一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

お遍路の御朱印なかなか集まらず

四国で車中泊にチャレンジしたが、一つ目的を果たせなかったことがある。

御朱印をもらいに行く予定だった八十八カ所札所の「岩屋寺」と「大寶寺」に時間が足りず行き損なったのだ。

ちょうど20年くらい前、遍路に挑戦したことがある。何がきっかけだったか覚えていない。鬱屈していた30代だったので、なにか日常を変えたかったのだろう。

今回も訪問した松山の「石手寺」を出発点にした。いろいろな道具が販売されていて、出発点にふさわしいと聞いたのだろう。御朱印を書き込む掛け軸や遍路用の衣装を購入。車に載せてきたミニサイクルを時折乗り回して松山近辺や四国中央市の札所を巡り、徳島に抜けた。徳島では一番札所「霊山寺」から回り始め、徳島県南部、高知県東部を経て、愛媛の八幡浜あたりに出た。全部で5泊程度した記憶がある。

確か33カ所の御朱印を掛け軸に書いてもらった。一カ所が500円。自転車は最初の2日乗っただけでその後は乗らず、後はすべて車。特に高知は札所間が離れているので、とてもではないが自転車では無理だった。

お遍路さんはほとんどがバスの団体が多く、添乗員さんが納経所にノート型の御朱印帳をまとめて持ち込み、数十人分を一括して書いてもらう。その間、団体さんは南無大師遍照金剛と般若心経を唱えている。雰囲気は明るく、言い方は悪いが、高齢者のスタンプラリーのような感じがしないでもない。お遍路に「砂の器」のようなイメージをしていたので、この明るさには驚かされた。ただ、時折見かける「歩き遍路」にはイメージ通りの重いものを感じる。 

私もそれなりに敬虔な思いで札所を巡った。基本的に何かにすがりたい気質なのだろう。宗教に関係なく、お参りする場所が大好きだ。

御朱印が中途半端に書き込まれた掛け軸はその後、お大師さんを熱心に信仰する義母の家に掛けられていた。何度か四国に行くことはあったが、掛け軸を再度持っていくことはなく、四国観光で新たな札所に行く度、「あー、持ってくれば良かった」と後悔を繰り返していた。

その後、掛け軸を義母宅から持ち帰り、数年前、今度は妻と2人で久々の御朱印集めに出発。以前は行かなかった今治方面、高知中央部を3泊で回り、その結果が下の通りである。

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上の方の空白は徳島あたり。真ん中が高知西部と愛媛の山間部。下の広い空白は香川である。今回の車中泊旅では真ん中部分の2カ所が埋まる予定だったのだが。残念。それどころか旅の最中に悪化した風邪がまだ治らず困っている。

ただこの掛け軸が完成したらかなりの価値があるはずだ。なにしろ元手と時間ががかかっている。おそらくあと2、3回は四国に行かないと完成しないはずだ。でも九州からホントに遠いんです、四国。