一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

そういえばあの人達がいた

旅するおやじ旅吉です。

紋別市からさらに南東へ。サロマ湖を観光した後、北見市常呂地区に入ったあたりで「カーリングホール」の案内板。そうだ常呂といえばカーリングだ! 北京冬季五輪銀メダルのあの人たちが、この町にいるんだ! 旅吉のテンションが一気に上がる。

実は五輪が大好き。特に冬季五輪は南国熊本には縁の薄い大会だけに「ないものねだり」の憧れがあり、かなり集中して観ている。その中でもやっぱ、女子カーリングでしょ。おっさんたちはみんな好きです。

というか、競技を観ているのか、選手たちを見ているのか、分からなくなる時がある。

北海道を旅しているのに、なぜ彼女たちのことを忘れていたのか。旅吉としたことが‥。もし違うルートを辿っていたら、全く気づかずに終わっていたではないか。

実を言うと、最初はサロマ湖を見た後に内陸へ入ろうかと思っていたのだが、分岐の交差点で「やはり海岸線を」と直感的にぐぐっと左へハンドルを切った。それが奏功した。

今日、後半生の運の半分近くを使ってしまったような気がする。

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旅吉同様、「聖地」と言わんばかりに訪ねてくるおっさんたちが多いのだろう。ホールは競技場プラス資料館として機能していた。

初めて見るカーリングの競技場。思いのほか広かった。「ここであの4人が北海道弁を交えて練習してるんだな」と感慨にふける旅吉。ほかにも二組、初老の観光客が来ていた。みんな幸せそうな顔をしてた。

2階が観覧席と資料スペース。写真を撮らせてもらいました。

個人的には吉田知那美さんのファンです。表情豊かでいいよね。一緒にいるだけで幸せになりそうだ。
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もしかしたら、吉田選手たちに会えるかなと期待したものの、だれもいませんでした。

その後、セイコーマートでおにぎり買って、網走市へ。博物館「網走監獄」を初めて訪ねた。市内の違う場所にあった網走刑務所から建物を移築し、博物館にしている。国の重要文化財に指定されている建物も複数ある。

刑務所が設置された当初は、西南戦争に参加した士族など政治犯が多かったようだ。凶悪犯らが収監されるのはもっと後になってから。道路や鉄道の敷設作業に動員された話は有名。丹念にそのあたりを紹介している。

入場料は1500円とお高いが、訪ねる価値はある。
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網走市は人口35000人。オホーツク沿岸は寂しい町が続くが、紋別を過ぎるあたりから俄然にぎやかになる。

濤沸湖の夕暮れは美しかった。しかしあすから週末にかけて天気は下り坂である。さぁどうしよう。
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ウッシーとの日々の舞台へ

旅するおやじ旅吉です。

 

北海道に憧れを持つきっかけになったのは、ドラマや映画が大きかった。「北の国から」「駅ーステーション」「キタキツネ物語」。「男がつらいよ」にも網走や小樽がロケ地として出てくる。

それとは別に、はた万次郎さんのエッセイ風漫画「ウッシーとの日々」も旅吉の心に深く刻み込まれている。

はたさんはもともと北海道出身。上京後に漫画家として活躍したが、30歳の時に北海道にUターンすることに。それも実家ではない。誰も知り合いがいない、観光地でもなんでもない、それまで存在さえ知らなかった下川町に移住する。

はたさんは下川町で半分崩れかけた住宅に住み、子犬のウッシーと一緒に新たな生活を始める。で、その暮らしを描いたのが「ウッシーとの日々」なのだ。

漫画週刊誌に連載されていたのは昭和から平成に変わった頃だった。もう30年以上前である。

旅吉はその頃、社会人になって4、5年目だった。かなりハードな日々を送っていた。連日、真夜中の12時過ぎまで仕事をしており、休日出勤も少なくなかった。疲れ切っていた。その割には仕事ぶりを認められていない思いもあり、ストレスから自律神経がかなり乱れた。どうにか持ちこたえていた。

