一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

一人でいる方が元気

どうも。旅するおやじ旅吉です。

皆さんは「一人でいる時」と「みんなと一緒にいる時」のどちらの方が元気な自分でいられるでしょうか。

旅吉は間違いなく「一人でいる時」です。

子供が買ってきた「あたしンち」と言う漫画(けらえいこ作)を以前よく読んでいました。映画にもなったのでご存知の方も多いはず。高校生の主人公「みかん」にはちょっと大人っぽい親友の「しみちゃん」がいるのですが、ある日しみちゃんが「自分は一人でいる時の方が元気」と言って、みかんを驚かせるシーンがあります。

それが妙に記憶に残りました。「一人でいる時の方が元気」と言う表現がなんともいいな、と。「一人でいる方が好き」よりも前向きで説得力のある言葉ではないですか。

旅吉は一人でいる時の方が、断然良く頭が回るし、機嫌がいいです。周りに誰もいないと独り言を喋っても怪しまれません。本を読んでいてもテレビを見ていても、結構独り言を言ってます。その方が集中できるのです。

受験勉強の時もひたすら独り言を言いながら勉強していたので、その時の癖が残っているのかもしれません。もう40年前なのですが。

ですから孤独は苦になりません。もちろん限度はあるので、その度合いは一定のレベルまでとご理解ください。ただ、1ヶ月間ほど車中泊の一人旅をしても苦もなく達成できると思います。

逆に嫌なのは「大衆の中の孤独」。例えば数十人がワイワイと賑やかに仕事をしている職場の中、あるいはパーティーの中、話す人がおらずポツンと一人黙り込んでいる孤独です。分析するに、「あの人、ポツンとしてて可哀想」と他人に認識されてしまう恥ずかしさ、不甲斐なさ、とでも言いましょうか。孤独を愛しているにもかかわらずです。

この種の孤独は「良くない孤独」と分類しています。「相対的な孤独」とでも言うと分かりやすいかもしれません。他の人々と比べて自分は孤独な状態にある、と感じられる孤独です。こう言った時はすぐにその場からずらかることが大事だと思います。

ですので旅吉が好むのは「絶対的(に近い)な孤独」です。他と比較する必要がない孤独。これは甘い蜜の味がしますね。

そもそもにおいて、日本は(他の国もそうなのでしょうが)孤独であることを否定し過ぎてきたように思います。

「友達が多いことはいいことだ」「一人を好むのは暗い」みたいな感じ。

旅吉は若い頃、バブルを経験しましたが、あの時代、嫌いだったなぁ。80年代からその傾向は感じていましたが(おそらく「笑っていいとも」が一つのきっかけだったような。でもタモリは大好きです)、90年前後の「明るさ」至上主義は辟易しました。今でも時折流れるバブル時代の「懐かし映像」を見ても、当時を思い出して少しだけ不快な気持ちになります。

それからすると、多様性を求める今の時代はいいですね。

一人キャンプを展開する「ヒロシ」の存在も大きい。20年前は一人でキャンプしている人など限られた数でした。北海道のキャンプ場でそんな人を見掛け、「わ〜可哀想」と思ったことを記憶しています。この旅吉が‥。ほんと信じられません。

で、今の自分を再度見つめ直してみると、孤独を尊重し過ぎているのか、友人と呼べる方はいません。もちろん知り合いはいます。同僚も句会のメンバーも立派に「知り合い」です。ただ社会人になってから「友人と呼べるものは簡単にできないんだな」と痛感したのを覚えています。

さて来年60歳になる旅吉のこれからの友人関係はどうなるのでしょうか。孤独を愛しながらも「やっぱ友達はいたがいいよな」といったような、どっちつかずの立ち位置は絶対に避けるつもりです。友人はつくるものではなく、できるもの。この考えは40年来変わりません。

「じいちゃん。ほら、たまには公民館のサークル活動に参加してきなっせ」と娘や孫(まだいませんが)に言われても、「馬鹿んごつ(馬鹿言うな)。おらひとっでよか(自分は一人で構わない)。お前たちゃ黙っとけ」と言い放つ年寄りを目指します。

まぁそれも妻が元気なうちの空元気に終わりそうな気もしますが。