一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

いつかは歩き遍路で札所巡り

旅吉です。

四国の八十八か所札所巡りを「いつかやってみたい」と考えている方々も多いと思う。その時のために旅吉が感じた現実的な情報をお伝えしておきたい。

【札所巡りの方法】

旅吉はマイカーで回ったが、割合としては一番多いのではないだろうか。ざっと見た感じ、6~7割がそうみたい。各札所にはほぼすべて駐車場がある。その7~8割が駐車無料だが、街中の込み入った場所や逆に山間部の隔絶された場所にある札所では、300~500円の駐車料金を取られることも。

札所の場所はあちこちに入り乱れているので、ガソリン代もばかにならない。気ままだけど費用がかかるのが、この方法。ナビがあっても意外と迷ってしまう。ちなみに徳島県はガソリン代が安かった。

結構多いのが観光バスで巡るパターン。何度か30~40人の団体で参詣している団体に出くわした。そういったツアーでは「先達」と呼ばれる遍路の「プロ」が付き添い、札所を案内して正しい参詣の仕方などもを教えてくれるようだ。香川県の85番札所八栗寺でもそうした団体に遭遇。世話役の女性に聞いたら地元香川の人たちを集めたツアーだった。四国外の方々とばかり思っていたので、驚いた。

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札所巡りに一番ぴったりくるのが歩き遍路だろう。一気に巡る人、分割して巡る人などやり方は様々みたい。歩き遍路はおそらく全体の1割ほどではなかろうか。ただ風格がある。伏し目がちに「遍路道」(昔ながらのお遍路のルート)を歩いている人を見かけるとき、車で気軽に回っている旅吉は畏敬の念を持ってしまうのだ。外国人の歩き遍路も最近増えつつあるみたいで、何度か見かけたけど、宿の予約にかなりの労力を使っているらしい。札所巡りは基本的にアナログの世界なので、デジタル化からは切り離された世界なのだ。でもそこがいい。

ちなみに歩き遍路をした有名人に、元首相の菅直人や今は亡きショーケンこと萩原健一がいる。思うところあったんだろうな。

【参詣】

般若心経を必ず唱えたがいい。あちこちの札所にお経が書き込まれた小さな手帳が売っているので、それを見ながら。はじめは声に出して読むことに抵抗があるが、やがて慣れる。2~3分ほどで唱え終わる。澄んだ心持ちになれる。

お遍路さんならほぼ全員集めているのが御朱印。何より記念になる。本堂と太子堂でお参りした後、納経所で御朱印をいただくのが通常の流れ(本当はもっと複雑なのだが省略)。納経帳(本の形をしたもの)に書いてもらうなら300円。旅吉のように掛け軸に書いてもらうなら500円。実は今年の4月から200円ずつ値上がりするらしい。すべての札所でそうなるのか、据え置きの札所もあるのか詳しいことは知らないが、ほとんどの納経所で告知を見かけた。

朱印を押して墨でさらさらっと書いてくれるので、そのあと乾かさねばならない。納経所には必ずドライヤーが設置してあるのでそれを使う。「この寺の御朱印は丁寧だな」とか「なんとなく雑な感じがするな」とか、そんなことを考えながら乾かす。御朱印とドライヤーの組み合わせは妙にかけ離れていて面白い。

注意点を一つ。団体のお遍路さんに遭遇したら、急いで納経所に向かうこと。世話役の方々が全員分の納経帳をどかっと持ってこられるので、先を越されると長い時間待つことになる。

【隔絶された札所】

徳島県にある第1番札所霊山寺香川県にある最後の88番札所大窪寺。このあたりの各札所は比較的近い距離にあるため、巡るのも楽だけど、徳島県の南半分、高知県愛媛県の南半分(要するに四国南部)は各札所の距離が遠いうえ、とんでもなく山の中に札所があったりする。

その代表的な例。21番札所の太龍寺徳島県阿南市)は標高600メートルほどの山の上にあり、山麓からロープウエーでいかなければならない。往復2600円。札所巡りは意外と費用がかさむ。宿泊費(旅吉の場合は車中泊なので問題なし)、ガソリン代、食事代、御朱印代、駐車場代…。そんな中で登場するロープウエー代。旅吉は「どうにかして車で札所まで行けないか」と調べたが、「行けないこともないが車一台通るのがやっと。お勧めしない」というネット情報ばかり。このロープウエーもそうした状況を考慮して地元自治体が設置したらしい。