そんな時に目にしたのが、この「ウッシーとの日々」だった。アルバイトの大学生が持っていた雑誌を時々借りて読んだ。実に癒された。というか日々の「支え」に近かったかな。

北海道というと大自然、温泉、グルメなどに目が行きがちだが、その一方、個人的には「意外とし〜んと静まりかえった寂しい地方」という印象も持っている。カラスの鳴き声や風の音ばかり響き渡っている町もある。それはそれで魅力とまでは言わないけれど、北海道の個性の一つだと思う。

この作品には、そうした北海道の良さと寂しさが見事にマッチしていた。主人公のはた画伯はちょっと間の抜けた移住者として描かれ、そこそこ大変でそこそこ変化に富んだ愛犬との暮らしが淡々と綴られている。

そして移住というテーマが「今いる場所ではない別のどこか」に逃げ出したくてたまらなかった旅吉に、これまた見事にマッチした。

当時は今ほど「別の地方への移住」が受け入れられていなかったように思う。なんせバブルの真っ最中だ。社会的には移住など「負け組(なんて言葉はまだなかった)の戯言」としか映っていなかった。もちろん、はた画伯は東京で一定の成功を収めた後の移住。それがこの漫画に安定感をもたらしているのかもしれない。

で、今回の旅で初めて下川町を訪ねた。

名寄市から東へ車で20分ほど。ググってみると知ったが、下川町出身者には伊東や葛西など有名スキージャンパーがずらりといる。町営スキー場にはジャンプ台もあり、子供たちの合宿にしばしば使われているとか。

旅吉がとりあえず行ってみたのが、下川版「万里の長城」。町おこしが盛んだった90年代に造られたミニ長城みたい。

なぜ下川町に万里の長城?と思って調べたら、中国旅行をした町職員が万里の長城にいたく感動し、地元にミニ長城を造ることになったらしい。90年代っぽいなぁ。あの頃はイケイケドンドンだったから。「何かやらなくては」という空気に満ちていた。

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万里の長城から見える下川町の町並み。この町も道路幅がすごく広いです。みんな大好きセコマもありました。考えてみると町の規模からすると有名人がひどく多い。
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ウッシーとの日々の表紙。ネットからコピーさせてもらった。
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下川町から再びオホーツク沿岸へ。興部町でラーメンを食べた後、町立図書館で、漫画ではなくはた画伯の「移住日記」という本を読んだ。そこで知ったのだが、画伯の住む集落は、興部に来る途中で通過したみたい。事前に調べておけばよかった。惜しいことした。

はた画伯は私より一つ年上。まだ元気で漫画や文章を書いていらっしゃるようです。

あすはリラ冷えの一日だとか

旅吉です。

稚内からオホーツク沿岸を南東へ進んでいる。

日本海側と比べてかなり雰囲気が違う。日本海側の方々には申し訳ないが、あれほど頻繁に見かけた廃屋があまり目立たない。なぜなのか。地元の方々にはさすがに聞けないので、旅吉なりに勝手ながら推測してみた。

日本海側は昭和30年頃までニシン漁で栄えた。暖流の影響か米作りも可能だった。入植者も多かったのではないか。住宅もどんどん建てられた。ところがニシンが獲れなくなり、それに替わる決定的な産業が見つからないまま、人口は減少した。なので廃屋が多い。

かたやオホーツク沿岸では、千島海流からの冷たい「やませ」の影響をもろに受ける。流氷もやってくる。米作りは無理だ。おそらく戦前の開拓は日本海側に比べて遅れたのではないか。しかし戦後、酪農やホタテ漁などが安定し始めると経済基盤が安定したのではないか。

地形的にも日本海側は平野が狭く、漁業に頼らざるを得ない。一方、オホーツク側は平地が広い。この辺りも影響しているような気がする。前にも書いたが江戸時代以降、干拓で平野を広げた地方の方が、その後の発展が目覚ましい。

