一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

箸墓古墳へ行ってきました

どうも。旅するおやじ旅生です。

奈良県桜井市箸墓古墳見てきました。数カ月前から「是非とも行ってみたい」と思っていたので、1年ぶりの関西旅行で訪れました。

 

ヤマト王権の象徴である前方後円墳の最初期のものと言われ、邪馬台国の近畿説を唱える人の一部が「卑弥呼の墓だ」と主張している、何かと話題になる古墳なのです。

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古代史に興味を持って以来(といってもまだ1年弱)、この古墳についてYouTubeで実にたくさんの動画を見ました。

大学の公開講座もの、自治体や資料館のPR動画、古代史マニアの動画‥。ドローンで撮影した動画も多く、おおよそどんな感じかは予想はしていましたが、実際に見てみると、思っていた以上に「でかい」「美しい」。

九州で前方後円墳といえば、八女市にある岩戸山古墳や西都原古墳群のものが「九州では最大級」などと言われますが、やはり本家本元は違いますね。形がはっきりしていて、大事に守られていて、しんと静まり返った厳かな空気があります。時折、椋鳥の鳴き声。

卑弥呼の墓なのか

桜井駅で借りたママチャリで周囲を一周しました。古墳周辺の家々は奈良盆地でよく見られる上品で風格のある古民家が多く、箸墓古墳と同化したかのような町並みでした。このあたり、動画ではよく分からなかった部分です。古墳のすぐ北側の池は季節的な影響なのか、ほとんど水がありませんでした。でもそれもまたいい。

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ここで箸墓古墳について、簡単に説明しておきます。

場所は桜井市の北側、三輪山の西麓にあります。

墳丘長は278m。築造されたのは炭素測定法などにより、卑弥呼がなくなった時期にあたる3世紀中期から後期と見られています。宮内庁崇神天皇(第10代)の大叔母にあたる倭迹々日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の陵墓として管理しており、研究者さえも入れません。応神天皇陵や仁徳天皇陵と一緒です。なんだかなぁ。

研究者の中には倭迹々日百襲姫命卑弥呼と見る人もおり、それは邪馬台国畿内説を唱える人からかなりの支持を集めています。

特に近くの纒向遺跡で2009年、大規模な建物跡が発見されたのは大きな転機となり、「やはり邪馬台国はこの地であり、箸墓古墳卑弥呼の墓だ」という声が高まりました。専門家の1人がシンポジウムの席上、「表立ってあまり言われないが、今は畿内説の方が有利ですよね」と言っているのを動画で見ました。「あ〜、そうなんだ」と初心者の古代史ファンは感心してしまいました。

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考古学的にも興味深い古墳ですが(何しろ突然、前方後円墳が出現したのです)、日本書紀に築造の様子が触れられているのがこの古墳の特徴です。「昼は人が作り、夜は神が作った」と記され、大坂山の石を人々が列をなして手渡しで運んだ、などと書かれています。古代エジプトの映画を見ているようです。

由来の面白さ

さらに名前の由来の面白さも、この古墳の魅力。

倭迹々日百襲姫命の旦那さんは三輪山大神神社祭神である大物主神。この神は夜しか姿を見せません。どうしても昼間の姿を見たい姫がお願いして姿を見せてもらうと、大物主神は実は小さな蛇だったのです。驚いた姫に大物主神は恥じて山に戻ってしまいます。後悔して座り込んだ姫でしたが、そこにあった箸が隠部に刺さってしまい、それが原因で亡くなってしまうのです。それで箸墓というようになったとか。

どこか「鶴の恩返し」を思い出します。神武天皇のおじいさんにあたる山幸彦の神話が「浦島太郎」に似ているように、古代神話は昔話と共通している部分が濃厚。「立場の悪い末弟がやがては兄たちを差し置いて成功する」。神武天皇も出雲の大国主命も末の弟です。ウサギとかめの話にも似ています。「幾多の苦労を乗り越えて英雄が遠い旅路をやってくる」。神武天皇の東征はまさにこれですね。

大神神社に白蛇の住処

三輪山御神体とする大神神社にも行きました。

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天気が良かったこともあり、参拝客がたくさん。江戸期に建てられた拝殿(国重要文化財)にしっかりと手を合わせた後、御朱印をもらいました。さすがに大和国一の宮御朱印も立派でありました。

気がつくと拝殿の近くの杉の木の前が賑わっています。なんなのだろうと近づくと大物主神の化身である白蛇が棲むことから名付けられた「巳の神杉」。蛇の好物である卵がたくさん供えられていました。「そうか。倭迹々日百襲姫命を驚かせた白蛇君はここにいたのか」と感慨深いものがありました。

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この辺りは素麺が名物。お参りした後、参道のお店で「にゅうめん」と柿の葉寿司のセットを食べました。お腹が減っていたので大変美味しくいただきました。