一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

イーハトーブと遠野物語

旅吉です。

岩手県遠野市を訪ねた。柳田國男の説話集「遠野物語」の舞台だ。遠野物語民俗学の泰斗として知られる柳田の代表的な作品であり、ほかにも同時期(明治末)、旅吉の地元九州では宮崎県椎葉村を舞台に「後狩詞記」を記した。いずれも、まだ山あいの集落は至る所で闇が深く、魑魅魍魎が跋扈していた古い日本が描かれている。

物語に出てくるのは、ザシキワラシ、河童、馬と結ばれた娘が神になるオシラサマ、村人を威嚇するオオカミの群れ、熊と格闘した男…。具体的な地名や人名が出てくるので信ぴょう性があり、面白い。

市内のあちこちに遠野物語に関した資料館や案内板がある。一番有名なカッパ淵に行ったら、立派な寺の裏手にある、どこの田舎にでもありそうな小さな小川だった。とは言いながらも静謐な空気に覆われ、カッパが出てきてもなんの不思議もない感じ。

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その近くにある伝承園は、遠野地方のかつての農家の生活様式が再現されている。重要文化財の菊池家住宅、遠野物語の語り手であった佐々木喜善氏を顕彰する記念館などがある。

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この佐々木喜善氏に興味がわいた。

旅吉は佐々木氏を、岩手の山々を生活の場とする猟師とばかり思い込んでいた。実は裕福な農家に生まれた作家だった。文学を志して上京し、そこで柳田と出会う。故郷の伝承を紹介する佐々木氏の語り口に目を付けた柳田がそれを聞き取り、遠野物語にしたそうだ。

ただ佐々木氏本人は文学で世に出ることはかなわず、病気もあって帰郷した。その後、「高等教育を受けたインテリ」と地元の村長に祭り上げられた。しかし政治家としの資質には欠けたらしい。佐々木氏の人生をまとめた地元の書籍(遠野市立図書館で読んだ)は「優柔不断で政治家としての能力に欠けた。議会対策もできず、しまいには議会恐怖症になった」などと手厳しい。

負債も負い、先祖が築いた財力は傾き、佐々木氏は村長職を一期も務めあげられないまま、親族がいる仙台に引っ越した。しかし東北地方の民間伝承の収集はやめず、48歳で病没するまで、その活動は続き、地道に日本民俗学の一翼を担った。

非常に失礼な言い方かもしれないが「文弱の徒」という言葉が浮かんだ。旅吉も多分にその負い目を感じで生きてきたので、胸にググっと迫るものがあった。文学であろうが政治であろうが、世を優雅に闊歩する存在となるには、あふれ出て尽きない才能か、あるいはえげつないまでの生命力が必要なのだろう。

ところで、佐々木氏とちょっと似ているなと思ったのが、遠野からさほど遠くない花巻の宮沢賢治だ。

「もしや」と思い図書館でさらに調べると、佐々木氏と宮沢賢治はやはり交流があった。ちょっと感動した。

賢治については、小樽へ向かう長距離フェリーで門井慶喜の小説「銀河鉄道の父」を読んだ。詳しくは以下の記事で。

noaema1963.hatenablog.com

裕福の家の出身、学問好き、病弱、実生活にはどこか不適応でどこかファンタジーな人格。

賢治も生前、多少注目を集めることはあっても、その才能を絶賛されることはなかったようだ。それどころか興味の対象があちこちに変わり、あまり現実的ではない構想を語ったりして周囲の人々を振り回す「困ったちゃん」的な側面はかなり目立っていたらしい。教科書などでは実学的な貢献ぶりなどが広く伝えられるが、そうばかりではなかったようだし、どちらかというとそちらの方が人間的で面白い。

宮沢賢治の人気が一気に注目が高まったのは、その死の直後というから皮肉な話だ。以前から交流があった草野心平らが尽力したらしい。賢治の弟・清六さんの熱い思いも功を奏したようだ。

ところで賢治のゆかりの地といえば花巻と盛岡だろう。

花巻では、賢治が同志を集め勉強会や音楽会を開いた羅須地人協会を訪ねた。協会に使われた建物を花巻農業高校(賢治が教鞭をとった旧花巻農学校)の一角に、移築復元してある。玄関口には有名な「下ノ畑ニ居リマス 賢治」の文字。実は弟の清六さんが生前、賢治の書体をまねて書いたという。味があるなぁ。

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中には職員室で撮影した賢治の写真など。リラックスした様子でこちらを向いている写真、だれかに似ている。だれだろう。思い出しそうで思い出せない。あえて言えば、さだまさしかな。

この高校の目の前が花巻空港の滑走路だ。時折、とんでもないジェット音が聞こえてくる。授業に差しさわりがないのか心配になる。

その後、開館から40年がたつ宮沢賢治記念館を訪問。旅吉は30年前にもここを訪ねている。当時はささやかな施設だった記憶があるが、人気の高まりを受けてか、えらく中身が濃ゆく、広がりのある記念館に変貌していた。

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雨ニモ負ケズ」のせいか実直なイメージが強いけれど、賢治の人物像はもっと泥臭く、コミカルな部分に光があたったが面白いように思う。小説「銀河鉄道の父」はそのいいきっかけになったのではないか。役所広司主演で映画にもなっているので、ぜひ。

それにしても…。

花巻と遠野はわずか40キロほどの距離。方やイーハトーブのファンタジーな世界、方や闇の深い伝承の世界。なかなかドラマがあっていいな。

ちなみに大谷翔平菊池雄星の母校である花巻東高校には行けなかったのが残念。校名から市街地の東側にあると思いがちだが、実は西側なので注意。