一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

サイクリングin飛鳥地方

どうも。旅するおやじ旅生です。

前回に続いて、奈良盆地の南東部、飛鳥地方を自転車で巡った旅を紹介します。

実はこの日、本当は電動アシスト付き自転車を借りようと桜井駅近くのレンタサイクルの店に行ったのですが、「うちには置いていないんですよ」と店番のおじさん。え、HPには書いてあったのに‥。

しかし、ないものは仕方ありません。この日は午前中に桜井駅から市北部の箸墓古墳纏向遺跡を巡って、午後から桜井市南部〜明日香村を観光し、夕方には橿原市橿原神宮前駅で乗り捨てるというスケジュール。総距離20〜30キロほど。大した距離ではないのですが、果たして電動アシストなしのママチャリで大丈夫なのでしょうか。

桜井駅の店のおじさんに聞くと、「時々、そういう方がいらっしゃいますが」と言葉少な。

午前中の様子は前回のブログにまとめています。ぜひこちらも読んでください。

 

noaema1963.hatenablog.com

ヤマト王権の拠点「磐余」を横断

時間にうるさい旅生らしく、桜井市北部の観光を終え、市南部へ移動したのが午後1時。このスケジュール感覚、我ながらすごいと思いました。返却まで残り4時間。大丈夫そう。

さて桜井市南部。一帯は「磐余(いわれ)」と呼ばれる地域。磐余という地名は古墳時代、いろんと出てきます。

代表的な例として挙げられるのは天皇家の初代「神武天皇」。この名は奈良時代に付けられた漢風諡号ですが、日本書紀に書かれている和風の諡号は「神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)」。名前に出てくる「磐余」はこの土地名に関連しているのでしょう。

このあたりは飛鳥時代以前、歴代天皇の宮が置かれた地域。当時は天皇が変わるたびに宮が変わっていました。その変遷は桜井市立埋蔵文化センター(大神神社の鳥居のほぼ目の前)でパネル化してありましたので撮影させていただきました。すごく参考になります。

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まずは安倍文殊院に行きました。

 

建立は飛鳥時代孝徳天皇の勅願により大化元年(645年)、左大臣となった安倍倉梯麻呂が安倍一族の氏寺として建てました。当時は法隆寺式伽藍の大寺院だったのですが、鎌倉時代に現在地に移り、今の規模になったそう。

本堂に安置されているのが、国宝の5像が並ぶ「渡海文殊群像」。4像が鎌倉時代の仏師快慶の作。下の写真は受付でもらったパンフを撮影しました。

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仏像を前にするといつも、肩の力がスススーッと抜けて頭の中がクリアになる感じがします。この渡海文殊群像は特に強力にその感覚に誘導してくれて、10分ほどぼーっとしていました。たまらないんですよね、あの時間。

この寺院のすごいところは、本堂のすぐ横に横穴式石室が露出した形の古墳(西古墳)があるのです。安倍倉梯麻呂の墓とされています。国特別史跡。石室の中にも入りました。7世紀の築造とは思えないほど、花崗岩で見事なまで整然と精巧に造られており、大坂城の石垣を思い出しました。

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飛鳥時代鎌倉時代室町時代、江戸時代、いろんな時代の一級文化財が見れる寺院です。

気になる響き「たぶれごころのみぞ」

自転車に乗って、磐余地区を西に横断すると、明日香村との境あたりに古代に存在した人工池「磐余池」の跡に到着。たぶん、誰も興味を示す場所ではないのでしょうが、古代の人々の息吹を感じました。

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南下して明日香村の中心部へ。右側に天香山。大和三山(天香山、耳成山畝傍山)の中でも見た目は他の二山よりちょっと落ちますが、場所的にはいい場所にあります。

この山の西側から現在の天理市あたりへ続く運河が、飛鳥時代に造られたそうです。築造を指示したのは、大規模な土木工事を好んだ斉明天皇中大兄皇子の母親。皇極天皇重祚)。ただあまりに労力がかかる工事だったため、人々は「狂心渠(たぶれごころのみぞ)」と呼んだとか。この言葉の響きが妙に印象に残り、頭から離れません。

明日香村を訪れるのは3回目。必ずお参りする飛鳥寺の飛鳥大仏を今回も訪ねました。飛鳥寺蘇我馬子の発願で推古天皇の時代に創建された寺院。まだまだあちこちで古墳が造られていた時代。いわば飛鳥時代の入口の頃です。

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しかしこの大仏、何回見ても「古拙」という言葉がぴったりだなと思います。鞍作止利の作らしいですが、法隆寺釈迦三尊像の完成度とあまりにかけ離れていて、「本当に同一人物の作品?」と毎回思ってしまいます。

大仏の視線をダイレクトに受ける少し左側に座り、住職さんの説明を聞きました。何度か火災にあったせいもあるのか、アンバランスでボロボロな感じ。しかし愛嬌さえ感じられ、いつ見ても素晴らしい。じっと見ていると明るい気持ちになってきます。

7世紀とは思えない芸術性

午後3時。これまで行ったことがなかった岡寺や高松塚古墳を時間がないので諦め、「せめてここだけは」と飛鳥資料館を訪問。さすが奈良文化財研究所の施設だけあって、なかなかの情報量でした。古代の飛鳥を俯瞰した模型やキトラ古墳の天文図など、価値ある展示物がたくさんありました。

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旅生の目を特に引いたのが石神遺跡で出土した石人像。古代の迎賓館で噴水として利用されていたらしいのです。7世紀の作とは思えない、芸術性の高さ。ちょっと驚きました。あまり時代が変わらない九州の石人と比べると、だいぶ違う感じがしました。中央と地方の差なのでしょうか。

午後4時半には橿原神宮前駅で自転車を返却。思ったより疲れませんでした。