一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

大村湾の風に吹かれてきたよ

 旅するオヤジ旅生です。

ウィークデーの休日、また一人車を走らせた。本当は前夜からでも出発して「車中泊」の達人を目指さなくてはならないのだが、何か面倒くさがっている。家でぬくぬくとしようとしている。日曜の夜は「麒麟が来る」を見なくてはいけないし、いやいや今日はM-1だった、などと自らに言い訳。車の中でもテレビ見れるのに。

なんなんだいったい。それじゃダメだろ。「旅に生きる」んじゃなかったのか。

己のけつを叩くように車を飛ばす。大体の方向は考えている。島原半島に渡りたい。熊本の人間にとって島原半島は目の前にあるが、間に海があるので遠い。熊本港から島原港まで直線距離にしてわずか十数キロしかないのに、高速フェリーを使えば、プリウスαの場合、片道4000円くらいかかる。高い‥。

というわけで、長州港から多比良港へ向かうことにする。こちらは半額の2000円。遊びで行くのだからそれくらい節約しないと。ちょっと悲しいが仕方ない。4円パチンコではなく1円パチンコをやっているような気分である。

 

島原半島に上陸。熊本の山並みや造船所が目の前に見えるのだが、海を越えたおかげで、ものすごく遠くに来た感じがする。それがなんとも嬉しい。このあたりから最終目的地がおぼろげながら見えてきた。

大村市である。まだ行ったことがない上に、有名なキリシタン大名の城下町だ。

その前に多比良港から車で10分ほどの神代小路(こうじろくうじ、と読む)に立ち寄る。7〜8年ほど前も来たことがある。佐賀・鍋島家の飛び地だ。初代領主の鍋島信房は、肥前佐賀藩藩祖の鍋島直茂の兄にあたる。一つの宿場町程度の小さなエリアだが、文化庁から重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けている。

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江戸時代から変わらないであろう路地を歩いていると、ちょうど正午のサイレン。歩いている人は誰もいない。国重要文化財の鍋島邸は定休日。残念。旅生は月曜日に休むことが多いので、意外とこんな目にあう。

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それにしても風情がある。しかしよくよく見ると廃屋も多い。もったいないなあ。住みたい。別荘にしたい。

思えば50年ほど前、ここはどこにでもある田舎の住宅地だったのではないか。旅生理論では古い町並みは「造るもの」である。築200年の家でも「文化財保護」の思いがなければ、あちこち改築され、茅葺の屋根は剥がされ、庭先は荒れ果てる。

古い町並みを守るには、行政の補助も必要になる。町並みに合った改築をする時は一定額出します、とか。そういう意味では、文化庁のお墨付きはかなりの起爆剤になるだろう。県もその下の自治体も動き出す。

神代小路の住民はその辺り、かなり意識が浸透しているような気がする。

他の例でいくと大分県日田市の豆田町(ここも重要伝統的建造物群保存地区)は、30年ほど前は今以上に現代的な町並みだった。スーパーがあり、電柱が立ち並び、立派に昭和の町だった。古い風情がある家など数軒に一軒という感じ。それでも町並み保全が進んだせいで、いい感じに古びた。行くたびに「進化」している。昭和の町が明治初頭くらいの町になった。熊本ならば山鹿市がそう。

そんなことを考えながら神代を後に大村市へ。

途中で古民家風うどん屋で昼食とったりして、2時ごろ到着。イメージしてたより街が大きい。ネットで調べると人口九万人。

全く予備知識なしに城跡や「歴史の道」と名付けられたコースを歩く。でもこのコース、正直言って、住宅街の中の散歩コースでした。すいません、大村市の方々。こんなこと言って。

一軒だけ見学できる旧家老宅があったが、これも定休日。ひたすら3キロほど歩き回った。もうちょっと予備知識仕込んでくるべきだったかと反省する。それでも城跡近くのコンビニは観光地で時折り目にする茶色の彩色だった。「歴史ある町の自負が強いんだろうな」と感心した瞬間でした。

城跡の裏側で大村湾をしばし眺める。対岸まで見えて、不知火海有明海みたいだ。「これは琵琶湖です」と言っても信じてもらえそうだ。

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その後、アーケード街を歩いた。見事なまでにシャッター街になっていた。

でもパイパス沿いのスタバはかなりの賑わいでした。今や地方都市はバイパス沿いのチェーン店でもっているのかもしれない。だからどこに行っても似た景色だ。格好付けて言えば、賑やかだが寂しい景色である。