一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

いい写真 宮城と山形

旅吉です。

東北南部。9月の10~12日。この数日前から秋雨前線がこのあたりに停滞し、宮城に入ったあたりから蒸し暑くなり、天気がぐずついてきた。車中泊には厳しい気候。天気図を見ると北海道は晴天続きのようで、カラッとした秋空だという。なんだか旅吉が北海道を離れた途端に天気が安定したみたいで、ちょっと苦々しい。

正直なところ、東北南部は「ここに行きたい」という明確な意識がなかった。なのでふらふらと行き当たりばったりに。ルートに迷いが出た3日間だった。

そんな中、たどり着いたのが宮城県大崎市(以前の古川市などが合併していた)西部にある岩出山というエリア。旧学問所「有備館」という標識があったので行ってみた。

 

伊達家の歴史は詳しくない。今回初めて知ったが、米沢に拠点を置いていた伊達政宗は、豊臣秀吉の命で12年間、この岩出山を本拠とし、江戸開府後に仙台へ移ったらしい。岩出山はその後、伊達家の支藩となった。なので小さいながらも城下町の面影がある。有備館は幕末期、藩主の隠居所内に建てられたという。

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ちなみに有備館という学問所の名が施設の名称として使われているが、現在残っているのは藩主の隠居所であり、江戸時代の前半に建てられたらしい。東日本大震災で大きく被災。残された部材を可能な限り使って最近修復が済んだとか。

日本各地に残っている古い建造物の多くは、こうした改修を繰り返してきている。例えば1600年前後に建てられた熊本城の宇土櫓(国重要文化財)は、昭和の初めに陸軍が大改修をしている(宇土櫓は崩れ落ちんばかりに荒れていた)。文化財保護の意識は当時からあったとは思うが、今と比べれば、相当に緩いものだったのではないかと個人的には推測する。古い部材は惜しげもなく捨て、新しい部材をどんどん持ってきて改修したことは容易に想像できる。

旅吉の推測でしかないが、この宇土櫓で創建当時から使われている部材は、一割にも満たないのではないか。でもまぁ、古い建造物というのはそんなものだと思うし、そのあたりは仕方のないことだろう。

ヨーロッパのような石造りの建造物は、それこそ「1000年前の建物をほとんど改修することなく今も使っている」というのも多いだろうが。

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f:id:noaema1963:20241003164142j:image庭も素晴らしかった。東北南部とはいえ、木々は北国らしい明るさに満ちている。西日本の日本庭園にありがちな薄暗さやじめじめ感があまりない。そのことをガイドしてくれた職員の方に言うと、あまりピンと来てなかったみたい。その土地土地の良さは遠くから来た旅人の方がよく見えるものなのだ。

そのあと山形方面に。鳴子温泉に立ち寄るも、以前入って感動した温泉施設は工事中。なのでさらに山奥にある鬼首温泉へ。横溝正史の小説に出てきそうな名前なので「なんだかおどろおどろしい雰囲気なのだろうな」と以前から気になっていたけど、行ってみると普通の山里の湯だった。宮城から秋田へ抜ける割と大きな道路が通っている影響でトラックの通行も多く、ちょっとがっかり。泉質は九州にも多い、透明な少しトロッとした湯。まぁまぁでした。

泉質の良さが際立ったのが、鳴子温泉をさらに山形方面に向かった中山平温泉。「しんとろの湯」。とろとろ感が半端なし。熊本・山鹿市にある平山温泉も究極のとろとろ温泉だが、いい勝負と言えよう。

温泉ばかり入ってても仕方ないので、先を急ぐ。

とか言いながらやってきたのは山形県銀山温泉。ただ興味があるのは、お湯ではなく家並み。

やはりすごいね。目の前に3~4階建ての木造建築が連なると、まさに圧巻。写真ではなかなか伝わらないが、建物群に包み込まれるような気分となる。観光客はアジア系外国人客が7割くらい。アジア系の人々は「写真映えする場」を求め、欧米系は「スピリチュアルな場」(特に古道)を求めることがこの1年半でよく分かった。旅吉の場合、後者に重点を置こうとしながら、ついつい前者に流れてしまうところあり。

ちなみに立ち寄り湯をやっている旅館は少ないみたい。足湯にだけつかった。
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米沢。伊達政宗が若いころ本拠としていたのは先に書いたけど、どちらかというと上杉氏のイメージが強い町だ。レンタサイクルで1時間ほど町中を散策した。

仕事の関係で15年ほど前、上杉家の当主と一緒になったことがある。ロマンスグレーで背が高く、おまけに東大卒。「これぞ名家」と感動したのを覚えている。まだ元気でいらっしゃるだろうか。品格が高かったなぁ。「私の白髪は吉良の血」と冗談めかして言われていたのも印象的。江戸中期、上杉家と高家である吉良家に婚姻関係が結ばれたのは上杉博物館の家系図にもあった。ほんと、名家ってうらやましい。

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ちなみに上杉博物館が所蔵する「洛中洛外図屏風」(狩野永徳作。織田信長上杉謙信に贈った屏風)はこの日、複製の展示だった。残念。いまHP見たら10月12日から原本の展示するみたい。国宝だからね、期間限定は仕方なし。