熊本はやがて梅雨だ。東京あたりの梅雨は北方からの高気圧が影響するのか、結構寒くて、梅雨寒の季語がぴったりだが、熊本の梅雨は暑さと湿気でぐたぐたである。
梅雨入り前の晴れ間、県北方面をサイクリングした。といっても自宅からではなく、車に自転車を乗せ、山鹿、菊池方面への玄関口にあたる植木温泉の河川敷に車を停めて、スタート。
ゴーギャンの絵のような景色
天気はまあまあだが、とにかく南東の風が強い。私の分析では、太平洋側からの湿った風が九州山地を超えて熊本側に吹き下ろす、フェーン現象ではないかと考えたが、いかがかな?
木々の緑がこってりして、初夏の爽やかさはもうない。田畑も山々も、いつ梅雨に入っても大丈夫、といわんばかりの濃くて輪郭のはっきりした風景である。ゴーギャンの絵のようだ。
追い風に押されながら、北へ向かって田舎道をゆっくり進む。山鹿市の町並みを左手に遠く見ながら、トランジスタラジオでFM番組を聴きながら、ほぼ何も考えず。市街地の東側から北側へ大きく回り込み、日輪寺の下を通り、山鹿に町中へ。
巨大な建造物が多い山鹿
山鹿は割と巨大な建造物が多い。
この日は立ち寄らなかったが、日輪寺の「おびんずるさま」は33メートルの仏様。遠くから頭だけ見えたりして、ちょい不気味。
タイプは全然違うが、明治期に山鹿の旦那衆が建てた八千代座も威風堂々としている。国の重要文化財だ。何度見てもすごい。周辺の町並みも100年以上たった古い建物をリノベしたお店が多く、山鹿の人々の地元愛が感じられて、いい。燕がすいすいと八千代座の軒先をかすめて飛び、こちらまで解き放たれたような気分になる。
ちょい進むと、さくら湯に到着。8年前に復元された明治の趣を感じさせる公衆浴場。市が9億円をかけて完成させたらしい。江戸初期にできた細川家のお茶屋が始まりのようで、軒先には細川家の家紋である九曜紋の提灯がたくさんぶら下げられている。
せっかくなので入浴。実に7年ぶりくらい。ただ浴槽はあまり大きくなく、どこにいても他の入浴客と目が合ってしまう居心地の悪さを感じてしまう。言うなら、山里の温泉地にある地元民主体の浴場に入っているような。ただ、浴室の壁には昔風の看板をいくつも掛けており、演出はバッチリである。
しばらく楠の木の下で涼んだ後、菊池川の方へ進む。山鹿は来るたびに町並みが古くなっている(そんな演出、と言うか町並み保存をしている)感じがして、目が離せない。
保存地区がないのは熊本など4都県のみ
熊本県は九州で唯一、文化庁指定の重要伝統的建造物保存地区を持たない。全国47都道府県で見ると、山形、東京、神奈川、熊本の4都県だけだ。東京、神奈川は関東大震災や空襲が理由か。熊本は西南戦争と太平洋戦争の2度の戦災が大きく影響しているかもしれないが、それ以上に、新しもの好きで、古さを大切にしない県民性がこうした結果を招いているのではないだろうか。そんな中でも、山鹿は得意な存在なのである。古い町並みは「育てる」べきもの。山鹿ではそれが実践されている。
菊池川近くには「千代の園」と言う酒蔵があり、一帯には江戸後半に建てられた家々が今も利用されている。大きな瓦屋根が幾重にも続く。「犬神家の一族」に出てきそうな景色だ。
菊池川を渡り、出発地点の植木温泉に向かう。もろ向かい風。「ぼちぼち進もう。いつかは帰り着く」とゆっくり進むものの、だんだんけつが痛くなる。まだ30キロくらいしか走っていないのだが、なんとなくきつさを感じしまう。
あと5分で到着という住宅街の中に、鮮やかな花が咲き乱れているのを発見。赤やピンクのゴテチアという洋風な花だ。よく見ると、「自由にお取りください」と貼り紙がある。これまでの人生、あまり植物に興味がなかったものの、ここ数年、俳句を始めてからは己の視点が変わリつつある。「持って帰りたい」という衝動が沸き起こる。しかし新参者の悲しさ、どうやって持ち帰ったがいいか分からない。根元から抜くのか、花の部分だけ取るのか。
せっかくの好意を、中途半端なやり方で台無しにしてはいけない。そう思いなおし、その場をそっと離れたのであった。