お城好き筆者の城郭ベスト10。上位5城。
(5)岡城(大分県竹田市)=1185年築城。別名豊後竹田城。石垣のみ。
派手な城郭ではない。ただなんともいえない風情がある。滝廉太郎は故郷のこの城跡をイメージして「荒城の月」を作曲したという。
何度行ったか覚えていないくらい訪ねている。熊本市から70キロ。日帰りドライブにはぴったり。たぶん熊本城の次に訪ねた回数が多いのではないか。
源平の戦の頃から存在していた城で、江戸時代は中川氏が治めた竹田藩の拠点。大分県は低い山々が無数に続き、小さな平野に分断されているせいか、江戸時代はいくつもの小藩が分立した。だから岡城のほかにも中津城、杵築城、臼杵城、佐伯城など多くの城跡があり、古い城下町が広がっている。
兵庫県にも「天空の城」で有名な竹田城があるが、豊後竹田城も標高300メートルほどの山上にある。阿蘇の溶岩流でできた岩盤の上に、まるで岩と同化したような石垣が続き、晴れた日には本丸跡から阿蘇、九重、祖母の山並みが見渡せる。駐車場から本丸跡までは高低差がかなりあるが、行く価値あり。城の麓には城下町が眠ったように広がっている。
(4)彦根城(滋賀県彦根市)=複合式望楼型、3重3階地下1階。国宝。
姫路城と並び、ひたすら美しい城である。熊本城は自らの力を他藩に「見せるための城」とも言われるが、彦根城の場合、力だけでなく藩の文化レベルまでも見せつけているかのようだ。藩主の井伊家は徳川譜代としては最高の35万石。初代の井伊直政にはじまり、幕末に大老を務めた井伊直弼が登場するなど、常に徳川家の治政に影響を与えた家系である。
天守閣はそれほど大きくない。ただ大きさだけでは語れない優美さというか、透明感のようなものがある。家康好みと言われる白壁に、切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせた独特な様式。また左右対象の天秤櫓や非常時には落とされる廊下橋(元来は屋根や壁があったとか)など、コンパクトな規模ながら、いろいろ興味深い設計が多い。保存状態への評価が高く、世界遺産の暫定リストにも載っている。
これまで2度訪ねた。2回とも一人旅。直弼が青春時代を過ごしたお堀端の「埋木舎(うもれぎのや)」から城を見上げた時、「今の俺は最高に幸せだ」と中年おやじは実感したのである。
(3)安土城(滋賀県近江八幡市)=1576年築城。石垣のみ。国特別史跡。
肥前名護屋城と同じく、ここも想像力を掻き立てられる城である。ただ、織田信長が建てたこの城の様子は多くの文献に描かれ、幾多の小説や映画の舞台となった。近くには天守閣を再現した資料館もあるため、イメージの完成度はより高くなる。
この城の一番の特徴は、高層の天守閣と石垣で固めた縄張りだろう。この築城方法がその後の城郭建築の基準となった。熊本城も大坂城も、全て出発点はこの城なのだ。それまでの城は中世以来の「居館」に過ぎなかった。戦いのための防衛拠点であり、領民を避難させる建物だった。だがこの安土城以降、城郭は領主の力を知らしめる象徴的建造物の意味合いが強まった。狩野永徳らの障壁画で彩った理由もこの辺りか。ちなみに多くの天守閣は江戸期に入ってからは「武器庫」になり、藩主の暮らしや仕事は本丸御殿などで行われた。
城跡の本格的調査は滋賀県により1980年代から20年かけて実施され、石段や石垣は修復された。大手道の左右には羽柴秀吉や前田利家の邸跡とされるエリアが広がる。観光客はまずここで一気にイメージが広がる。「ねねもまつもここに住んでいたのか」「秀吉たちはこの急な大手道を登って、信長に会いにいったんだ」「信長から怒鳴られ気落ちして帰ることも多かったことだろう」と想像はどんどん膨らむ。琵琶湖を望む天守台は思ったより狭かった。歴史好きのおじさんや女性、出張ついでのサラリーマンたちが結構多かった。
石垣以外は何も残っていないが、いろんなものが見えるような気がする城だ。
(2)松山城(愛媛県松山市)=連立式層塔型3重3階地下1階。1602年築城。国重要文化財。
静かな人気という言い方がぴったりなのがこの城だ。どこかしらぼってりとしたこの城。日本三名城のように何かと取り上げられることはないが、地道に観光客を集めている感じがする。現存12天守閣の一つである。
ここも2度訪ねた。最初は何も期待しなかった。「リフトで城に登るなんて面白いな」ぐらいしか考えなかった。ところがこじんまりとはしているが、複雑な連立式の天守閣を静かに巡り、遠くの瀬戸内海をぼんやりと見ていると、なんともいえない味わいを感じた。意外な宝物を見つけたような気がした。
城は大体において黒か白のどちらかが強調されているが、この城は黒と白が同じくらいの存在感を示している。2度目の訪問で私は「夏燕白き天守を袈裟懸けに」という俳句を作ったが、後で写真を見て、「あれ、白じゃなくて黒だったかな」と思ってしまった。もしかしたらこの黒白はっきりしない感じが松山城、ひいては松山全体の魅力なのかもしれない。あの柔らかい松山弁を聴いていると、そんな気さえしてくる。
ちなみに松山城の天守閣は江戸後期に再建されたもので、現存12天守閣の中では一番新しいという。それから何十年か経って城下で正岡子規が生まれる。「松山や秋より高き天主閣」は20代半ばの作品。とても松山らしい句だと思う。
(1)姫路城(兵庫県姫路市)=世界遺産、国宝、連立式望楼型5重6階地下1階。1609年築城。
やはりダントツ一位はここ。なんと言われようが姫路城を上回る城郭なし。法隆寺とともに日本最初の世界遺産になったのも当然である。築城当時の建造物がこれほどきちんと保存されているのは、やはり姫路城の他にはないのではないか。ちなみに城内には天守閣をはじめとする国宝8棟、重要文化財74棟があるという。
天守閣の姿が何より素晴らしい。どこから見ても絵になるバランスのよさ。新幹線から見ても、駅前から見ても、天守閣の下から見ても、必ず美しい。江戸城が舞台の時代劇は、姫路城で撮影されることが多いとか。確かに天守閣の入り口近くの鉄砲狭間が続く細い登り道は、よく時代劇で見かける。通路はその後、天守閣の裏手をぐるっと回り込む形で中に入っていく。この迷路のような構造が姫路城の大きな魅力の一つだ。
ところが最近知ったのだが、姫路藩はわずか15万石だったという。100万石相当の城なのに、確かに今まで考えたことがなかった。松平、本多、酒井ら譜代や親藩大名が入れ替わり立ち替わり藩主となっている。しかしあの巨大城郭で15万石とは。城を管理する財政は大丈夫だったのだろうか。領民は相当苦しんだのではないか。島原天草の乱を思い出す。わずか4万石の松倉氏が分不相応に立派な島原城を建てたばかりに、領民圧政につながり、乱を引き起こしたという話だ。
あの白く輝く城郭にも、あまり知られていない影があるのかもしれない。
ところで台風10号、熊本ではあまり大きな被害がなかった。まだ吹き返しの風が強い。朝鮮半島で結構被害が出そうな気がするが。