一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

高千穂の歴史と神話を考える

こんにちは。一人旅おやじの旅生(たびお)です。

久しぶりに高千穂に行ってきた。最後に行ったのは熊本地震が起こる4日前。やがて5年が経とうとしているわけである。もう5年なのか。いやと言うほど続いた余震もすっかりなくなってしまった。しばらくは建物の解体が続き、空き地が目立ち、空ばかり広くなった熊本だったが、いつの間にか「災害復旧車」と書かれたトラックの姿を見ることもなくなり、いつの間にか以前の熊本に戻りつつある。

さて高千穂である。朝8時前に熊本市の自宅を出発。近くのマクドナルドで朝マックを食べたり、県境を越えた五ヶ瀬町で温泉に浸かったりしているうちに時間が経ち、高千穂神社に着いたのは正午近かった。それにしても五ヶ瀬町の温泉「木地屋」はお湯の質が良くて、ついでにお客も少なくて最高でした。

この日はここ数年の12月にしては珍しく、強い冬型の気圧配置となり、高千穂(確か標高は300メートルほどか)は昼間でも気温が3度ほどまでしか上がらなかった。おまけに風が強いため、体感温度は零度くらいだったのではないか。県境あたりは早くも小雪がチラついていた。まったく持って鼻の奥がツーンとする寒さだった

 5年近く前の2016年4月10日も高千穂神社を訪ね、見事な杉木立に感動したのを覚えている。源頼朝が家臣の畠山重忠に手植えさせたという秩父杉は樹高55メートル。境内には同じように堂々とした杉の巨木が何本もあり、荘厳な空気に包まれている。夫婦杉の周りにはたくさんの絵馬。高千穂八十八社の総社らしいが、縁結びの神様としての人気もあるみたい。

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ところで高千穂といえば神話なのだが、なぜ高千穂が天孫降臨の地となったのか、なんとなくピンとこない。この日は高千穂神社から天の岩戸神社などを巡り、あまり人がいない歴史資料館も訪問。その合間にはスマホで高千穂の歴史も調べた。

でもどうしても分からない。高千穂の方々には失礼だが、なぜ天皇家の始まりをこの地に選んだのか、本当に古事記日本書紀はこの地を設定したのか、書き間違いあるいは誤読ではないか……。私は神話にほぼ興味がないので、てっきり高千穂には考古学的、史学的になんらかの学術的証拠があるものと思ってきた。でもそうではなく、天孫降臨の地は宮崎か、あるいは福岡か、あるいは阿蘇か、といまだ論争が続いているようなのだ。

ということは高千穂には「伝承」だけが残っているということ? 天孫降臨の場である「くしふるだけ」(くしふるは漢字が難し過ぎて字が出ない)、天照大神が隠れたという「天の岩戸」、その天照大神を説得しようと八百万の神々の会議をした「天安河原」……。意地悪く見れば、これらは神話に合わせて後付けで設定された場所といえなくもない。

史実の高千穂を見ると、古代の有力者がいたものの豊後の大神氏が引き継ぎ、高千穂氏を名乗り、その後は三田井氏と名を変え戦国期まで統治。江戸期からは延岡藩の一部となる。なにかどこにでもある郷土史のようで、神話の世界と全く分離している感じがするのだ。融合している気配がない。
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神話に詳しい方々、古代史に詳しい方々からすると、「なに訳の分からないこと言っているんだ」とバカにされそうだし、高千穂の方々には「高千穂のことけなすなら来なくていい」と怒られそうだ。

ただ高千穂に来るたびにそう感じてしまうんですよね。素朴な疑問として。

国の中心として適当な場所である近畿をおさえるため、九州の部族が東に向かったというのは「あり得そうな話」で説得力がある。古代において文明は大陸から九州に入り、国内では西から東へ移動したのは間違いのないことである。

たぶん私が知らないだけで、現実の高千穂と神話を結びつける多くの学術的事実がたくさんあるのだろう。実際、800年前に頼朝の命で高千穂神社に杉が植えられているくらいなのだ。そんじょそこらのぽっと出の「神話の里」ではないのである。

そんな理屈とは関係なく、高千穂は厳かな空気に包まれており、観光地として十分に魅力的である。

特に天安河原は何度行っても雰囲気がいい。遊歩道をくねくねと歩き、目の前に突然、巨大な岩屋が現れる。観光客はみな言葉をなくし、黙り込んでしまう。それほどまでに厳か。願いが叶うという無数の石積みが一層、神々しさを増す。

ここ最近、東九州に興味を感じている。西九州に比べるとスポットを浴びにくい場所なので、この機会に好奇心の赴くまま、知識を深めたい。せっかくなので1300年前に編纂された古事記日本書紀も目を通してみたいものだ。

国道沿いのファミリーレストランで一人、ハンバーグランチを食べながら、そう思う。