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しかし結果から言うと、ロープウエー使って正解でした。景色は素晴らしいし、何より楽。乗り合わせたお遍路さんたちを観察するのも楽しい。ほかにも香川県の66番札所雲辺寺もロープウエーにも乗った。こちらもよかった。

ちなみに旅吉が最後の最後に参詣することになった愛媛県の60番札所横峰寺は、標高750メートルの山中。車でどうにか行けないこともない場所だが、かなり離合が難しい林道(有料1800円)を6キロほど進むらしい。で、ケチったわけではないが、意を決して山麓から標高差500メートル余りを歩いて登った。「自分にとっては最後の札所なので、それくらいの苦労はしようじゃないか」という気持ち。

昔ながらの苔むした遍路道。何人かの歩き遍路とすれ違った。あまりの急坂に何度も休みながら一時間以上かけて到着。春一番が吹いた日だったが、真夏のように汗びっしょりになった。でも感動はひとしおだった。歩き遍路の醍醐味も味わえた。

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四国の八十八か所札所巡りは日本遺産に登録されている。遍路道のあちこちに江戸時代に建てられた石の標柱が見られ、歩き遍路用の休憩所も随所にある。「いつかは歩き遍路に挑戦してみるか」と、とてつもない夢を持った次第だ。

 

感動満載ー八十八か所札所を踏破!

旅吉です。

四国の北半分を巡る2週間の旅を終えて、2日前に熊本の自宅に帰った。

前回も書いた通り、第一の目標は道半ばだった四国八十八か所の札所巡りを完全に終わらせること。二十数年前から四国に行くたび、観光地訪問の合間にちびちびと札所を巡ってきたが、何しろ無計画なため、御朱印を書いてもらう掛け軸もあちこち隙間だらけだった。

しかしどうにか2年前、香川県徳島県の計30か所あまりを残すまでに漕ぎつけていた。で、今回、全部の札所を巡り終わったのである。拍手。結構大変でした。

自家用車で巡るお遍路は「御朱印集めに終始してスタンプラリーに陥りやすい」という指摘もある。それは否定できない。ただ旅吉の場合、歴史や神社仏閣にこの上なく執着するため、無味乾燥なゲームにはならなかったと自負している。

本来であれば白い遍路衣装を着て笠をかぶり、杖を突き、般若心経を心行くまで唱えるのが理想だし、実際、巡礼をしている人たちの7割方はそうしている。旅吉の場合、普段着で回ったので、どうしても「なんちゃってお遍路さん」になってしまったのは否めない。とはいえ、二十数年かけ四国の山や川を越えて巡ったのだから達成感はある。

全札所の御朱印がそろった掛け軸は、帰宅した翌日、信仰心の厚い義母にプレゼントした。まだ写真も撮っていなかったことにさきほど気づいた。今度撮影に行かねば。

下の写真は香川県の71番札所「弥谷寺」と86番札所「志度寺」。香川の札所は関西に近いからか、空海の出身地ゆえか、国宝や重文に指定された風格ある札所が多かった。

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自転車積み込んだ道楽者in四国

旅吉です。

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四国を旅している。もう1週間になる。写真のように自転車も一緒に。熊本ナンバーのキャンピングカーがこんな姿で旅しているので異様に目立つ。

先日は、香川県の五色台で自転車を下ろして調整していると、通り掛かりの男性に「熊本から来られたんですか」と驚かれた。旅吉が「大分からフェリーで来ると意外と近いですよ」と返すと、「それはそうでしょうけど」と口籠られた。よほどびっくりしたのだろう。

今日も吉野川沿いの道路に車を停めていると、散歩中のおじさんが、半ば呆れたように何度も車を見ていた。はたから見たら完全に道楽者だろう。

ちなみに、この写真は徳島県美馬市の道の駅で撮影。遠くに写っているのは剣山。吉野川の南側には山深い四国山地が広がっている。熊本の五家荘あたりを思い出す。

今回の旅の一番の目的は、四国八十八箇所霊場でまだ行っていなかった香川、徳島のいくつかの札所を完全に回り、25年がかりでコンプリートすること。

それと瀬戸内海の島々を満喫すること。あと讃岐うどんもしっかり食べる。

連日だらだら書くとだらけるので、随時、短めに買いていく。

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上の写真は香川県本山寺。本堂は鎌倉時代に建てられた国宝。香川あたりの霊場は立派な建物が多い。そのあたりも随時。

