一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

お遍路しながら思うこと 後編

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四万十川河口近くの海岸。9月21日。日の出が綺麗だった。8ヶ月前の車中泊に比べ、慣れたせいか、かなり熟睡できた。

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とは言いながら、ずっと津波のことが頭にあった。いつ南海トラフの大地震があってもおかしくない昨今。四万十市に隣接する黒潮町地震発生後数分でとんでもない高さの大津波が来ると予想されている。

で、黒潮町にも行ってみた。

どんな気持ちで人々は暮らしているのか、常々気になっている。もちろん皆さん、普通に暮らしておられた。上の写真にある通り、津波から身を守るための鉄骨の建造物もあった。しかし当たり前と言えば当たり前だが、ほかの地方と変わりない日常があった。

サーファーの多さには驚いた。この辺り、サーフィンのメッカのようである。コンビニにも真っ黒に日焼けして、腕や肩にタトゥーを入れたような若者の姿が目立つ。みなはち切れんばかりに人生を楽しんでいる。

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そんなことを観察しながら、内陸にある四万十町の札所、岩本寺へ。

午前9時過ぎ、気温は20度くらい。大陸の乾燥した空気に包まれ、最高の天候。

境内は、お遍路が身に付けている鈴の音があちこちで鳴り、さわやか。この上なく清浄な気分になる。悪人はこの世界にだれもいない、そんな思いで胸が満たされる。

二十代と思しき男性の姿も。一人旅らしい。サーファーの姿がまだ目に焼き付いていただけに、「あー、当然ながら、こんな若者もいるよな」と思う。自分もこの男性と同じタイプなので、いらぬ世話だが、少し心配になる。

世の中、多様性の大切さがよく言われるが、そう簡単なものではないのではないか。例えば、50年前と比較した今、多様性の大切さを理屈では皆分かっているが、実際はどうだろう。寛容さは希薄になり、多様性は建前に終わっているようにも感じる。

「若いのに遍路とかして、意味分からん」という心ない言葉が聞こえてきそうだ。こうした言葉を想像するだけで、いや〜な気分になる。

じゃあ、どうすればいいのか。

正直、この男性に掛けるべき言葉を私は持たない。何も解決の手立てを見つけきれずにここまで生きてきた。ただ無理矢理言うとすれば「決して無い物ねだりしないで自分を発信し続けろ」。それぐらいか。
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この後、四万十川に沿った形で高知県西部を一気に北上。いくつか沈下橋が。ドリカムの「晴れたらいいね」を思い出す。「山へ行こう」「雨が降れば川底に沈む橋越えて」。四万十川と言えば沈下橋なのである。

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高知県愛媛県の県境近く。棚田と龍馬の脱藩の道で有名な梼原には、えらく立派な図書館や屋根付きの橋などあり、驚いた。

県境の山塊は立派なトンネルで通過。山深い四国中心部に分けいる山道は、すいすい進めるかと思えば、整備されていない箇所も目立つ。あと10年もすれば、かなり便利なドライブコースになることだろう。
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愛媛県では、山間部にある札所、岩屋寺と大寶寺を巡る。松山市には何度となく来ているが、なかなかお参りする機会がなかった。

岩屋寺は駐車場から境内まで20分ほど山道を登らねばならず、息が上がる。しかしほかの札所と違う、修験の場とでも言いたくなるような風情がある。お遍路さんたちは皆、境内までやっとたどり着いた達成感のせいか、表情が明るく、賑やかである。

大寶寺を巡り終えた段階で、四国八十八ヶ所札所の西側半分は、すべて御朱印が揃ったことになる。掛け軸形式で集めている御朱印、これまで真ん中部分が空いていたが、これで全部埋まった。

あとは香川県全域と徳島県の一部を残すだけとなった。ここまでに二十数年かかった。

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この後、時間があったので、まだ妻が行ったことがなかった松山市郊外の浄瑠璃寺八坂寺を回る。私は、最初に一人お遍路をした時に訪ねて以来だ。境内の様子場ほとんど覚えておらず、新鮮な気持ちで般若心経を妻と唱えた。

それにしてもお遍路さん、多い。以前もこんなにいただろうか。

我々と同年輩の夫婦が特に目立つ。それぞれ自家用車で回っており、何度となく出くわす。向こうも「あれっ」という表情をするが、軽く会釈するだけで、特にあいさつを交わすことなく行き過ぎる。

ただ車のナンバープレートはつい見てしまう。一番多いのは、やはり四国。次が兵庫や山陽地方。九州は意外と少ない。

お遍路さん「習熟度」も様々。

私など何回行っても初心者で、数珠も持たずにもぞもぞとお経を唱えるが、中には「実は僧侶だろ」と言いたくなるくらい、きびきびとリズミカルにお経を唱え、慣れた感じで巡礼をすませる人もいる。スタンプラリーの域を出てない私とはえらい違いである。

妻に「何を願った?」と聞くと、娘たちの幸せという。私など未だに自分の幸運ばかり祈っている。己に呆れ果てるばかりである。

 

身の丈を身の程を知る秋遍路