どうも。旅するおやじ旅吉です。
南九州の旅、続編です。
最近やたらと訪ねる回数が増えた宮崎に来ました。
昨年9月に来たばかり。以前は特に興味がなかった宮崎なのに、古代史を知るにつれ、とても重要な場所になってきています。
前回と同様、まずは宮崎市内の県立図書館を訪ねた後、観光客らしく専門店でチキン南蛮を食べ、ついでに近くのサンキューカットで薄くなった髪を切ってから、宮崎平野の北部に広がる新田原古墳群と西都原古墳群に向かいました。
新田原古墳群は初訪問。規模が大きい百足塚古墳には円筒埴輪が並べられていました。大阪の今城塚古墳を思い出します。
この古墳群の特徴は、前方後円墳や円墳が農村と共存していることなのかもしれません。破壊せずに保存してきた地元の人々の思いが伝わってきます。
熊本では見ることのない景色です。
集落や農地のあちこちに小さな前方後円墳や円墳が点在していました。
そこから車で5分くらいで西都原古墳群。今回が二度目です。前回はコロナの影響で休館していた県立の西都原考古博物館へ。
なかなかの力の入れようです。何しろ国の特別史跡。熊本城と同じ格付け。館内はただの史料の羅列ではなく、様々な工夫が見えます。西都原古墳群に限定せず日本の古代を俯瞰しながら、考古学の歴史や学問への熱い思いもアピールする展示です。でも思いを綴る文字情報が際立ち過ぎている感じも。ちょっと混乱しました。
形象埴輪もたくさん。でもレプリカです。本物は東京国立博物館みたい。いいのは持っていかれますね。中央に。
博物館の3階からは西都原古墳群を見渡せます。
西都原古墳群といえば、全国最大の帆立貝形古墳である男狭穂塚古墳、九州最大の前方後円墳である女狭穂塚古墳。いずれも宮内庁の陵墓参考地です。
宮内庁の管理下にあるため、応神陵や仁徳陵と同様、ダイレクトな発掘調査ができません。そのため約20年ほど前、西都原考古博物館が宮内庁の許可を得てレーダーや電気を用いた科学的な地中探査を実施、規模や型式が明確になりました。画期的な取り組みだったようです。
被葬候補として、天孫降臨のニニギノミコトとその妻コノハナサクヤヒメが有名ですが、これは信ぴょう性に欠けますよね。神話の登場人物ですから。一方、仁徳天皇の妻となった髪長媛とその父で日向の豪族・諸県君牛諸井ではないかという指摘も。こちらはうなづけます。
前にも書きましたが、日向神話はこれら大王家の外戚となった日向の豪族らへの忖度もあったのではないかと感じています。古事記・日本書紀の編者たちは、出雲、尾張、吉備、日向あたりには気を遣っておく必要があると感じていたのではないでしょうか。
西都原古墳群では唯一、横穴式石室がある鬼の窟古墳。周囲に土塁があるのは国内では珍しく、朝鮮半島ではよく見かけられるそうです。阿蘇のカルデラに似ています。