現代日本のツッコミ文化 もう30年

旅吉です。

冬なのに暖かく、車中泊に出るには最適なのだが、なぜだか旅に出ていない。旅吉にしては珍しく、自分の部屋に根が生えてしまった。で、YouTubeや大相撲を見たりしている。

評論家で編集者の山田五郎さんのYouTubeは美術好きには大変参考になる。そして面白い。この人と仲がいい人に、みうらじゅんさんがいる。旅吉はこの人のファン。だいぶ長く続いているテレビ番組「見仏記」(本にもなっている)では、いとうせいこうさんと二人であちこちの仏像を見て回り、好き勝手な解釈や仏像への熱い思いを語っている。

山田さんのYouTubeでも仏像のことを熱く語っていた。

その番組で、山田さんとみうらさんが「いまの日本は、ツッコミ文化」と強調していた。みうらさんは「自分は一貫してボケ。やたらツッコミを入れてくる人がいるけど、あれはどうもねぇ…」といった発言をしていた。「もっと泳がせてほしい」「山田さんは自由に泳がせるのが上手」とも。

「そうそうそう」と旅吉は、わが意を得たりとばかりに膝をたたいた。

よく「生きづらい社会」という表現を耳にする。これってこの「ツッコミ文化」が大きく影響しているのではないだろうか。

旅吉が高校生のころまで(1970年代まで)、あまり「ツッコミ」というのが表に出ることはなかった。もちろん大阪の漫才でボケとツッコミという役割分担はあったものの、それが実社会に影響を及ぼしていなかった。

ところが「笑っていいとも」が始まった83年ころから風向きが変わってきた。明るさとスピードが大事にされるようになった。そして、とんねるずが人気者になった90年ころからボケの地位が低下し、ツッコミの格が上がってきた。ちなみに、とんねるずは「両ツッコミ」と個人的に解釈している。今でもよく聞く「〇〇してんじゃねぇよ」というツッコミは石橋がよく使うセリフだった。

その後、ダウンタウンをはじめとする吉本芸人が活躍するのに合わせるように、ツッコミ文化が日本を席巻することに。以来、今もってツッコミ文化が世を覆っている、と思う。ボケが自由に泳ぎ回って、味のある発言をするという場面は意外と少ない。

誤解を恐れずに言うと、都会に行けば行くほど、知的レベルが高い集団であればあるほど、活動的であればあるほど、ツッコミ文化は濃厚のように思う。人のミスや人間味あふれる言葉を笑いのネタにし、格下に見る。

はっきり言って「ツッコミ文化」嫌いです。というか、ツッコミ側に立つ人間には甘えがある。例えて言えば、ボケのレベルは10段階くらいに細分化していて高度なのに、ツッコミはせいぜい5段階くらいな雑な世界(なんかわかりにくいな)。それなのに、その雑なレベルにもかかわらずツッコミをかましていれば、それなりに一目置かれる。

これは芸人だけではなく、実社会にも見受けられる。

みうらさんと山田さんの言葉に強く感銘を受けた一日でした。

 

キャンピングカー初の車検

旅吉です。

キャンピングカーを購入して2年がたち、年明け早々、大隅半島の旅の前に車検に出した。

その時点で走行距離は3万キロにわずかにとどかないほど。春に関西~関東~信州・北陸の旅、初夏は北海道、初秋には中国地方など全国あちこち巡ったが、距離数は意外と伸びていなかったような。

