気候はそこに住む人々の感性を大きく左右するのではないかと思う。
乾燥した土地、湿潤な土地、暑い土地、寒い土地。ちなみに私が住む九州の熊本平野は、蒸し暑い土地の代表格である。学生時代の夏休み、東京から帰省して熊本に降り立った時、「むんっ」とする熱気と、「わしゃわしゃわしゃ」と大声で鳴くクマゼミに、うんざりする思いで「帰ってきたなぁ」といつも実感した。熊本の夏は熱帯雨林気候とさほど変わらない。
クーラーなしで暮らせぬ熊本
熊本市は半分盆地みたいな地形で、市街地には海風も届かない。だから京都と同じでとにかく蒸し暑い。学生時代、私は東京のアパートでクーラーなしの生活をした。もちろん当時はそれが当たり前だった。ただ、その驚くほどの不快な熊本の暑さを思う度、「クーラーなしで熊本の夏場を乗り切っている一人暮らしの学生などいるのだろうか。もしいたら、あまりにかわいそうだ」と真剣に心配したものである。
最近、埼玉県の熊谷市あたりが「最高気温を記録した」などとよく騒がれる。夏の熊谷市に行ったことがないので、あまり勝手なことは言えないが、どんなに暑かろうと、タチの悪さにおいては熊本の暑さには負けるのではないかと、信じて疑わないのである。
乾燥地帯に文明が発達したのはなぜか
ところで、世界の古代文明はいずれも「乾燥しているが、水に恵まれた場所」で発生しているようだ。黄河、インダス、メソポタミア、エジプト。いずれも砂漠の周辺部分で大河が流れている。
なぜ乾燥した土地がいいのか。
人間が細菌に感染する率が少ないからだという。
高温多湿な地ほど多くの細菌が生息し、人類は常に病気と闘わねばならない。確かにベタベタと蒸し暑い地域に文明が栄えるのは、時代的に乾燥地帯よりかなり遅れる。
しかし古代文明は乾燥地帯にばかり発達したのではない、と司馬遼太郎(ここ最近、必ず出演いただいてます)は「街道をゆく 中国・江南のみち」で言及する。中国では珍しく湿潤な江南地方(上海や蘇州、杭州など揚子江中〜下流域一帯)で見つかった古代遺跡を例に挙げ、そう語っている。
魏の人々は湿気が嫌い
三国志を描いた「赤壁」という映画がだいぶ前に上映されたが、この中で、魏の曹操が家臣に「呉(江南地方)や蜀に恵まれないものは何か」と問うたところ、家臣は「天気でございます」みたいなことを即答したのをよく覚えている。
その結果、どんな展開になったのかは記憶にない。「そうか、華北の人々は湿気の多い気候がそんなに嫌なのか」。普通はすぐに忘れ去られる言葉が、私の脳裏には深く刻まれた。ケッペンの気候区分によると、魏はステップ気候。呉は温暖湿潤気候である。ちなみに日本の西日本一帯も、ほぼ温暖湿潤気候。一年を通し比較的降水量が多く、夏暑い。
そう言われてみれば、蘇州あたりを紹介する写真などは、いつもぼんやりと霞んでいる。湿気が多いのである。
3年前に上海を訪ねた際、郊外の水郷地帯にある朱家角という古い町を旅したが、確かに路地のあちこちがジメジメと湿気ていたイメージがある。でもそれが私の中では中国らしいのだ。もしかしたら最初に香港に行った時の、信じられないほどの湿気が脳裏にこびりついているのかもしれない。
隋、唐など北方民族が治めた時代の中国は確かにカラッとしたイメージだが、宋や明など漢民族支配の時代はちょっとじめっとした雰囲気で捉えているような。最近、中国史に妙に興味を持ち出している。気候を軸に地政学で語る歴史観は特に面白い。
コロナの影響で北京旅行をキャンセルしたのが、意外と影響しているのかもしれない。
豪雨の洗礼を受けやすい熊本
ところで九州に暮らす人間にとって憂鬱な梅雨が近づいてきた。
ここ最近の梅雨の過酷さは信じられないほどだ。九州や中国四国あたりで水害による死者が何人か出ないことには、梅雨が明けない感じさえする。
特に熊本あたりは、西側からやってくる雨雲が、最初の高山帯(九州山地)へぶつかる地形なので、豪雨の洗礼を受けやすい。日本にとって最初の「堤防」になるのだ。
ある程度、水分を搾り取られた雨雲がその後、瀬戸内海地方、関西地方へと流れていく。しかしそこでも豪雨を降らせるから、最近の雨雲は理解に苦しむ。天気予報の雨量を示す地図に、真っ赤な色が帯を引いていると、「またか」と暗い気持ちになる。
5月から10月頃まで、私は結構な時間、気温や湿度のことを考え、意識している。よく職場で話題に出すが、興味を示す人は意外と少ない。大事なことなのに。
次に生まれた時には気象予報士を生業としたい。