖かい風が入った影響で、6月初旬の晴れ間のような天気だった。湿度が高く、その分、若葉や草花の香りが強い。自然の生命力が一気に高まった感じである。その中を気分良く歩く。右手には市街地のビル群。阿蘇の山並みは霞んで見えない。

誰もいないのをいいことに、胸ポケットにスマホを入れ、イヤホンなしでエレファントカシマシを聞いて歩く。ボーカルの宮本浩次が最近、ソロ活動を展開している。宮本の思いはよく分かるが、やはりエレカシの宮本の方が好きだ。もしかしたら演奏の技量はソロの際のメンバーの方が上なのかもしれない。ただ宮本の荒さ、弱さ、太さ、細さの表現力はエレカシの方が優っている。保守的なファンの贔屓目かもしれないが。

山道のまんま史跡に到着するのかと思いきや、山道はやがて「平」という集落に入った。集落の入り口に道路整備記念碑。昭和8年に建てられたもので、「この集落は、はるか昔からこの地にあったが、時代の変化により道路の建設が必要となった。そこで村の有志が出資して麓から平集落への道路を整備した」といったようなことが記されていた。距離にしたらわずか2キロ程度の道路だが、どこか隔絶された感じのするこの山里にとって、大事業だったことだろう。

集落はこの記念碑から西側、昭和8年開削のこの道路を中心に、東西500メートル、南北300メートルほどの盆地に広がっている。周囲の山々から鶯の鳴き声が絶え間なく響き渡る。鶯の声は大きく、里の主役と言わんばかりだ。集落の人口はどのくらいだろうか。2〜300人か。廃屋などあまり見当たらず、なんとなく賑やかさがある。農作業や庭仕事をする人の姿が目立つ。柿若葉がキラキラしている。名を知らない花でいっぱいの家がある。途中の自販機でジュースを買っていたら、30代くらいの女性から頭を下げられた。恥ずかしいのでエレカシを切ったのは言うまでもない。この集落、市街地からごく近いが、桃源郷のようである。

やがて池辺寺に到着。教育委員会が設置した詳細なパネルが休憩スペースに展示してある。

その横にはトイレ。国史跡だけあって綺麗に清掃されている。長期休暇になると割と便秘気味になるのだが、程よく歩いたので、いい具合に便意が。すっきり思う存分に用を足してパネルを読んでみた。

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簡単にまとめると、この地に池辺寺が創建されたのは奈良時代初頭。当初は法相宗の寺院だったが、平安に入り、天台宗の寺院として再興。しかし間も無く火事で焼け、池辺寺は別の場所に移転する。地元には伝説だけが残り、考古学関係者も以前から「どうも当初の池辺寺はあの辺りだったようだ」と推測。昭和の終わり頃から発掘作業に取り組んだところ、100基の石塔、本堂建物、階段などの遺構群が確認されたのである。平安期の寺院の遺構は極めて数が少ないため、池辺寺の学術的価値は相当なものだとか。通常は同じ場所で建て替えが続くので、オリジナルに近い形を確認できるのは、確かにすごい。

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遺構は綺麗に保存・整備され、本堂建物を復元した模型も展示されている。石塔はもともとの形が出来る限りわかるよう、しかし原型を無くしてしまわないよう、論議を重ねた末の保存整備なのだろうことがよく分かる。

それにしてもこの古代寺院で、どんな僧侶たちがどんな暮らしをしていたのか、イメージが膨らんで楽しい。また池辺寺の前に広がる平集落はいつ頃からあるのか。そんなこと考えて帰路を急いでいたら、この集落が妙に雅に見えてきた。

 

平安の寺院の礎石春深し

 

平凡。俳句くらいは自由になりたいものである。