無責任で乱暴過ぎる推測かもしれない。もし全く間違っているなら、失礼を詫びます。

それにしても、道北に来るとインバウンドの姿をほとんど見ることがない。洞爺湖や登別では外国語ばかり耳にしたのに。稚内公園で記念写真を撮っているのは日本人の高齢者が多かった。

ただバイクのライダーやチャリダーは結構目立ってたなぁ。道北には彼らを目当てにした食堂も多いようだ。このノリは20世紀から変わらない。数はかなり減っているだろうけど。

さて、北オホーツク地域の写真。

今日は久々に青空が広がった。気温は15度前後までしか上がらず、午後から風も強くなった。

上の3枚が猿払村。

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以下の2枚は浜頓別町のクッチャロ湖。まるでフィンランドの風景(ここには行ったことあり)。気付けばスズランも咲いていた。
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ライラック(フランス語でリラ)がいま、道北で満開だ。NHK気象予報士によるとオホーツク沿岸はあす、「リラ冷え」の一日になるとか。最高気温が12度らしい。

頑張ってリラ冷えを季語に俳句を20句くらい作ってみよう。

稚内で強風に吹きさらされる

旅するおやじ旅吉です。

稚内から樺太が見えないかなと期待したが、ダメだった。一昨日の夕方、道北に入った頃からずっと天気が悪い。特に稚内は風が強い。

仕方ないので観光は早めに切り上げ、市立図書館に行った。で、郷土書籍のコーナーへ。こうしたコーナーでは必ず、ほかの地方では見れない面白い本に出会えるのだ。

今回もありました。明治期に北海道で布教活動をしたロシア正教会の宣教師が、その時の様子を記録した本。熊本にはおそらく置いてない。

さっそく稚内の下りを読んだ。9月に増毛から船で利尻、礼文を経由して稚内入りするが、オホーツクから吹き付ける強烈な東風に苦しみ、寒さに往生する様子が描かれていた。

今回、旅吉は雨混じりの強い西風に吹きさらされた。大袈裟ではなく台風並み。夜中に何度か目が覚めた。車中泊のつらいところ。しかし天気予報では特に触れていないので、割とよくある天候なのかもしれない。

熊本の暑さと湿気にはいつも辟易しているが、稚内の気候も想像していた以上に厳しそう。冬の寒さは言うまでもない。

ちなみにこの稚内市立図書館は、樺太アイヌに関する本を相当な数、所蔵しており、興味深かった。

また、図書館利用者の年齢層の若さに驚いた。もちろん自習スペース目当てもあるのだろうが、漫画本が潤沢に並んでいることなども影響しているのか。逆に高齢者の姿が少なかった。図書館はホント、地域性出ます。

さらに驚いたことに、住宅地の中にあるこの図書館の駐車場にエゾシカの姿が。稚内公園ではかなり見掛けたが、まさかこんな場所まで。

稚内の写真。

まずは稚内公園にある氷雪の門。樺太での記憶や引き揚げの苦労を次代に伝えようと樺太を望む丘に建てられた。公園からは稚内の街並みが一望できる。

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稚内公園一帯は南極に連れて行かれて樺太犬の訓練の場でもあった。
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稚内には二つの有名な岬がある。西側にあるのがノシャップ岬。市街地から割と近く、ウニ丼の人気食堂もいくつかありました。
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岬の近くから、ぎりぎり利尻富士が見えた。どうにか撮影。
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稚内日本海側の風景はどこか寂しげだ。
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市街地にある樺太記念館。すごくわかりやすい。明治〜終戦樺太をよく理解できる。おすすめの場所。
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そして宗谷岬。日本の最北端。残念ながら樺太は見えませんでした。
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ところで道の駅の車中泊で一番嫌になるのが、一晩中エンジンを切らない乗用車のアイドリング音。大型車の音は低くて一定しているので個人的にはあまり気にならないが、普通車の場合は音が高い上、その音が大きくなったり小さくなったりと一定せず、ものすごく気になる。

今日もそんな車がいるのでこちらで駐車位置を変えた。おかげでトイレからかなり遠くなった。それでも聞こえてくる。言うなら駐車場いっぱいに響き渡ってる。

ほかの方々は気にならないのかな?

