どうも。旅するおやじ旅生です。
ちょうど1週間前、飼っていたトイプードルが亡くなりました。
まだ3歳。ものすごく小さくて1キロちょっとしかありませんでした。
体が小さいからかすごく怖がりで、私が近づくだけで「すたこらさっさ〜」と逃げていました。この3年ほどの間に抱き上げたことはほんの数回程度。しばらく抱いているとガタガタと震えだす始末でした。そのことはつい先日書いたばかりです。
1週間前の金曜夕方に仕事から帰ると、ちょっと前に帰宅したばかりの妻が「病院に連れて行かなくては」と取り乱していました。何事だろうと近づくと、階段の下のおしっこシートのすぐ横に、その小犬が倒れていました。
見た瞬間、「もう死んでるな」と直感し、触ってみるとやはり少し硬くなっていました。
2人ともなぜか冷静でした。体のあちこちを触ってみても特に傷があるとか、骨が折れているとか、そういった部分は見られず、少し目を開けた状態でした。突然死だったのではないかと思っています。朝はなんの異常もなく走り回っていたのです。
何も事情が分からない、もう1匹のトイプードルが、いつも通りに旅生たちにじゃれついてくるのがなぜか不憫でもあり、残酷でもありました。
旅生は「寿命だったんだろうな」と思いました。健康ではあるもののあまりに体が小さく、「どうにかこうにか生きている」といった感覚は否めませんでした。
翌日、旅生は仕事だったので、妻が火葬に行きました。
あれから1週間が経ちましたが、2匹いたトイプーが1匹になってしまった喪失感はまだ消えそうにありません。でも以前から1匹だけだったような変な実感のなさもあるのです。
いつも抱いて寝ていた妻の悲しさは、想像を絶するものだと思います。何しろ家にいる時間は、常に2匹のトイプーと一緒でした。
6歳になるもう1匹のトイプーは5年前の熊本地震の時、1日に何度も襲ってくる余震に怯え続けた経験からか、今でも「どん」と言う大きな音を聞くと過剰に反応します。
ところが死んでしまったトイプーは熊本地震がおさまった後に生まれたのに、もう命を失ってしまったのです。
なんと短い命だったことか。