一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

鄭成功の生誕地を訪ねる

2日目、メインは平戸だったが、結局、午前中は佐世保をうろうろ。でもそれなりの収穫があった。

佐世保鎮守府の日本遺産

朝食をホテル近くのコメダ珈琲で済ませ早速出発。米軍基地や造船所近くを車で走った後、港が見下ろせる弓張岳展望台へ。標高360メートル。展望台近くまで民家があり、港町特有の平地の狭さを実感する。

長崎も神戸も同様である。山がそのまま海に落ち込んでいる格好。水深のある、釣りで言えば、どん深の海になる。それ故に船をつけやすく、浚渫の手間も省ける。子供の時、「天然の良港」の意味が分からなかったが、今はよく分かる。景観に優れ、夜景が美しく、路地が多い。韓国の釜山もよく似ている。

弓張岳展望台からの景色は予想を大きく上回った。佐世保の市街地、米軍基地はもとより、九十九島平戸島五島列島まで見えるではないか。大村湾西海橋も。もう何でもかんでも、大サービスだ。俯瞰好きの私の心の中は、そりぁもう大騒ぎである。ただし一人旅なので表には出さず、冷静を装う。

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展望台からちょっと進んだら、なんと太平洋戦争時の高射砲の設置跡があった。そうなのだ。佐世保鎮守府。古風な表現だが、簡単に言えば海軍基地。佐世保は、横須賀、舞鶴、呉と一体になり鎮守府の日本遺産に指定されている。ここもその構成文化財なのだ。

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ただ、目視に頼っていたので、佐世保空襲に来た米軍機に高射砲はほとんど用をなさなかったらしい。

展望台から下り、鎮守府凱旋記念館を訪ねる。第一次大戦の勝利を記念して大正年間に建てられたホールである。いまは市の文化センターだ。国の登録有形文化財だが、それではもったいないほどの豪華さ。佐世保の歴史を語るパネル展示があり、分かりやすい。佐世保は激しい空襲で町の半分以上を焼かれ、敗戦で海軍が解かれると、一気に人口が流出。数カ月後には半分以下になったとか。

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米軍基地や造船所には、明治期の倉庫群が数多く残っている。ほとんどが現在も使用されているためか、文化財指定を受けていないのが惜しいばかりである。

平戸へ急ぐ。

途中、佐々という町で、ラーメンを食べる。作業服姿の若者が多いので、地元で愛されているラーメン屋なのだろう。たしかに美味しかった。博多風は人気だが、どうした訳かハズレも多い。でもここは合格でした。

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今日のファイナルデスティネーションは平戸島の最西端。ただ、島の山間部を西に走る道路はあまりに退屈で、私にしては珍しく嫌になり、早々に目的は諦める。代りに、島の南岸に立つ紐差教会、宝亀教会に。これが実に素晴らしかった。大正解。白亜に輝く紐差教会の方が大きいが、ちょうどコロナ予防の消毒中で、中をちらりと覗けるだけだった。「すいませんね。意地悪してるんじゃないんですよ」とおばちゃんが気の毒そう。教会のため、信徒のために一生懸命なんだな、とほんわりとした気持ちにさせられた。

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宝亀教会はこじんまりといい感じ。中に入れた。ヨーロッパの大寺院にはない、素朴な良さがある。私は仏像の前や教会の中に入ると、時が経つのを忘れてしまう。ちょっと節操がない。どっちかにしないとまずいな。

観光案内板を見ていると、近くに鄭成功記念館があることを発見。そういえば母親は日本人だった、それも平戸だった、と思い出す。半年前、台湾に行った時、鄭成功の人気が高く、通りの名前にもなっていることを知った。確か台南だったかな。なにしろ清国に最後まで楯突いた漢民族の英雄なのである。

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いそいそと出向くと、門が異様に立派。記念館のおじさんが詳しく教えてくれたが、鄭成功の子孫や台湾の政治家らが結構な数、訪れるらしく、門はそんな人たちの寄付でできた。ちなみに鄭成功には弟がおり、母の実家である田川家を継いだ。田川家は戦国期には小西行長の元で働く医師だったらしく、その後、平戸を治めた松浦家の元に移った。鄭成功の弟の子孫は今も横浜で医師をしているとか。

東アジアを駆け巡った英雄のことを私は知らな過ぎる。せっかくなので、まずは小説を読んでみたい。

午後3時半。急ぎ平戸の城下町に戻り、まずは平戸城へ。昭和半ば、まだ文化庁がうるさくなかった頃に乱暴に復元された城郭のイメージが強く、これまで興味が湧かなかったが、行ってみたら当時の門が一部残り、創建時のマキの並木は結構立派だった。誤解してました。

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その後、松浦史料館で狩野探幽が描いた獅子の屏風や何枚もの藩内絵図を鑑賞。松浦の殿様はなかなかの文化人だったようだ。

ちなみに寅さんの第20作「寅次郎頑張れ」は平戸がロケ地で、藤村志保がマドンナ。私が中学2年の冬、1977年の作品。松浦史料館の入り口あたりでお土産物屋を営んでいる。中村雅俊が弟役で出演。

公開前にテレビで撮影風景を特集していたが、藤村志保が「渥美清の演技が面白過ぎて、本番中に吹き出してしまう」と話していたのを覚えている。平戸城もしっかり映っていた。

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午後5時。平戸を出発。途中、伊万里の温泉に入り、佐賀で井手ちゃんぽんを食べ、10時前に熊本着。脈絡なく、いろんな時代のいろんなものを見て、印象に残った2日間でござった。俳句をたくさん作る予定だったが、こちらは2作品に留まり候う。