一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

夢千代日記の舞台を訪ねる

どうも。旅するおやじ旅吉です。

昨日、山陰若狭のキャンピングカー旅について、但馬国兵庫県北部)編を書いていたら、うまく保存できず、かなりの量の文章がふいになってしまいました。なぜだか下書きの機能がうまく働かなかったみたいです。あとで検索しても発見できませんでした。仕事時間中に作業の合間を縫って書いた文章だったので、結構ショック大きかった。

今日は休みなので、レクビィの「プラスLV +1」で甲佐町の津志田河川自然公園(通称乙女川原)にやってきました。パソコンを持ち込んでテザリングに初挑戦。無事にオンラインになったので、薫風に吹かれて但馬国編を再度書いてみることにしました。

但馬国への思い入れ

前回は鳥取砂丘の夕暮れまで書いていました。

5月2日午後7時すぎ、鳥取砂丘の駐車場を出発し、1時間ほどかけて兵庫県新温泉町にできて間もない「道の駅 山陰海岸ジオパーク浜坂の郷」に到着。GW期間中の道の駅はどこもキャンピングカーや車中泊らしき車でいっぱい。近くの七釜温泉で日帰り入浴しました。

 

旅吉にとって、この但馬地域に来るのは何となく思い入れがあります。

志賀直哉の「城崎にて」を読んだのが高校生の頃(内容は忘れてしまいました)。もう40数年前です。この小説に影響され、高校2年の時、友人と二人で列車旅をした際には城崎温泉の北西にある香住という海岸の町に立ち寄りました。そこで何をしたわけでもなくブラブラと海岸を散策したのをうっすらと覚えています。

旅吉が大学生だった40年ほど前には、浜坂から10キロほど内陸にある湯村温泉を舞台にしたNHKドラマ「夢千代日記」が放送されました。吉永小百合さんが主演のこのドラマは人気を呼び、やがて映画にもなりました。

かなり陰鬱な雰囲気の設定でしたが、当時の山陰はそうしたイメージがありました。ただ「山陰海岸ジオパーク」といった名称を見ると、「今はまた違った雰囲気で売り出しているんだなぁ」と時代の移り変わりを感じる次第です。以前に比べ、雪の量もだいぶ減ったと聞きます。

夢千代日記の舞台は湯村温泉

というわけで翌朝7時頃から、湯村温泉を散策しました。

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狭い谷間にある温泉ですが、近代的なホテルや旅館が立ち並んでいて、ドラマのイメージよりかなり明るく感じました。足湯がある河原には(ここはよくドラマで登場しました)湯煙が立ち上り、熊本でいえば阿蘇北部の杖立温泉によく似た規模と雰囲気でした。

足湯につかっていると、一人旅らしい40代後半くらいの割と綺麗な女性が少し離れた場所に座りました。「日常の仕事の疲れを癒しにきました」といった感じ。何だか気になります。

「この足湯は、もう少し温度が高ければまだ気持ちいいんだけど」と、旅吉が独り言にも取れるように呟くと、その女性は「そうですね。あと2度くらいかな」とニッコリ微笑んで返してきました。旅吉がちょっとドキドキしながら「ご旅行ですか? どちらから」と聞くと、「東京からです。夢千代日記という古い映画を見て、どうしても行きたくなって」と言うではありませんか。

ーなんて会話はありませんでした。足湯につかってそんな妄想をしていただけです。おやじらしいですね。悲しいくらいに。

後ろ髪を引かれるような思いで足湯を出て、旅吉はキャンピングカーへ。

夢千代日記の中では、「冬の夜には日本海の波の音が聞こえてくる」という設定でした。でもさすがに10キロくらい内陸なので、そんなことはなさそうでした。

重い病気を抱え呟くような語り口の吉永小百合、「貝殻節」を歌うガサツな芸者役の樹木希林(もしかしたら悠木千帆時代だったかも)など、プライムビデオで今見てもなお魅力的なドラマです。

余部鉄橋撮り鉄の聖地

湯村温泉を離れて、やはりこのドラマによく出てくる余部鉄橋を見にいきました。

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この鉄橋は明治45年、山陰本線に開通。山陰海岸と一体化したその姿は有名で、旅吉も高校生の時の旅でこの橋を渡ったことがあります。ただ鉄橋の下には集落が広がっており、「下に住んでいる人は怖くないのか」と思ったのを覚えています。

その予感が的中するように、夢千代日記が話題になっていた昭和61年、回送されていた客車7両が強風で約40メートル下に転落。水産加工場で働いていた女性5人と車掌1人が亡くなりました。これはショッキングでした。夢千代日記の陰鬱な雰囲気とこの事故がクロスし、強烈な印象が刻み込まれました。

余部鉄橋は2010年まで利用され、今は掛け替えられています。今は余部橋梁と呼ばれているようです。橋の下には道の駅や資料館があり、橋のすぐ脇にある余部駅までエレベーターで登れます。撮り鉄には聖地のようで、この日も朝9時前からたくさんの観光客がいました。

余部鉄橋の橋脚部分は一部今も残してあり、加工場があったあたり(道の駅のすぐ横)には鎮魂の像が据えられていました。

その後、高校時代の旅で海岸をぶらついた香住へ。

駅や海岸を見ましたが、残念ながらほとんど覚えていませんでした。町のスーパーで弁当を購入し、港でゆっくり食べました。この日の3箇所目の訪問地だったのですが、ようやく朝食にありついた旅吉でした。

それにしても但馬地域、電波の入りが悪かったなぁ。