豪雨が熊本県南部を襲ってから今日で1週間になる。
まだ強い雨が降り続いている。いったいいつまで降り続くというのか。
新聞もテレビも連日、被災地の様子を報じている。ある新聞では「数十年に一度の大雨」であることを知らせる大雨特別警報が、7年間で16回発表されたことを書いていた。そのほとんどが九州を中心とする西日本各地である。
今朝のテレビでは橋本徹が「豪雨被害の危険性が低い場所に住民の居住地を誘導する政策が必要ではないか」といった意見を述べていた。分かりやすい意見ではあるが、現実的には厳しいのではないか。
そもそも日本は山がちで平野が少ないため、古来、農民たちは山際の狭い地域に集落を形成し、限られた平地を可能な限り農地にしてきたのではないか、と私は推測している。多くの中山間地では、昔ながらの集落はほぼ山際にあるように思う。
そんな場所がここ数年で多発している豪雨による土石流被害にあっている。
確かに私も以前、「いつ土石流が押し寄せるか分からないような場所を出て、違う場所に住めばいいのに」と思ったこともある。ただそれは、そこに住む人々の「生まれ育った場所への思い」を無視した、よそ者感覚だと今は考えている。
こうした豪雨の大きな引き金になっているのが、地球温暖化だろう。今回の豪雨は、インド周辺の海水温が高くなったことが影響しているらしい。
つい最近、中国の歴史を俯瞰する本を何冊か読んだ。私はてっきり中国というのは、清や元などを除き、ほとんどが漢民族の王朝と思っていたが、意外なほど北方民族が打ち立てた王朝が多いことを知った。それは北方民族のふるさとであるモンゴルやシベリア南部、現在の中国東北部の寒冷化が大きく影響しているというのだ。
寒冷化すると北方民族が南下して、漢民族やシルクロード沿いの民族を圧迫するという図式である。自然のなすがままに暮らさざるを得なかった古代では、わずかな寒冷化でも日常への影響は大変大きく、騎馬民族は南へ動くしかなったのだろう。
ただ歴史地図の書き換えを促すようなこうした気候変動も、今の温暖化に比べると、どうもずっと小さい変動だったようだ。どういう研究方法かは知らないが、過去2千年の気候変動のグラフをネットなどで時折目にすることがある。それを見ると、この30年間の地球温暖化がいかに大きいものか理解できる。
ということは苛烈なまでの豪雨は収まることはないと見たがいいのかもしれない。