前回書いた弘前城の続き、みたいな話になる。
南国の人間にとって北国、雪国はたまらなくそそられる言葉である。津軽海峡、竜飛岬、津軽など聞くだけで旅情が湧き上がる。五所川原、十三湖、金木といったちょっとマイナーな地名も、私のような地理オタク、旅オタクにはたまらない。
東京で大学生活を始めてに間もない9月、東北周遊券を使い1週間ほどかけて東北全域を巡った。その前年に上映された高倉健主演の映画「海峡」に登場する竜飛岬が最終目的地だった。大きなザックを背負っていっぱしの旅人になった気分で20歳の私は竜飛岬を訪ねた。その頃の私は今のように太っておらず、髪の毛もたくさんあった。皺一つなかったはずである。若さはそれだけで武器だ。魅力だ。もちろん当時の私はそんなこと考えもしなかった。勿体無い話だ。
前夜は青函連絡船の待合室で一夜を明かしたので、完全な寝不足であるが、それさえも自分を酔わせた。多分「キャビン」か「マイルドセブン」で目を覚まそうとしたことだろう。タバコは37歳でやめた。
大学生の私は、青森駅から列車(当時は国鉄)で終点の三厩へ。バスで竜飛岬を目指した。ところがそのシーン以外、竜飛岬の展望台(?)に登る県道が、人一人やっと通れる登山道だったことくらいしか覚えていない。海峡の向こうに北海道が見えていたような気もするが、もしかしたらそれは映画のワンシーンを覚えているだけなのかもしれない。
以来、東北には何度か足を踏み入れたが、青森に限ればずっと訪ねる機会がなかった。九州にいると仙台や札幌には福岡から飛行機が飛んでいるので、比較的訪問しやすい。一方、青森、岩手、秋田、函館などの道南地域は、たどり着くまでにかなり時間と費用がかかり、休みの日程が限られている社会人にはなかなか厳しいものがある。そんな中、ようやく実現したのが真冬の津軽海峡を巡る旅なのである。前置きが長くなった。というか自分は前置きを書くためにブログを書いているのではないかと思ってしまう。
あと一つ前置きになるが、NHKのドキュメンタリー「72時間」で津軽海峡を渡るフェリーを3日間追いかけていた。青函連絡船がない現在、以前の旅情を味わおうと思う人々はこのフェリーに乗っており、放映以来、すっかり人気が高まったようだ。私の旅行熱もググっと煽ってくれた。
私の計画はこうだ。青森から新幹線で函館に渡り、フェリーで青森に帰る。新幹線に比べれば料金はずっと安いし、船旅ならではの旅情も堪能できるので、一石二鳥なのだ。
その日は朝から、弘前市や太宰のふるさと金木町を巡った私と妻は、五所川原から新青森にバスで向かった。五所川原駅前のバスセンターは、目深に帽子をかぶった健さんが登場しそうな雰囲気でいい気分になったが、若い運転手が操るバスはかなり乱暴だった。雪深い山道をかなりのスピードで走る。「あー、俺も雪の東北で死んでしまうのか。運転手の運転が乱暴だったとせめて証言したい」と少し死がちらついたが、どうにか無事に新青森に着いた。もう夕方。積雪70センチの青森だ。
北海道新幹線は結構ガラガラだった。新青森駅を出てしばらく進むと、青函トンネルに入った。割とゆっくり進む。時速100キロは出ていなかったように思う。トンネルを抜けるのに思いのほか長くかかったようだ。トンネル通過中は窓の外を見ても特になんということもないので、結局、スマホで太宰治の「津軽」を読み、この日訪ねた記憶とクロスさせて、脳裏に深く刻む。旅行中にその地を舞台にした小説を読むのは、私の旅の鉄則だ。気分が一気に盛り上がる。映画「海峡」も反芻してみる。「トンネル野郎」たちが青函トンネルを掘り進む様子をイメージしようと努力したが、新幹線に乗っていてもなかなか想像力は働かない。新幹線の開通前、まだ在来線だけが走っていた時に来たら、ちょっと違ったのかもしれないと思う。
函館北斗は函館からだいぶ北側だ。在来線で函館駅に向かった。函館の寒さは青森とそう変わらなかったが、積雪はだいぶ少なかった。30〜40センチほどか。それでも南国の人間からすると、すごい。
函館は北国とはいえ、明るい街だ。町ではなく街。いくつもの坂道があり、領事館跡や教会が並ぶ函館山の麓を歩いていると実に気分がいい。五稜郭も良かった。すぐ横にある展望タワーから見下ろすと、ヨーロッパの城郭を模して幕末に造られたこの城を俯瞰できる。帰り道、電停近くの「無印良品」で靴下を買ったが、九州で売っているのと一緒だった。
さて帰りのフェリーだが、結果から言うと乗れなかった。
妻が凍った道路で転倒し、怪我をしたからだ。その場所は少し前に私もずるっと滑って、危ないところで転倒を免れた。同じ場所で妻は盛大に滑って、本人曰く「頭から落ちた」。確かに頭に血がにじんでいた。しばらくは混乱していて、後に妻も「30分くらい、まともな精神状態でなかった」と語っていた。病院に連れて行こうかとも思ったが、病院嫌いの頑固妻は「明日の朝、異常があれば行く」と言って聞かない。さてどうしようか。朝出航するフェリーに乗らないと、仙台空港発の福岡空港行き飛行機に間に合わない。しかしこの時の不確定な状況ではとてもフェリーに乗る覚悟はできない。仕方なくフェリーは諦め、また新幹線で海峡を渡ることを決断したのだった。妻は「一人でフェリーに乗っていいよ。楽しみだったんでしょ? 私は新幹線で帰るから仙台で落ち合おう」と言うが、まさかそんな冷たいことをしたら、一生じくじく言われるに決まっている。
がっかりした私は夕方、遠くに下北半島が見える海辺まで一人で散歩に出て、津軽海峡を眺めたのだった。そこで撮ったのが添付した写真である。また行きたい。津軽海峡。今度は一人で。
妻は翌日、特に問題か発生することはなく、自宅に帰ってから念のため病院に行ったが、異常は見つからなかった。