自分にとって大変思い入れが深い場所がある。
なんのことはない。大学時代の憧れの先輩が高岡市出身だったという理由ただ一つ。
大学時代、北海道から沖縄まで、いろんな地方の人たちと知り合えたが、地方によってこうも雰囲気というか風情というか、纏っている空気が違うものなのだな、と痛感させられた。もちろん生まれながらの性格もあるだろうが、東北の人には東北の、関西の人には関西の、関東には関東の、言葉では言い表せられない何かがあった。
富山の人はどこかクール
で、北陸はどうなのか。
質実なものがあったなぁ。ふわふわしていないというか、地に足がついている感じ。特に富山県の人はその香りが濃厚だったような。みんなと群れ騒いでいても、どこか冷めているとでも言いましょうか。ざくっと言えば、インテリな空気というか。教育県富山らしいな、とよく思ったものである。
というわけで、3年前の北陸旅行の際に撮った写真を使って、高岡を思い出してみる。
富山県には4、5回行ったことがあるが、高岡には大学時代と社会人3年目の頃の2回だけ。今回が3回目だった。
金沢から午後の列車で高岡着。日本海を見たくて氷見線に乗り換える。大学の先輩が卒業した高校の近くを通り、列車は住宅や工場の間を抜けて伏木へ。
駅前の道を北へ。伏木は江戸時代、北前船でにぎわった港であり、近代に入ってからは貿易港、工業港として機能したようだ。ロシアのウラジオストックとを結ぶフェリーもこの港から出ているようだが、今は休止中とか。一度乗ってみたいものである。
港近くの住宅街は、なんとなく港町の風情を醸し出している。ただにぎやかさはない。しっとりしている。そんな町並みを抜けると、港が見えてきた。
堤防に上り、はるかロシア方面を見る。初夏なので波静かである。
ぼーっと水平線を見る
ぼーっと遠くを見ていると、海を見ているのか、水平線を見ているのか、水平線を見ている自分を見ているのか、分からなくなり、混沌とした思いに包まれる。小犬の散歩をさせる若い女性、スタスタとゆっくりジョギングするおばさん、後ろ手で歩いては立ち止まり海を見ているおじいさん。この伏木の景色を演出する役者のようである。自分さえも伏木の景色を描き出す登場人物のように思えてくる。
水平線みな哲人の顔になる
数年前、玄界灘を望む福岡の砂浜で作った句を思い出した。「一人だなぁ」と旅情を掻き立てられた伏木の港であった。
日が傾いてきたので、またきた道を伏木駅に引き返す。天気がよければ立山あたりがよく見えるのだろうが、薄曇りで残念ながら見えなかった。
帰りは伏木の駅前からバスで高岡の街中に向かう。いつも通り、一番後ろの席に座る。途中、30年前に出張で来た時に立ち寄った寿司屋の前を通ったはずだが、確認することはできなかった。もしかしたらもうなくなっているのかもしれない。何しろ30年なのだから。
夕食はホテル近くの居酒屋で済ませた。4人連れの男性グループがいたが、すごく静か。
北国の酒宴は静か梅雨きざす
翌日、朝から高岡城跡を訪ねる。30年前に来た時は市民が代わる代わる万葉集を歌い上げるイベントが開かれていたが、今でも続いているのだろうか。何しろ高岡は大伴家持が赴任した地なのである。
その後、前田利長の菩提寺である瑞龍寺を訪問。国宝に指定されていることを知る。御朱印がとても格好良かった。高速バスで一気に名古屋を目指し、小牧空港から帰路についた。