一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

半跏思惟像のまろやかな眉

こんにちは。旅するおやじ旅生です。

九州国立博物館(福岡県太宰府市)に中宮寺の国宝展を見に行った。久々の特別展なので相当の混雑かと思いきや、割と空いていてゆっくり観覧できた。

 写真のパネルに載っているのが国宝の菩薩半跏思惟像。この仏様が今回の目玉である。

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ちなみに中宮寺は、法隆寺奈良県)のすぐ裏手にある飛鳥時代創建の尼寺。「聖徳太子建立七寺」の一つとされているが確証はないようで、日本書紀にもこの寺についての記載はないらしい(Wikipediaによる)。展覧会には、菩薩半跏思惟像(飛鳥時代作)と天寿国繡帳(聖徳太子が往生した「天寿国」を表した刺繍)の両国宝が出品されている。

で、菩薩半跏思惟像。展覧会の最後に広々としたスペースがつくられ、この仏像一点だけ鎮座している。「前から後ろから、好きなだけじっくり鑑賞して」という学芸員の意志が伝わる。何しろ飛鳥時代の最高傑作の一つ。アルカイックスマイル。

第一印象は「予想以上に真っ黒」。写真で見た時は「光の具合で黒っぽく写っているのだろう」と思い込んでいた。でも実物は、漆で塗られていて本当に真っ黒なのだ。もともとは肌色であったらしい。足の裏の一部にその色が残っている。誰がいつ頃、どういう理由で漆で塗り固めたのだろう。

でもその黒々とした光沢が、この仏像の気品をより以上に発散させている。

 

思惟像のまろやかな眉春浅し

 

横顔をじっと見ていたら上の句が浮かんだ。そして「確かにこんな感じの女性がいるなぁ」と思った(旅生には縁がなかったが)。飛鳥時代の仏像はいずれも大陸風の固さや荒っぽさを孕んでいるが、この仏像にはそんな感じがない。仏教伝来から100年で、早くも日本人は独自性を編み出したということだろう。

奈良時代以降のドーンと重心の低い仏像ではなく、横から見ると、どこか軽々とした感じがする。右脚を組んだ少し前屈みの姿勢がそう見せるのだろう。

鑑賞している人々にも目がいく。慈悲深げな仏様に見惚れるマスク姿の女性たち。「日本人女性は目眉が美しいなあ」と改めて感慨にふける。「挙動不審なオヤジがいる」と怪しまれそうなので、適当に切り上げた。

せっかくなので隣接する太宰府天満宮に参拝した。

 

本殿前の飛梅が咲き始めていた。菅原道真大宰府に左遷された時、京都の屋敷内で大切にされていた梅が一夜のうちに飛んできたーというのが飛梅の伝説である。

境内ではたくさんの梅の花が咲いていた。もちろん梅ヶ枝餅も食べた。太宰府天満宮に参ったからには欠かせない。境内や参道にたくさんの店が並び、ネットでは「あの店のがうまい。この店はよくない」など結構話題になっているがる、旅生からすると「どこの店のもうまい。そんなに差はない」。

それにしても、コロナの影響で中国語や韓国語をまったく耳にしなくなった。20年前の観光地に戻ったような感じだ。ちょっと耳にした関西弁に「ヘェ、関西から来たんだ」と感じたあたり、日本人の行動範囲が急激に狭まっていることに自分ながら驚く。
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境内の心字池のほとりに室町時代の小さな社もあり、国重要文化財に指定されていた。さすがに大宰府である。クスの古木も多い。幹から草が生えていて、仙人の髭を思わせる。
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帰りに近くの花立山温泉に立ち寄る。温泉の質抜群。10年ぶりくらいに来た。

夕日が温泉場の奥深くまで照らしていた。

 

湯治場の隅の隅まで日脚伸ぶ

 

といった感じの句が浮かんだ。風呂上り、外に出るとちょうど日が沈んだ。
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