一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

さらに街道を南へ

引き続き、旧薩摩街道を自転車でたどる。

八代市の龍峯小学校あたりは、街道沿いの中でも特に趣がある。

龍峰山の麓は見所多し

街道をちょっと逸れると、湧水があったり、種山手永(手永は細川藩の行政単位。昭和30年代くらいの町村区分と割に重なっている)の役所跡があったり、何かと見るべきものが多い。興善寺廃寺跡もそう。八代最古の古代寺院跡で、今は明月院という寺院がある。平安末期の毘沙門天立像が有名である。

f:id:noaema1963:20200622182849j:image
f:id:noaema1963:20200622182834j:image

干拓で広がった八代平野

八代の平野は今でこそ広々として、熊本県を代表する農業地帯になっているが、戦国時代までは旧薩摩街道沿いの細々とした平地しかなかった。おそらくは今のJR鹿児島本線くらいが海岸線だったはずである。江戸時代に入って西へ西へと干拓と埋め立てが進み、昭和40年代くらいに今の姿になった。だから昔の堤防が今も何重にも残る。その一部である郡築の干拓樋門が、今回の日本遺産の構成要素になっている。地味な歴史遺産なだけに、これからどれほど観光としての注目を集めるか気になるところだ。

 

再び、旧薩摩街道を南へ。街道沿いにある江戸後期築造の用水路が今でもしっかりと利用されている。球磨川で取水された農業用水は、北へ向かってゴボゴボと流れている。左手には龍峯山。5合目まで車でのぼれ、八代の町並みを見下ろせる展望台があることは2月に「地元のお気に入りの場所を巡る」の項で書いた。この日は自転車なのでパスする。

noaema1963.hatenablog.com
f:id:noaema1963:20200622182838j:image

八代で人気の妙見祭

街道は九州自動車道の八代インターの脇を通り、しばらく行くと、妙見宮(八代神社)に近づく。妙見宮は11月に開かれる「妙見祭」の神幸行列で有名である。武士や町人の格好をした人たちが、独自の山車である「笠鉾」や「亀蛇(がめ)」と一緒に八代の町中から妙見宮までを練り歩き、最後は近くの砥崎の河原で神馬や飾馬を疾走させる。

歴史は古く、もっとも古い記録では室町時代の記録がある。江戸時代に入り、加藤氏、細川氏の頃にはさらに賑わいを増し、手厚く保護された。国の重要無形民俗文化財であり、4年前にはユネスコ無形文化遺産に登録された。

八代の人々はこの祭が大好きだ。熊本の藤崎宮大祭のような破茶滅茶さはないが、いい具合に元気でいい具合に雅な祭りなのである。
f:id:noaema1963:20200622182831j:image

ここにも立派な楠が。こちらも相当な歴史があり、幹は凸凹と脈打ち、いかにも御神木という感じである。
f:id:noaema1963:20200622182845j:image

拝殿では車のお祓いに来ていた家族が参拝中だった。神妙な雰囲気の両親の後ろで、小学生の男の子が退屈したのか、一人おどけている。おなじみの光景であるが、こんな様子はいつ見てもほのぼのとする。というか私が歳をとった証拠なのだろう。
f:id:noaema1963:20200622182841j:image

帰路は八代の町中から、い草栽培が盛んな干拓地を走る。

い草はやがて収穫の時期である。さわさわと南風に揺れて、なんとも爽やかであった。