購入した当時、いろんなことが気になっていた。エアコンなしで大丈夫なのか、インバーターはこれでいいのか、自転車は詰め込めるのか、などなど。

2年間乗った経験でいくと、エアコンは無理やり取り付けずとも大丈夫だった。どうにかなった。というかごまかせた。

インバーターは電熱器やドライヤーなどが使えるレベルのものにすべきだった。今のレベルでは小さな炊飯器を稼働させるのがせいぜいだ。電気毛布は使えるけど。

自転車は車外に積み込む形にした。これはこれでよかった。でもあの積み込み用の機材は8万円ほどだった。台湾製

天井につけたマックスファンには大変重宝している。すごく風が通るので夏場助かった。当然、網戸は絶対必要。

よく言われるけど、シンクを使う機会はほぼゼロだった。使わずとも特に困ることはなかった。冷蔵庫は大変役立っている。あるのとないのでは雲泥の差だ。

燃費はかなり厳しい。リッター9キロ前後。でも北海道では11キロだった。わかってはいたけど、燃料費がばかにならない。車中泊の旅ではこれが一番の問題だ。旅吉の場合、できる限りいろんな場所に行こうとするので、余計に。

いつまで乗るのか予測できないけど、少なくとも5万キロは乗るだろう。

最初にジイジと言わせたい

旅吉です。

12月下旬から里帰りしていた娘夫婦と孫が先週末に帰京した。といっても旅吉はその時、鹿児島の大隅半島を一人旅。

孫の里帰りは二度うれしいという。最初はやってきた時。二度目は帰る時。うまく表現したものである。確かに数日間一緒に暮らすと、ちょっと疲れてしまう。妻も孫たちが帰京した後、魂が抜けたようになったとか(後日妻本人から聞いた話)。

安住紳一郎のラジオ番組「日曜天国」で、「パパ、ママより先にジイジという言葉を覚えさせたい」と奮闘している男性のことを紹介していた。そうなんだ。世のご同輩はそんなに張り切っているんだ…。それに比べると俺って冷めてるのかな。一人旅とかやってるんだもん。

どうもだめなんだよなぁ。孫にデレデレとなれない。もっとダイレクトに愛情を投げ掛ければ、妻も娘も娘婿も喜ぶのでしょうが。どことなくしれっとした態度になってしまう。山手線に乗っている都会のサラリーマンみたい。

実はすごく愛情を感じているんだけどなぁ。照れが先になってしまう。

実はこの春から、娘夫婦が熊本で暮らすことになった。4年あまりの東京暮らしに嫌気がさし、娘婿がUターンして熊本で働くことが決まった。里帰りの直前のこと。それも旅吉が昨年春まで働いていた職場! 中途採用の試験にめでたく合格したのである。これって驚くようなシナリオじゃない?

「自分が暮らすべき場は、ふるさと熊本なのだ」と決断しての転職だ。すごく喜ばしいけど旅吉は少しだけ複雑な気持ち。旅吉のどこか勝手でどこか意味不明な「早期退職騒動」が、変な方向に作用しないといいのだが。

「そうかそうか。旅吉さんの娘婿か。そりゃうれしい」となればいいが、「え、旅吉の娘婿? あいついま何してるの? なんだかわけわからないやつだったよな」みたいな言葉を浴びせる輩がゼロとは言えない。そうなると娘婿に合わせる顔がない。考えるだけで手足が冷たくなってくる。

見方を変えれば、旅吉の早期退職も意味があったような気がする。義理の親父が現役で働いている職場に自分も入ろうと思う娘婿は、おそらくいないはずだから。これも運命なのだろう。今度こそ孫を猫かわいがりしよう。そして最初にジイジと言わせよう。

使い残したままの社員食堂の食券を、娘婿に近く渡すつもりだ。よかった無駄にならなくて。

下の写真は大隅半島の南西側の海岸。人家はほとんどなく、想像以上に荒々しい景観だった。三陸海岸に近い雰囲気。

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志布志湾にある、くにの松原海岸。このあたりは穏やかだ。駿河湾に近い感じ。
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年明け早々、佐多岬に

旅吉です。今年最初の車中泊の旅は、鹿児島の佐多岬。曇りがちだったけど種子島屋久島、硫黄島開聞岳が割とはっきり見えた。写真では見にくいけど。

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太平洋と東シナ海を見渡す景観は素晴らしかった。それとともに、南西諸島へと続く海の道の入り口に立てたような気がして、壮大な思いで胸がいっぱいになった。

大隅半島車中泊ができるスペースが多くて助かる。震災に見舞われた能登半島もそうだったが。

それにしても被災地が心配だ。輪島の道の駅で車中泊した際に立ち寄った飲み屋「いっか」は大丈夫だろうか。五十代の夫婦が経営されてた。輪島塗のカップを買った朝市のおばちゃんはどうしてるだろうか。