 

 

 

日本海沿いをひたすら北上

旅吉です。

日本海沿いを北上して稚内に着いた。札幌から330キロ。日本海オロロンラインと呼ばれているルートだ。

 

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石狩市の北端あたりまでいくと、雪を冠った暑寒別岳が見えてくる。
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石狩市増毛町を結ぶ道路は昭和の終わり頃ようやく完成。平成に入って観光振興のためオロロンラインと呼ばれるようになった。

この道路が通過する増毛町の雄冬地区は、高倉健主演の映画「駅ーステーション」で健さんの出身地として描かれ、ロケ地になった。妹役は小手川祐子。

映画にも出た雄冬神社。
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増毛町の中心にある増毛駅一帯も重要なロケ地になった。映画のタイトルがそれを表している。

刑事役の健さんが小料理屋の女将である倍賞千恵子と出会う場所。旅吉は映画が上映された翌年、大学1年の夏、この地を訪ねている。実は今回が3回目の訪問なのだ。定点観測地。
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鉄道はすでに廃線となったが、今でも多くの健さんファンが訪れるらしい。立派な観光地になっている。国重要文化財の商家跡もある。
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さらに北上。留萌市からも暑寒別岳が見えた。
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北海道らしい浜辺。なんとなくロシアっぽくもある。行ったことないけど。
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小平町には明治期に建てられた巨大なニシン番屋跡。国の重要文化財だ。
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初山別村にはつい最近、NHKの「72時間」で取り上げられたコンビニが。村で一軒だけのコンビニ。記念に買い物したら、番組に出ていた店長さんがいた。
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遠別町天塩町幌延町とさらに北上を続ける。風景がスコットランドっぽくなる。もちろん行ったことない。風がすごい。宮沢賢治ではないが、「ドッドドドッド」と車を揺らす。一日中ずっと吹いている。車外に出るのがつらくなった。
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風力発電の風車が延々と。なんだか小説が書けそうな妄想に襲われる。
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豊富町サロベツ原野。ひたすら風が吹き、気温は15度前後だが体感は10度以下だ。
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そして稚内。人口3万人ほどなのに、利尻礼文への中継地でもあるせいか、賑わいがある。道の駅には映画館まであった。
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とうとう北の最果ての町までやっきた。感慨深い。

ヒグマの報道が続く

旅吉です。

北海道に上陸して数日たつが、NHKのローカルニュースは連日ヒグマの出没がトップだ。二番手が季節外れの暑さ。ほぼ変わらない。

これまでも書いた通り、1人で森の中の散策道を歩いていると、やはり怖い。普通に1人で歩いている方を見ると「勇気あるなぁ」と感心してしまう。

今日流れていた報道では、ヒグマの保護が叫ばれ出した80年代から春季の駆除が減り、その影響で「人を恐れないヒグマ」が増えてきたらしい。ハンターも減っている。老練なベテランハンターは「このままではやがて大変なことになる」と話していた。

今回の旅で旅吉は、地元の方々へ機会があるごとに「ヒグマはこのあたりも出没するんですか」と聞いている。「出ますよ」と勢いこむ人もいれば、「まぁ話には聞きますね」と面倒くさがる人もいる。

なので実際の危険度がわからず、旅行者としてどんな対策を取ったがいいかピンとこない。里山歩きが好きなので尚更だ。

鈴を身につけたり、ラジオを流しながら歩いたり‥。ただ「それも通用しないヒグマが現れだした」とその報道でベテランハンターは話していた。

話は飛ぶが、吉村昭の小説「羆嵐」は衝撃的だった。留萌市の北にある苫前町で大正時代に発生したヒグマ騒動「三毛別羆事件」を題材にした作品。この時7人が亡くなっている。

