一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

頼朝が住んだ蛭ケ小島、今は‥

旅するおやじ旅吉です。

ブログではまだ静岡県のことを書いていますが、実際はもう茨城県を旅しています。ブログが追いつかず、いつも数日前の様子を書いています。まぁ、仕方ないですよね。

ちなみに昨日、水戸市で桜が開花したそうです。例年より十日早い開花だとか。でも関東に入って感じましたが、太陽の光はそこそこ強いものの、風が冷たくて強いですね。

ところで、ブログは3日前にワープし、また静岡県の旅を少しばかり。

昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の最初の頃の舞台になったのが現在の伊豆の国市源頼朝は「蛭ケ小島の介殿」などと呼ばれていましたが、どんなところか想像ができません。

で、行ってきました。

伊豆というと太平洋に面した荒々しい海岸か、天城峠あたりの山間をイメージします。でも舞台になったあたりは水田と住宅が混在する「都市の郊外」と言った感じの盆地。合併前の自治体名で言えば「韮山町」です。日本史の教科書では幕末に幕臣江川太郎左衛門反射炉を造ったことで有名です。

 

まずは北条氏の菩提寺である願成就院へ。鎌倉幕府の初代執権で政子の父時政が建てた寺。運慶が彫った仏像(国宝)があることで有名です。

f:id:noaema1963:20230321060824j:image
f:id:noaema1963:20230321060829j:image

ドラマでも相島一之が、権力者に臆さない仏師運慶をこってりと演じて、この仏像のことも扱われていました。あのドラマは怪演が目立ちました。三谷幸喜があえてそれを期待して脚本を書いていたのでしょう。毎週楽しみして見てました。

仏像の写真は撮影できなかったので、お寺のHP等で見てください。まだ運慶が30代の頃の作品。「東国でも運慶の仏像が見れるんだ」と驚きを持ってみると感動は倍増します。毘沙門天の顔が元同僚とそっくりなのにはびっくりしました。まだ国宝指定を受けて日が浅い 仏像5体です。

以前から(1977年に北条政子大河ドラマになった時から)言葉の響きで印象に残っていた「蛭ケ小島」にも当然行きました。京都から流罪となった頼朝が10代の頃から旗揚げの頃まで住んでいた場所です。

今では蛭ケ島公園となっていて、記念碑が建てられていました。どこにでもあるような小さな公園。当時、近くを流れる狩野川がたくさんの中洲を作っており、蛭ケ小島はその一つだったのだろうと案内文にありました。

f:id:noaema1963:20230321061018j:image
f:id:noaema1963:20230321060908j:image

下校後の中学生たちがワイワイ遊んでいました。男の子のグループと女の子のグループが別々にいるものの、異性グループが気になって仕方ないという感じでした。しばらくすると学校の先生たちと思われる二人が様子を見に現れました。もしかしたら住民から苦情が出ていたのかも。

ちなみに北条氏の屋敷があったあたりからこの公園までは直線距離にして1〜2キロ。意外と近くに住んでいたわけです。中学生たちではないですが、まぁ気になったことでしょう。