一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

旅も終盤に入ったような感じ

どうも。旅するおやじ旅吉です。

おそらく全国半周の旅「春編」は終盤に入っているのだろう。そんな気がする。

なにしろ4月の半ばまでには熊本に帰る必要がある。娘が出産するためだ。さすがにいないわけにはいかない。仕事の出張ではなく、趣味の旅なのだから。

で、今、石川県の輪島市にいる。初めての訪問。旅人を自認する割には、旅先として人気が高い能登半島をスルーしていたとは情けない限りである。

これまでのブログで長野県から糸魚川経由で富山県に入ったことまで書いた。

ただここで富山県の報告を始めてしまうと、「○○の風景は素晴らしかった」とか「記憶に刻み込まれた」などといつもの漫然とした記事になってしまうので、今日はやめておく。

すでに3週間以上を費やし、すでに自分史上最長となっている長旅において、旅吉は何か掴んだものがあったのだろうか。あるいは自分の中の変化、みたいなものが‥。いや、あろうがずがない。

ではせめて俳句が上達する何かを会得したか? いやそれもない。余計に下手になっているのを実感している。

孤独感が募り、家族の大切さを再認識したか? 残念ながら孤独感を感じていない。だから家族への思いは以前のままだ。自分がこれほど孤独(な状況)に耐性があるとは驚いた。

その毎日を簡単に紹介しよう。

朝起きて、自分で朝食を作って、トイレや歯磨きを済ませ、宿泊地(ほぼ道の駅)の周りをしばし散策。今日の予定ルートを思い描き(時に深く悩み)出発する。

旅に出る前は「旅の半分くらいはその土地の図書館に籠り、歴史や風土を把握しよう」と妄想していたが、実際に旅に出ると「そんなことしてたら時間がもったいない。せっかく気候がいいのに」と強く思ってしまい、必死になって自分にとって有意義と思われる観光ルートを毎日毎日設定している。

食に関するこだわりはないので、私の食事は半分「餌」だ。妻が「野菜は欠かさずに」というので愚直なまでに「洗わず食べられる野菜」をスーパーで購入。小さな炊飯器で無洗米を炊いて、実に質素な食事を繰り返している。

なのでいつも少し空腹だ。それを解決すべく1日1回は外食する。質素な自炊(と言っていいのかな)ばかりなので群馬県沼田市の小さな食堂で食べた「味噌カツ定食」は涙が出るほど美味しく感じた。ちょっと涙目になった。

風呂もあまり問題ない。九州と違って低温・乾燥している地域なので(特に東日本に入って以来、「熊本とこんなに気候が違うのか」と実感する日々)、連日までは風呂に入る必要はなく、風呂に入らない日は濡れタオルで拭いている(想像するんじゃない❗️)。何しろ本州は風呂代が高い。

夕食を終えた後は、自らをせっつくようにブログを書いたり、文庫本を読んだり。テレビもたまに見る。

それからラジオをよく聞いている。運転中もだが、夜、ぼんやりとその土地のラジオ番組に耳を傾けるのはを旅心を掻き立てられる。

やはり大阪のラジオ番組は面白かった。富山・石川も独特な味わいがある。時に方言を交えたりされると興味を惹かれる。熊本で同じことされると「そんな変な形で郷土におもねるな」と思ってしまうが、こうやって別の土地で同様な経験すると、決して間違った演出ではないな、と感じるのである。

ところで今日、能登半島の西岸を走っていると元同僚から電話がかかってきた。2月末の退職以来初めてだ。運転中だったので取らずに数分後にかけ直すと、相手は出ない。ピンときた旅吉は「もしかして間違い電話だろ?」とラインしたら、「すいません。間違えました」との返信だった。

「時間があるなら飲みませんか」と誘いの電話かなと一瞬でも思ってしまった自分がちょっとかわいそうだった。だがちょっと小説っぽくてドラマチックだなとも思った。能登半島とマッチして、いいアクセントになった。

下の写真は松本清張ゼロの焦点」で有名な「やせの断崖」。読んでないが、ラストにヒロインが飛び降りるとか。

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