もう半世紀ほど前、木枯し紋次郎という時代劇が放映されていた。笹沢左保原作の股旅物時代小説を市川崑がテレビドラマ化し、中村敦夫が主演した。「あっしには関わり合いのねえこって」という決め台詞が人気だった。
「ど~こかで~、だ~れかが~」
そのオープニングの映像がとても良かった。上條恒彦が歌う「だれかが風の中で」。紋次郎が一人、上州か信州あたりの山道を急ぎ足で歩く。市川崑特有の小刻みな映像が印象的。果てしなく重なる山々に、小学生の私は「遠くに行きたい」という旅心を刺激された。
山深い場所、遠くを見渡せる場所が好きなのはこの作品の影響なのかもしれない。
似た風景に先日遭遇した。
八代市の八竜天文台。標高500メートルほどの山の頂上にあり、東側を望むと九州山地の山並みが続く。この幾重にも重なる山並みが紋次郎を思い出させるのである。「あの山を越えたらどんな景色が広がるのだろう」「宮崎との県境はどのくらい先なのだろう」。いろんなイメージが沸く。「どーこかでー、だーれかがー」と渋く口ずさんでみる。周りにだれもいないことを確認しながら。
ついでにエンディングのナレーションも呟く。「木枯し紋次郎、上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたという。10歳の時家を捨て、その後一家は離散。天涯孤独の紋次郎がなぜ無宿渡世の世界に入ったか、定かではない」。好きだったなぁ、あのナレーション。まだまだ覚えている。
木枯し紋次郎は90年代に映画化された。設定は幕末に近い弘化年間であることも知った。ということは紋次郎は普通に生き延びたら明治維新を経験したことになる。明治の紋次郎はどう生きたのだろうか。もちろん架空の人物だが。まあ昭和の半ばまで、任侠の世界は色濃く残っていたので、居場所には困らなかったであろう。うちの親父は昭和11年生まれだが、若い頃の話を聞くと別世界である。ある種、無法地帯があちこちに存在していた感じだ。
紋次郎並みの足腰
それにしてもこの天文台、家から30分はどの場所だが、旅人マインドにさせてくれる場所である。
もちろん西側の景色も素晴らしい。いやこちらこそ、声を大にして売り込むべき景観だろう。
眼下に八代市の街並み。製紙工場の煙突が数本。八代港が見え、不知火海、天草、雲山まで見通せる。新幹線が走り、おれんじ鉄道が鉄橋を渡る音まで聞こえてくる。
展望台で歩いて登ってきた女性に会った。40分ほどで登頂したらしい。恐るべき速さ。田中陽希みたいだ。「子供たちに迷惑かけられんけんですね。足腰ば鍛えとかんと」と意気軒高である。「昨日は孫ば連れて、熊本市の金峰山に登りました」。こちらは標高600メートル以上の高さ。熊本市のどこからも見えるシンボル的存在。ちょっと見習わねばと思った。
その後、うだうだしながら車に乗り込み、グルーっと回り込む車用の登山道を下る。喉が渇いたので山の麓の自販機の前で車を停めると、なんと先ほどの女性に遭遇。ほぼ直線で降りて来たので、迂回して降りる車とおなじ時間で到着したのだ。
ちょっと驚いた。紋次郎並みの足腰ではないか。