フィンランド旅行の3話目。そもそもフィンランドと日本はどんな感じで違うのかを記しておきたい。
電柱の数がその国の雰囲気を決める
前から思っていたのだが、日本はなぜこんなにも電柱が多いのだろう。
ネットなどで調べ、自分なりの推測を加味して記してみる。
そもそも電柱が立ち始めたのは、19世紀である。おそらくは産業革命の発信地であるイギリスが最初だと推測している。で、どうも同じ時期に「ガス管」の設置も始まったらしい。ガス管は地中に埋めるしかない。そこでガス会社と電力会社に不平等が生じないよう、英国政府は両方とも地中化させた、と読んだことがある。だから欧州は電柱が目立たないわけか。
日本には明治維新後まもなく電柱が立ち始めた。
熊本が主戦場となった西南戦争が始まるに際して、明治政府は急きょ電信のための線を張り巡らした。西南戦争の際に、この電信が活躍したのは有名な話。その記録は歴史の貴重な一次資料となっている。戦争のために急ごしらえで張り巡らした電信施設なので、当然地中化などしていない。どんどん電柱を立てた。それが基本スタンスになり、日本人にとって電柱というのはたくさん立っていても何の違和感もない、当たり前の景色になったのではないか。
だいぶ前から観光地などで「電線の地中化」への取り組みが行われているが、そんな地域に行くと、空が異様に広く感じ、逆に違和感があるのは、日本人の悲しい性である。電柱が立ち並ぶ風景=日本らしい風景、とまで言っていいのではないかと思っている。「エヴァンゲリオン」に出てくる背景には、しっかりと電柱や電線、高圧線の鉄塔が描き込まれている。その描写があの作品に独特の雰囲気を与えているのではないか。
ある夏、京都の路地を歩いている時、見上げたら電線が絡み合うように張り巡らされているのに、ある意味、感動したことがある。暑さで電線がもがいているようにさえ見えた。
「意識高い系」は電柱少ない?
前置きが大変長くなったが、フィンランドにはどの程度の電柱が立っているのか、気になっていた。
電柱の存在感が気になり始めて以来、海外旅行に行ったら電柱ウオッチングをするようになっている。アジアはやはり多い。先日行った台湾もとても多かったイメージがある。欧州ではイタリアはまあまあ多かったような。もしかしたら私の勝手な「後付け」イメージなのかもしれないが。
世界でも最も「意識高い系」エリアではないかと私が勝手に決め付けている北欧だけあって、フィンランドには電柱は目立たなかった。いやいや待て待て。意識が高いと電柱が少ないのか。それも無茶な理論の展開ではなかろうか。ただなあ、やたらと電柱が立っている景色を見ると、どうしても「混沌」という言葉が頭に浮かび、引いては「頭の中が整理整頓されていない人々」と思ってしまうのですね。まぁそれが、アジアの独自性と言えないこともないが。フィンランドの場合、人口も世帯数も少ないからあまり電線を張り巡らせる必要がないのかもしれない。
ちなみに下の写真は、映画「かもめ食堂」でもロケ地となったヌークシオ国立公園。ヘルシンキから列車とバスを乗り継いで2時間ほどの湖沼地帯だ。白樺の林が見事だった。
電柱の少なさは分かった。では全く関係ないが、金髪率は? 実はこれもネットを見ていて気付いたのだが、フィンランド一帯は世界で最も金髪の人が多いエリアらしいのだ。
街を歩いていてもなかなかその率は分からない。金髪に染めている人も一定数いることだろう。
そうこうしているうちに絶好の確認の場に遭遇した。ロシア正教の教会で牧師の話を聞く小学生たちがいたのだ。それを近くで見ていたら、金髪率がはっきり分かった。実に過半数を超えていた。もちろん栗毛の子もいるので、どこからが金髪なのかを問われれば答えに窮するが、だいたい、である。
上の写真を見てもらうとよく分かると思う。フィンランド人はアジア系の血が入っているらしいので、金髪のイメージはなかったが、ゲルマン民族との混血を繰り返した結果なのだろう。かと思うと、ゲルマン系であるイギリスなどは意外と金髪率は低いようなのだ。一方、ロシア人の女性などを見ていると、「金髪に染めているな」と思うことが多い。
金髪で思い出したが、ヘルシンキには美しい花が至る所に咲いていた。帰国の日、「一体何の花なのだろう」と調べると、ライラックとマロニエだった。やっぱいいな、ヨーロッパ。下の写真はマロニエ。