旅するおやじ旅吉です。久しぶりです。
といっても、愛車のハイエースに自転車を載せて、前日に熊本から佐賀県の唐津に入り、虹ノ松原海岸で車中泊。翌朝一番のフェリーで唐津東港から壱岐の印通寺港へ渡り、最終便でまた唐津に帰ったというルート。その日の夜は唐津に近い鷹島の道の駅で車中泊したわけさ。
壱岐には泊まらなかったので、まぁ日帰りと表現してもいいかな、と。
ちなみに、車は唐津の港に駐車し、自転車だけフェリーに乗せて渡った。何しろ燃料代の高騰からか車を乗せるとフェリー料金が馬鹿高い。それでも往復6000円以上かかった。
あとで気づいたけど、壱岐では電動アシスト自転車をレンタルしているので、それを使う手もあった。ただある程度の距離乗ったら電池が切れて大変なんだよね。
8時半過ぎに唐津を出港。この日は軽い冬型の気圧配置で風が強く、割と船が揺れ、軽く酔った。
壱岐の港にあった案内板。30年ぶりの訪問だ。この段階では、どこまで走れるかまったく予想できなかった。とりあえず印通寺港から北へ向かい、原の辻遺跡に行くことに。
対馬に比べると平べったい島なので(邪馬台国が出てくる魏志倭人伝にもそれっぽいことが書いてある)、楽に自転車で進めるかと思ったけど、標高差50~100メートルのアップダウンが続き、それなりに大変だった。
原の辻遺跡は、魏志倭人伝に記された一大国の頃の王都跡。国特別史跡。弥生時代の遺跡で特別史跡になっているのは、ほかに静岡の登呂遺跡と佐賀の吉野ケ里遺跡だけらしい。
すぐ近くの丘の上には一支国博物館。自転車で急坂を登るのはかなり苦労を強いられた。でも今風の充実した展示でした。
窓の向こうには原の辻遺跡。ちなみにこの平野は長崎県で二番目に広い平野だとか。調べたら一位は諫早平野。長崎県がいかに平野が少なく、コメ作りで苦労してきたかを痛感した。もちろん港や水産業には恵まれたけどね。
その点、わがふるさと熊本なんてコメ生産には相当恵まれている。近世以降の地域の発展は温暖な気候、平野の広さ、干拓地の拡大が相当影響しているみたい。何しろ江戸時代は実質「コメ本位制度」みたいなものだから。
博物館の北東には内海湾(うちめわん)が広がる。王都への入り口にあたり、古代から近代にかけ、大陸との行き来の際の重要な船溜まりになったらしい。
湾の中には干潮時のみ渡れる小島神社。
本殿がある丘の上からのぞむ内海湾。
30年前の壱岐訪問で唯一記憶しているのが「はらほげ地蔵」。改めて思い起こすと、ほかの観光名所はほとんど覚えていなかった。俺としたことが。
そこから自転車を5分ほどこぐと絶景の地に着いた。左京鼻。北東からの日本海の荒波に洗われ、九州の海岸とは思えない荒々しさである。2時間ドラマの舞台に使えそう。
崖の上から見下ろすと、高所恐怖症の旅吉は「くらくらっ」となる。しかしここで気を失いでもしたら、下手すると十数メートル下に転落の可能性さえある。いかんいかん。
福岡からの高速船がつく芦辺港まで行ってみる。遠くからもイオンの赤い建物が見えたので、「壱岐にもイオンがあるんだ。やった(なぜだか旅吉はイオン大好き)。もしかしたらスタバもあるかも」と元気を取り戻す。
左側に写っていますよね。ところがこのイオン、近くに来てみると、田舎によくある大きさのスーパーマーケットでした。「こんな小さなイオンがあるんだ」と逆に印象に残った。
写真の真ん中あたりに大きな船があるけど、おそらくあれはフェリーの廃船じゃないかな。間違ってたらすいません。この時点で午後2時過ぎ。結構疲れが出てて確認を怠った。
アップダウンの続く国道を南下し、出発地点の印通寺港へ。あまりに頑張って自転車をこいだもので、17時半出発なのに16時前に港についた。一時間あまり堤防でぼーっとしてた。でも次第に黄金色に染まる港の景色がなんともよくて、結構思い出に残る待ち時間になった。
ちなみに唐津までの往復はこんな感じで自転車を運んだ。写真ではわかりにくいが、自転車はサイドミラーの幅にちゃんと収まっているので、警察から注意されることはなかった。ただ異様に目立っていたことは間違いないだろう。なんだか大刀を背負った忍者みたい。