現場には、開拓民の家を襲うヒグマの様子を再現した模型があるので、見に行った。

苫前町の海岸から内陸に20キロばかり。民家はなくなり、やがて舗装された県道も細い砂利道になる。天然林の中に入ってしばらくすると、誰もいない現場に出た。夕方4時半。鳥の声だけ響く。

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模型で当時を再現しているわけだが、ヒグマの大きさに愕然とする。こんなデカいのが襲ってきたらひとたまりもないだろう。それにしてもなんでもこんな場所まで開拓民が置かれたのか。森の中の渓流沿いなのに。いろんな思いがよぎる。

写真を数枚撮って、急いで現場を離れた。何しろ7人が亡くなった一帯なのだ。「来なけりゃよかった」とも思った。暗澹たる気分になった。

あまりに悲惨な事件ゆえに目を逸らしたくないのか、苫前町はヒグマをくまのプーさんみたいなキャラクターに仕立てて、あえて前面に押し出している。現場までの県道を「ベアーロード」と名付け、あちこちに看板を立てている。

現場に向かう途中、またキタキツネを見た。3回目。北海道に来てタヌキもサルも見た。カラスはわんさかいる。でもヒグマだけはホントにごめんだ。

 

北海道のファミリーヒストリー

旅吉です。

前から抱えていた疑問がある。北海道で本格的な開拓が始まったのが明治時代。ということはいま北海道に住んでいる方々の先祖は多くが入植者ということになる。ちなみに北海道の人口は500万人超。

道民一人一人が「自分の先祖は○○からやって来た」という明確なファミリーヒストリーがあるということか。そんなことあり得るのか。

で、確認してみた。

札幌市の東端に「北海道開拓の村」という「北海道版の明治村」のような施設がある。

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今日、旅吉は開場と同時に勇んで入場。あちこちにボランティアの方々がいらっしゃったので、建物の説明を聞くついでに、失礼ながらこの疑問を投げかけてみた。

明確な答えが返ってきた。「もともと仙台なんですよ。先祖が伊達の殿様についてやってきたらしい」「うちの先祖は青森。津軽の方です」。ヘェ〜と思った。

念のため「道民の方々はみんな、そのあたり正確に把握してるんですか」と聞くと、「以前は県ごとの組織があったけど、今の若い人たちはあまり意識してないかな」とのこと。まあそうだろうな。

ただ、明治維新以来、入植者の末裔は500万人余りに広がったということになる。

言うなら、札幌の街中を闊歩する人々、登別温泉で忙しく立ち働く人々、みなさんにそういったダイナミックな入植の歴史が刻まれているわけだ。それは感動的でさえある。

今日は札幌市の北海道大学と植物園にも行った。原生林を切り開いて教育施設にした面影がまだ濃厚に残っている。

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「森の中に大学がある」感じだ。ハルニレやカラマツの巨木が空を覆っていた。開拓が始まりまだ150年。当然ながら面影は残るだろう。それが手に取るように見えてしまうのが北海道の最大の魅力なのだろう。

ちなみに北大といえば、NHKの「72時間」で人気だった「北の大地の学生寮」。大学構内があまりに広く、結局行きつかなかった。残念。

ただ、先に訪ねた「開拓の村」には昭和58年に解体された旧北大寮が残されていた。かなりバンカラだったみたい。いろんな資料やエピソードが展示されていて面白かった。

大通公園では「ライラック祭り」で大賑わいだった。薄紫のライラックの花は北海道を旅していることを実感させてくれる。

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それにしても今日の札幌は暑く、夏日だった。でも九州のような強烈な陽の光ではない。緯度の関係だろう。明るいけど、やはり光が弱い。夕方になるとその特徴がはっきりとする。でもそれがまた北海道の魅力。なにかロマンチックなのだ。