一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

お城好き筆者が選ぶ城郭ベスト10

もともとお城好きではあったが、特に熊本城が築城400年で盛り上がった2007年頃から、個人的に一気にヒートアップし、日本各地の城郭を見てきた。

で、ふと思った。自分にとっての城郭ベスト10はどこだろう。台風10号が不気味に北上を続ける中、どこに出掛けるわけにもいかないので、改めてリストップしてみた。

では10位から。ちなみに地元熊本城は除く。

 

(10)犬山城(愛知県犬山市)=複合式望楼型。3層4階地下2階。国宝。

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<a href="https://www.photo-ac.com/profile/1853545">nagabutinana</a>さんによる<a href="https://www.photo-ac.com/">写真AC</a>からの写真

現存12天守閣の一つで、日本最古の様式とされる。木曽川沿いの高台に立つこの城の特徴は、遠景から見た姿の美しさに尽きるのではないか。別名白帝城。その思いがよく分かる。

小ぶりだが、古武士を思わせる天守閣の最上階に上がると、川の向こうは旧美濃国(現在は岐阜県)である。濃尾平野の広々とした感じがなんともいい。欄干があり、最上階を一周ぐるっと周れるが、何しろ欄干が低い。高所恐怖症の私は膝がガクガクとなり、とてもではないが無理だった。

十数年前までは個人所有だったという珍しいお城だ。壁には城主を務めた成瀬家の歴代の殿様の肖像画や写真が並んでいた。一番最近の方はウイスキーを片手にした写真。なかなかダンディーだったようである。訪ねたのは10年余り前だが、今でもあの写真はあるのだろうか。雅な城下町も印象に残っている。

 

(9)松江城島根県松江市)=複合式望楼型。4重5階地下1階、1611年築城

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<a href="https://www.photo-ac.com/profile/2566003">自然</a>さんによる<a href="https://www.photo-ac.com/">写真AC</a>からの写真

これも現存12天守閣の一つ。数年前、国宝に格上げされ、国宝天守閣は姫路、彦根、犬山、松本、松江の五つになった。

30年前と10年前の2回訪ねたが、2度目は大雪に見舞われた。朝食中に雪が降り始め、昼には20センチ以上の積雪。それでも天守閣には普通に入場できて、「さすが雪国。これくらいの雪では動じない」と感心した。ちなみに積雪で転び、手を軽く捻挫したが、昼のNHKニュースで「雪によるけが人」にカウントされなかった。というか誰にも報告してないし。

現存天守閣はいずれも小型が多い中、この城は姫路城に続く大きさ。秀吉政権で中老だった堀尾氏が築城。以後、京極氏、松平氏と藩主は代わり、明治に。威風堂々とした城である。

 

(8)名護屋城佐賀県唐津市)=石垣のみ。国特別史跡。1591年頃築城

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<a href="https://www.photo-ac.com/profile/2396340">ヘンリー3世</a>さんによる<a href="https://www.photo-ac.com/">写真AC</a>からの写真

文禄慶長の役朝鮮出兵)の拠点となった城。あたりには加藤清正伊達政宗上杉景勝ら諸大名たちの陣屋跡もあり、ひっくるめて史跡になっている。秀吉も1年余り在陣。天守閣などの建造物は江戸時代初期には破却されたため残っていないが、壊されたままの石垣が残り、歴史ロマンを駆り立てるには十分だ。

朝鮮半島との複雑な歴史に大きな影を落とした出兵だけに、例えばNHK大河ドラマでも扱いを避けたがる傾向にあるように思う。熊本の歴史好きの多くは「加藤清正が大河で取り上げられないのは朝鮮出兵のせいだ」と思いがち(それだけの理由ではないように思うが)。ただ出兵を通して日本に入ってきた文化(焼き物や文物)、また関係修復後の朝鮮通信使の存在を思う時、もっと身近に真摯に直視すべき歴史だと思うのであるが、いかがかな。

天守台に上ると、遠く壱岐対馬方面が見渡せる。当時の歴史に詳しくない人には物足りない史跡かもしれないが、諸大名たちのキャラクターなど歴史知識を総動員して当時をイメージすると、心に熱く湧き上がるものがある。想像力がためされるお城だ。

「復元しない史跡」の良さを感じること間違いなし。近くの名護屋城博物館で知識を詰め込んでから見学するのがいいかも。

 

(7)弘前城青森県弘前市)=1611年完成。国重要文化財。複合式層塔型3層3階。

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現存12天守閣の一つ。2年前の真冬に訪ねて以来、好きになった。妻と2人、膝まで積もった雪をかき分け、城を南北に縦断。九州ではできない体験に大満足だった。

作家の司馬遼太郎も同じく真冬にこの城を訪ね、「街道をゆく 北のまほろば」に書いている。もともとあった五層の天守閣は築後十数年で落雷で焼失。城主の津軽家は再建を望んだが幕府は五層の天守閣の新築を禁じていたため200年間、天守閣のない時代が続く。ようやく文化年間、三層の角櫓の一つを改築して天守閣の代わりにしたらしい。

「だからのいまの天守閣は小ぶりなのである。それがかえって全体との調和がよく、ふしぎなやさしさを帯びた名城になっている」と司馬は書いている。同感!

以前の記事に書いたが、2年前の旅行では、列車が弘前市に入った途端に雪雲が晴れ、岩木山が見事な山容を現した。その姿は弘前城からも、五所川原へ向かう列車の中からもずっと見え続け、弘前の印象をぐっと引き上げた。

 

(6)首里城沖縄県那覇市)=国史跡。世界遺産。14世紀末築城か。

1990年代に復元された建物群が、つい数ヶ月前に焼失した。これまで2度訪問。復元された建物とはいえ、沖縄戦で破壊される前の写真も残っていたおかげで、かなり正確に復元されていた。資料的価値が十分な建造物だっただけに残念である。戦後は琉球大学だった。その頃の遠景写真を見ると今とはまるで違い、びっくりした。

琉球の城郭の面白さは、石垣を見ていても十分に伝わってくる。緩やかにカーブした石垣群が真っ青な空や珊瑚の海に映えて素晴らしい。無骨さが表に出る「ヤマトンチュー」の石垣と比べるとたおやか。琉球が「海外の独立国だった」ことを強く実感する。

90年代のある正月、首里城を訪ねた時、新年を祝う式典が城内で再現されていた。格好も動きも「ラストエンペラー」に出てくる中国風の式典によく似ていたことを思い出す。その当時は、お店も町並みも言葉も、いろんなものが沖縄っぽかった。それがとても面白かったが、数年前に訪ねた時、本土との違いがかなり薄れていた。よそ者の感覚ではあるが、ちょっと残念だった。

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<a href="https://www.photo-ac.com/profile/1439159">ハダシスト</a>さんによる<a href="https://www.photo-ac.com/">写真AC</a>からの写真

後半へ続く。