一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

春疾風の安土城で腹が緩む

旅吉です。

実はキャンピングカーによる日本半周の旅をすでに終え、熊本の自宅に帰っている。丸5週間に及んだ旅の全行程まとめは後日報告します。

さて旅は4月の初旬に戻る。

旅吉が愛して止まない近江の国、滋賀県に入った。大阪、京都、名古屋という大都市に近いのに、ゆったりと雅な時間が流れている。あちこちに品格の高さを感じる地域だ。移住するなら滋賀か富山か長野と思っている。

しかし地政上、古代から近江は戦乱の地だった。特に「魔王」織田信長の蹂躙は相当なものだったみたい。

で、信長の晩年の居城である安土城跡に行った。約15年ぶり二度目の訪問だが、結構大変な目にあってしまった。

 

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これが安土城の大手門から見た大手道の風景。左右には豊臣秀吉前田利家が住んだとされる邸宅跡があり、一気に戦国もの大河ドラマの世界へ引き摺り込まれる。

入山料(意外と高い700円)を払うあたりに「これから先にはトイレがありません」の看板。「まぁさっきトイレに行ったばかりなので大丈夫だろう」と気にせず、勇んで大手道の石段を登り始めた。

安土城について簡単に紹介しておきたい。

本能寺の変の6年前に信長が築城した。それまでの城郭は山城が基本で、山の地形に合わせて石垣がウネウネと続き、建物と言えば櫓か平屋の御殿だった。

そんな中、信長は絢爛豪華な多層の天守閣を持つ城を安土山に築城。そのあたりはいくつもの小説の題材になっている。特に山本兼一の「火天の城」は映画化されているので参考になる。天守閣には狩野永徳の障壁画もあったらしい。天守閣が残っていれば国宝間違いなし。世界遺産かも。

個人的には、安土城以前は「地形が主、人間の力が従」だが、安土城以降は逆になったように感じている。

本能寺の変を経てやがて安土城は廃城となるが、その後、安土城を模した近世城郭があちこちにできる。熊本城も大坂城も姫路城も、基本は安土城。石垣造りの技能集団「穴太衆(あのうしゅう)」も近世城郭の成立に大きく貢献したようだ。

で、穴太衆が造ったであろう大手道。行ったことがある人はわかると思うが、とんでもなく急なのだ。感覚的には傾斜45度の山を登っている感じ。平地に建つ近世城のイメージでいるととんでもない目にあう。足腰に自信がない人は入山自体を避けたが良さそう。

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写真は大手道に敷かれている石仏と、二の丸にある信長の墓。魔王らしい。

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急坂にも関わらず、元気なふりをして(一人旅だと無意識にそんな空気をアピールする傾向あり)サクサク登っていると、息が切れて天守台に到着する頃には少し気分が悪くなった。

そうなると普通、吐き気がしてくるもの。ただ旅吉の場合は胃よりも腸が弱いので、吐き気よりも先に腹がグズつき出す。はじめは「うん? 大丈夫かな」というくらいだったが、天守台に登って写真を撮っているうちに、「もしかして、やばくね?」という感覚に襲われ出した。「この先、トイレはありません」の看板が脳裏に浮かぶ。

にわかに暗雲が立ち込め、強風と小雨が安土城を襲い出した。余計に腹がぐずついてきた。魔王信長の怒りに触れたのか。「信長さま〜。ご勘弁を〜」と帰り道を急ぐ。

ついでに最悪の状況を想定して「人目につかない場所」も確認する。惨事に備えトイレットペーパーはいつもバッグの中にある。ただ適当な場所など、そう簡単には見つからない。

中腹にある摠見寺の三重塔までたどり着く。築城当時の建造物なので人気のスポット。国の重要文化財。観光客であふれ、先に進みにくい。「きちんと生きていくので、許してください」と誰に向かってお願いしているのか分からないが、心の中でそう祈る。

祈りが通じたのか、腹のグズグズが治ってきた。いつもそうだ。トイレが近づくと腹が治る。

写真は天守台から見た琵琶湖方面と天守閣の礎石。これ以降、写真撮影どころではなくなる。
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どうにか入山受付の場所まで帰りつき、腹は治りはしたものの、トイレには行っておく。ふと気づくと、いつの間にか空は晴れ渡っている。一つ俳句を詠んでみた。

 

胸突きの信長の城春疾風(はるはやて)