一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

「咳をしても一人」の咳

どうも。旅するおやじ旅吉です。

中学一年生の時、国語の先生が「俳句は五七五とは限らない」と言って、自由律俳句の巨匠である尾崎放哉の句「咳をしても一人」を教えてくれました。

子供っぽいのにある部分早熟だった旅吉は、ひどく感動。この句はしっかりと記憶に刻まれました。小さなあばら屋に一人暮らす放哉が小さく「こほん」と咳をする静寂、それが勝手に抱いていたイメージでした。

ところが実際は違ったようです。胸の病に侵されていた放哉は、血を吐くように激しく咳き込んでいたみたいですね。苦しさに一人喘ぐ自分を読んだのでしょう。数年前に読んだ本で初めて知りました。

「で、何か言いたいの?」と言われそうですが、特に何もありません。言わば勘違いの面白さでしょうか。

また一つ自由律俳句作ってみました。

 

年下が苦手なままやがて定年

 

俳句というよりぼやきですな、これは。

ただ本心。高校一年の時、部活に参加して「年上の人と付き合うのってこんなに気楽で楽しいもんだったんだ」と驚いたのを覚えています。おそらく幼児の頃、隣近所に年上の子供たちが多かったのが影響したのでしょう。

ところが自分が上級生になり下級生が入部してくると、なぜだか下級生とうまく付き合えません。こちらから距離を取ってしまい、ちっとも楽しくありません。

で、そのまま高校を卒業。「俺って年下と付き合うのが苦手だったんだ」という思いを抱えたまま、大学生活を経て、社会人に。「いつかはそんな自分も変わっていくだろう」という淡い期待は現実になることはなく、やがて定年。「あれあれあれあれ」という感じです。

この40年あまり、この苦手意識をなるべく脳裏から追い出そうと頑張りましたが(正確に言うと、見て見ぬふりをする感じ)、その努力が身を結ぶことはありませんでした。

年上と接する時、結構たくさんの付き合い方の「引き出し」を持っていることを自覚できます。時には自分をさらけ出すことも可能です。それが年下との付き合いになると1〜2種類しか「引き出し」が存在せず、「水の如く」淡く単調で広がりのない関係になっているのが、自分で感じられるわけです。「あ、この感じ、よくないパターン」という場面の多いこと。

ただ、こんな付き合いではいい関係は作れませんね。人は寄ってこないし、まず何より付き合いが楽しくありません。

それにしてもこの年になって、年上だの年下だのグズグズ考えている方は旅吉以外いるのでしょうか。いやいるはずがない。

どうも煩悩が人より濃厚なようです。

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写真は大阪天保山の渡船場