旅吉です。
今回もまたセンチメンタルジャーニーである。山形の小国町を訪ねた日から数日遡るが、青森でも「必ず行こう」と決めていた場所を訪ねた。岩木山を間近に見上げる板柳という町だ。
大学時代のサークルの先輩がいるだろう町である。旅吉は音楽のサークルに入部したが、なんとなく馴染めず、それでも生真面目に毎日通って楽器の練習に励んでいた。
米さんはその時、8年生だった。今どきそんな大学生はほぼいないだろう。何しろ浪人生さえ以前よりぐっと減っているようだし。タイムパフォーマンスなど、当時の学生も社会全体もあまり重視していなかった。
米さんは青森県板柳町の酒屋の息子だった。ひどく無口で、小柄で、ヘビースモーカー。いつも文庫本を読んでいた。ただ飲むとすごく饒舌になり、音楽や文学の話を好んだ。とても色白で「やはり雪国の人は違うなぁ」と思っていた。
大相撲には青森県出身の力士が多い。舞の海、伊勢ケ浜親方(以前の旭富士)、宝富士、錦富士、尊富士などなど。ほとんどが津軽出身。みなどこか同じような雰囲気をまとっている。情熱をじーっと心に秘めている感じ。ぱっと見、地味だけど。
米さんももろそんな感じの人で、1年生の旅吉は妙になついた。サークルになじめずにいた旅吉にとって、米さんの存在は支えだった。楽器の技術もずいぶん学べた。同じ西武新宿線沿いに住んでいたので(旅吉は鷺ノ宮、米さんは野方)、何度か部屋に泊めてもらった。泥酔してお世話になり、部屋の中で吐いたこともあったなぁ。あんときはホント、迷惑かけた。
米さんはぎりぎり8年生で卒業することができ、新宿の消費者金融などでしばらく働いた後、故郷に帰って家業の酒屋を継いだようだ。その後、よくあるパターンでコンビニ経営に移ったと聞いた。
で、今回、板柳町のコンビニをいくつか訪ねた。米さんらしき経営者が店番していないか期待したわけだ。探偵のように「米〇さんという方が、町内でコンビニ経営されてませんか?」と聞けば手っ取り早いだろうけど、そこまでして会った末に「すいません。ちょっと記憶にないですねぇ」とでも言われたら、しばらく立ち直れそうにない。旅吉は存在感が薄いので何度かこのパターンを経験し、いまでも心の古傷となっているのだ。
しかし、当然ながら、それらしき人はいなかった。店番は基本、アルバイトだろうし。都会のコンビニだったら人手不足で店主自ら店番というのも多いだろうけど、地方のコンビニ経営者はそうでもないのかもしれない。
ただ米さんの故郷を見ることができて、なんだか安心した。「点と線」になりがちな列車の旅では、こんな訪問はなかなか実現しないが、車旅なら容易だ。
それにしても板柳一帯は、どこまで行ってもリンゴ畑が延々と広がっていた。その向こうには岩木山。こうした景色をじっくり堪能できるのも車旅ならではだな。思えばこの旅では、リンゴばかり食べていた。
ちなみにこの前日、舞の海の出身地である鯵ヶ沢町にも行った。日本海に面した小さな町。なんとなく名前に味がある。津軽らしい地名だ。遠くはるかに北海道の松前あたりが見えた。