こんにちは。旅するおやじ旅生です。
宮崎神話巡りの後編。古事記・日本書紀の神話について本を読んだり、ネット動画を見たり、いろいろやりまくっている。みうらじゅんが言うところのマイブームだ。これまで神話に全く興味がなかったおやじだが、急ごしらえで知識をかき集めている。
しかしである。なにしろ記憶力の低下が著しい。若い頃は記憶力だけは自信があったが、今ではまるで別人のような記憶力である。特に50代に入ってからがひどい。
あることをネットで調べようとスマホを手にするも、一瞬ヤフーの記事などに気を取られると、もうダメ。気づけばその記事に関連したことを調べ始め、当初は何を調べようとしていたのか忘れてしまう。アルツハイマーの初期症状だろうか。
西原理恵子が以前「鳥頭日記」というエッセイを書いていた。「鳥は三歩歩けば忘れる」ということわざからとったようだが、まさに旅生は鳥頭化しつつある。
急ごしらえの知識はすぐに忘れてしまう。特に神話に出てくる神様たちの名前の覚えにくいこと。家系図の複雑なこと。でもこれが全て頭に入ったら、結構面白いのでは。神代や古代へのロマンが一気に膨らむのではないか、と思う。
宮崎に話を戻そう。
八紘一宇の塔(平和記念塔)を見た後、宮崎市北部の「みそぎ池」に向かう。場所は江田神社という歴史が古く格式の高いこの式内社(平安時代の延喜式に掲載されている)に隣接した「市民の森」の端っこにある。
実はこの池、神話におけるかなり重要なスポット。
イザナギノミコトとイザナミノミコトは多くの神々や島々を生んだが、火の神カグツチを生んだ時にイザナミは大火傷を負い、死んでしまう。イザナミを忘れられないイザナギは黄泉の国を訪ねるが、そこでイザナギは腐敗した恐ろしい姿のイザナミを目にし、逃げ出す。
黄泉の国から地上の世界に戻ったイザナギは「日向(ひむか)の阿波岐原(あわきはら)」に向かい、そこで体を清める禊を行った。その場所と伝えられるのが「みそぎ池」なのである。
この池でイザナギが顔を洗った時に生まれたのがアマテラス、ツクヨミ、スサノヲの三柱。アマテラスとスサノヲはやがて対立し、スサノヲは高天原を出て行って、出雲国でヤマタノオロチを退治するなど英雄となる。
それにしても神話の荒唐無稽さ、すごいものがある。どこからでも神様が誕生する。とんでもなく長い名前の神様たち。その語感がアイヌの語感と共通したものがあるようにおも思える。縄文・弥生的な語感とでも言おうか。
夕闇染まる「みそぎ池」の周りを散策する。あまり神秘的な雰囲気はなく、どこかしら人工的な感じがしてゴルフ場に点在する池を思わせる、とか言ったら宮崎の人々は怒るだろうな。
この池から100〜200メートル東側には海洋リゾート施設「シーガイア」がある。
せっかくなので太平洋の海岸まで行ってみた。熊本の人間にとっては馴染みの薄い水平線。時々目にすると、空と海をくっきりと隔てる水平線の鮮やかさが素晴らしい。やっぱ海は大海に限るなぁ。伸び伸びしている。こじんまりした有明海も捨てがたいが。
車中泊をした翌日、早朝から西都原古墳群に。それにしても真冬の車中泊は厳しかった。毛布をかぶって寝ても、エンジンを切った車内はどんどん冷え、顔が寒くて何回も目が覚める。おそらくは車内も零度近くまで下がったのではないだろうか。
西都原古墳も初訪問。実にいい。明るく広々としている。もっとじっとりとした雰囲気をイメージしていたが、朝日を受けてカラッとした明るさがあった。ちょっとした台地の上にいくつもの前方後円墳や円墳が並んでいる。
宮内庁が「陵墓参考地」として管理する一際大きい古墳が、男狭穂塚(おさほづか)古墳と女狭穂塚(めさほづか)古墳。Wikipediaでは男狭穂塚古墳について「宮内庁では被葬者を特に定めない陵墓参考地に治定しているが、被葬候補者として瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を挙げ、隣接する女狭穂塚古墳では被葬候補者として妃の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を挙げる」としている。
瓊瓊杵尊は先に書いたイザナギの孫でアマテラスの息子。高天原から降臨した有名な神だ。木花咲耶姫は地元の国神の娘ということになっている。
しかし陵墓参考地という存在、この時初めて知った。
ちなみに全国には結構たくさんの「被葬者が皇族である可能性も捨てきれない」陵墓参考地が点在。熊本には一カ所だけ、宇土市に花園陵墓参考地があり、壇ノ浦で亡くなった安徳天皇の墓との言い伝えがある。
数日前、地元紙がこの古墳について紹介していた。安徳天皇は平安末期の人で、陵墓参考地は古墳時代のもの。時代的に大きなズレがあるので信憑性については疑問視されていることも学術的に記してあり、なかなか興味深かった。
宮内庁としても地元の人々の思いを「参考地」という形で尊重しているのだなぁ、と改めて知ることになった。日本人は優しい。
西都原古墳群の近くにある日向国の二の宮「都萬(つま)神社」にお参りした後、海沿いを北上。日向の一の宮である都農(つの)神社を訪ねる。なかなか商売上手な神社のようで、千円の豪華な御朱印もあり、コレクターとしては買わずにいられなかった。
さらに北上。神武天皇が東征のため船に乗り込んだ美々津。この地区は神話の伝承だけでなく古い町並みが残り、文化庁の伝統的建造物群保存地区に指定されている。港町らしい町並みがなんとも良かった。美々津は2度目の訪問だったが、何度来てもいい場所だ。
神話がどれだけ史実を反映しているのか。神話素人の旅生は実に気になる。
YouTubeで「竹田学校」を配信している旧竹田宮家出身で政治評論家の竹田恒泰氏は、神話が史実であるかどうかについて「どっちでもいい」と強調。確かにそう言われればその通りだが、記紀に書かれた神話はあまりにも地名の表記が多く、意識的に史実と創作を混在させている気がしないでもない。「どっちでもいい」では終わらせない太安万侶らの巧妙なトラップが見え隠れするのだ。
読むものを捕らえて離さない筆力。まるで村上春樹のようではないか。