一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

旧薩摩街道を自転車でたどる その1

梅雨の中休みとなった6月20日土曜日。薄曇り、風もない。それなら自転車に乗ろう、と朝起きて思い立つ。朝刊を読むと、なんとつい先日まで勤務していた八代市の石橋群が日本遺産に認定されているではないか。めでたい。それならばお祝いの意味も込めて八代に行かねばと即決する。久しぶりに旧薩摩街道を走ってみることに。

車に自転車を積んで、宇城市イオンモール宇城へ。映画館もあり、八代時代は何かと通ったものである。広い駐車場があるので、ここに数時間駐車させてもらう。

俳人長谷川櫂さんの実家を発見

このモールがあるあたり、平成の広域合併前は小川町という古い町だった。不知火海九州山地をつなぐ商業の町として、旧薩摩街道の宿場町として、近世以来栄えてきた。だから今でも江戸・明治の香りがどことなく残っている。

人通りの少ない町並みを抜けていると、この町出身である俳人長谷川櫂さんの実家を発見。長谷川製糸という大正時代から続く蔵造りの家のご子息でがあり、案内板にも長谷川さんのことが紹介されている。

長谷川さんは現在60代半ば。東大卒業後、読売新聞記者を経て、俳人になられた。ダイナミックで輝きの強い作品が多いと私は思っている。俳句は中高齢者のそれも女性の愛好家が多いためか、どうしても流麗で静謐な作品が多いような気がするが、長谷川さんの俳句は自由で強い。ある意味、男性的だと感じている。

長谷川さんの実家の前を過ぎ、旧薩摩街道にかかる橋を渡ると早くも八代郡の氷川町である。橋を渡ったすぐ左手に白玉屋新三郎がある。江戸初期の寛永年間創業で、米飴、白玉粉、白玉菓子を作り続けている。今の建物も相当古そうだ。

 旧薩摩街道は店の前を通って、国道3号線から付かず離れずしながら、九州山地の麓を南へ下る。実は私、どの道が旧薩摩街道なのかはっきり知らない。ただ通っていると、「これが旧薩摩街道にまちがいない」となんとなく分かる。というか思い込んでいる。道幅2メートル程度。祠や石仏が割と多く、家々の佇まいに気品と歴史を感じさせる。だから、部分的には違っているかもしれないが、おおよそは正しいルートを走っているはず。地理オタクの勘である。

前日までの雨のせいか、いつものこの時期にしたら気温は低めで、湿気が多くてしっとりしている。どこからしら景色の輪郭が鮮明だ。

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右手の民家はトタンを被せてあるが、茅葺のままだったら、第1級の景観だったに違いない。

この道を島津の大名行列が通っていたのである。西南戦争の頃は薩軍と官軍が行き来したことだろう。西郷や桐野も通った。ちなみに八代から熊本にかけ、旧薩摩街道沿いには西南戦争の史跡が結構な数残っている。もちろん熊本城はその最大の史跡である。
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右手は国道3号線。左が旧薩摩街道(と思われる)。それにしてもこの目の看板はなんだ。「痴漢さん、見てますよ」とでも警告しているのか。

樹齢600年の楠の巨木

しばらく進むと、左手に突然大きな楠が出現。地図アプリで確認すると、「法道寺薬師堂」。写真を撮っていると、通りがかりの80歳〜90歳くらいの老婆が「この木はいつ見ても見事ですもんね。私は毎日、この薬師堂にお参りに来ます」と話しかけ、そのまま薬師堂の前の広場を掃除し始めた。熱心に掃き清めている。風情がある。ちなみにこの楠、樹齢600年ほどのようだ。600年前なら1420年。室町時代である。足利義持の頃。

熊本には楠の巨木が多いが、中でもこの薬師堂の楠はトップクラスに入りそう。

ところで楠は、日本では名古屋くらいまではたくさん生えているが、それより東や北にはほぼ生えていないことを割と最近知った。確かに東京ではケヤキをよく見るが、楠を見掛ける事はなかった。
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古い建造物が多い宮原地区

しばらく進み、氷川にかかる国道3号線の橋を渡ると、氷川町一の商店街である宮原地区。ここも歴史の古い町で、江戸後期から明治頃の建造物がいくつか残る。
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写真の左側は旧井芹銀行本店。大正15年建築。現在は秋山幸二ギャラリーとして利用されている。ソフトバンクの監督だった秋山幸二はこの町の出身なのである。右手は江戸後期の天保三年に建てられた井芹家住宅。井芹家は県内でも有数の大地主だった。ともに国の登録有形文化財に指定されている。

そのまま街道を進むと、やがて六地蔵が見えてきた。

六地蔵は田舎の道端でしばしば目にするが、案内板を読むと600年も700年も前のものであることが多く、その度にびっくりさせられる。この六地蔵については建てられた時代については表記がなかった。
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この日はちょうど田植えが盛んに行われていた。兼業農家が多いせいだろう。この水田は田植えはまだだったため、九州山地の山並みが逆さまに写っていた。空も山も湿気を含んで重たそうである。
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八代市に近づくと、九里木の標柱。
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薩摩街道はさらに南へ下るが、長くなるので、「その2」で紹介したい。

そういえば、2週間前の記事で、飼い犬のトイプが転落した話を書いたが、しっかりと回復して元気に動き回っている。ほんと、安心した。