夏目漱石ゆかりの地で思い出されるのは、どこだろうか? たぶん松山いう人が多いと思う。代表作の一つ「坊っちゃん」が松山を舞台にしているのが、大きく影響したようだ。
しかしあまり知られていないようだが、漱石は1年間松山で暮らした後、私が在住する熊本市に旧制五高の教授として4年間住んだ。熊本は実は、松山以上に漱石ゆかりの地なのである。
今日は熊本に3軒も残っている漱石旧居を紹介したい。
漱石は引っ越し魔だった。なんと熊本で5回も引っ越している。今でも残るのが3番目、5番目、6番目に住んだ家である。漱石が熊本にいたのは明治29年(1894年)から4年間なので、いずれも築120年以上の歴史的建造物。それだけでも十分な価値あり。空襲にも水害にも熊本地震にもよくぞ耐えた。
現在見学できるのは3番目と5番目。第3旧居はもともとあった場所から2キロほど東の水前寺公園わきの住宅街の中にひっそりと残っている。
中には漱石の写真や資料が展示してある。入場無料。場所が分かりにくいせいか、訪れる人は決して多くはなさそう。
漱石は熊本に来て3ヶ月後、鏡子夫人と結婚。熊本は新婚生活を送った地である。新婚旅行は福岡。すでに開通していた汽車や人力車を使い、箱崎宮、香椎宮、太宰府天満宮など神社仏閣巡りをして、二日市温泉や船小屋温泉に宿泊している。
いい家の出である鏡子夫人(漱石もまあまあの家の出だが)は風呂場の不衛生さに閉口したことを後年、関係者に語っている。鏡子夫人は熊本時代、精神的に不安定だったようで、自宅近く(この家は残っていない)の白川で入水自殺を図るが、漁師に助けられる。気難し屋の漱石と暮らすのも大変だったことだろう。その辺りのことは鏡子夫人の語りをまとめた「漱石の思い出」を読むとよく分かる。
熊本時代の漱石は、当時の人としては珍しく、たくさんの旅をしている。新婚旅行のほかにも、同僚と何度となく温泉旅行にも行っている。軍事演習を兼ねた五高の修学旅行では、天草から島原半島を巡ったり、県北の菊池方面に行ったり。旅先で現地の顔役たちが出迎えてくれた様子が、五高記念館(熊本大学内にあるが、地震被災で修復中)の資料に書かれている。
「草枕」「二百十日」は、熊本時代の旅を題材に後年書いた小説。ただ「坊っちゃん」に比べて難解なので、熊本=漱石とアピールするに至らなかったようだ。
上の写真は第5旧居。ここは熊本地震で一部被災して改修中だ。旧城下町の一角に残り、漱石の旧居としては熊本で一番有名である。ここで長女筆子が生まれ、最も長い期間暮らしている。
漱石はこの時代、まだ小説は書いていないが、友人正岡子規の影響で始めた俳句は熱心に取り組んでいる。俳人漱石への評価は様々であり、散文の評価がずっと高いようだが、有名な句もたくさん作っている。
菫ほどな小さき人に生まれたし
熊本時代の作品で私が一番推すのがこの作品。おそらくこの句を好きな人は結構多いのではないか。
上の写真は第6旧居。藤崎八幡宮近くの住宅街にある。中は見学できないが、標柱はしっかりと立ててある。新築の家だったらしく、漱石が最初の入居家族だったようだ。数ヶ月住んだ頃、ロンドン留学を命じられ、熊本を離れた。