一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

吉野ヶ里遺跡で邪馬台国を考えた

どうも。旅するおやじ旅生です。

二十年ぶりに吉野ヶ里遺跡を見学しました。前回は小学生だった娘たちを連れていったのですが、今回は日帰り一人旅。娘たちもやがて30歳になろうとしています。

最初に来た時は高床式の望楼や竪穴式住居がいくつかある程度でした。「男はつらいよ」の舞台にもなったなぁ。満男と泉ちゃんがデートした場所。ちなみにマドンナは泉ちゃんの叔母役の檀ふみ。もともとが福岡出身の女優さんなので九州弁が上手でした。

ところでこの吉野ヶ里遺跡、今では立派な国営の公園となり、弥生集落がリアルに再現されています。越前朝倉氏の一乗谷と同じような徹底した完成度。弥生人体験コーナーなども設置されているのがお役所っぽいというか公立公園っぽくて面白い。

望楼に昇ると風が心地よく、遠く佐賀市久留米市の街並み、雲仙岳有明海などが見事に見渡せます。まだ行ってない人は是非ともお薦めです。実に清々しい気持ちになります。

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思うに日本家屋は弥生時代から昭和初期まで、基本的にはそう変わってないのかもしれません。竪穴式住居を上から見ると、白川郷や福島の大内宿と似た感じがします。壁があるかないかだけの違いのような。

資料館もあり、年表やパネル、レプリカなどで遺跡の全体像を解説。個人的には邪馬台国との関わりをどの程度強調しているか気になっていましたが、あくまで、魏志倭人伝に出てくる邪馬台国の様子と重なる環濠集落としての説明に留まり、「邪馬台国だった可能性あり」などと声高に叫ぶようなアピールはさすがにありませんでした。

ちなみに吉野ヶ里遺跡の学術的価値は公園HPは次のように記しています。「弥生時代における〝クニ〟の中心的な集落の全貌や弥生時代700年間の移り変わりを知ることができ、日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています」「魏志倭人伝に出てくる邪馬台国の時代を彷彿とさせるもので国の特別史跡にも指定されています」

邪馬台国であるとは強調していませんが、「その時代を彷彿とさせる」。うーん微妙です。
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上の写真は集落の幹部たちが巫女らから米の収穫日などを伝えられたりする、一番大切な祭事の場所。中には人形がたくさん並び、小さな子供が怯えそうな展示になってます。茅葺き独特の香りが満ちて、懐かしい気持ちになりました。
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邪馬台国といえば水行陸行の方角や日程が話題になります。そのあたり、吉野ケ里は位置的にどうなのでしょうか。

吉野ケ里発掘が話題になったころ、邪馬台国九州説が盛り上がりましたが、その後論争に決着がついたという話も聞かないので、最終的な決め手を欠いたということでしょうか。遺跡が公開された当時のニュース映像を見ると、松本清張が下唇をどーんと突き出して学芸員らの説明に耳を傾けている様子が映っていました。