一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

プリウスαとオサラバだ

どうも。旅するおやじ旅生です。

キャンピングカーが月末に納車されるのを前に、今日はプリウスαを手放します。いくつかの店で査定をしてもらいましたが、何しろ乗った距離が10万キロ近く。そこそこ傷も入っているので、結局どこの店も買取金額はほぼ一緒でした。

どこの店も、車の年式や走行距離などをパソコンに打ち込んで中古車オークションの情報を検索すると、相場がさささ〜っと出てきます。最終的な金額の積み上げは「いつ手放してくれるか」という点で微調整される感じです。この査定の在り方は、いずれの店も必ず詳しく説明するので(以前はなかったような)、「今はそんな流儀になったんだ」と遅ればせながら知りました。

初めは「少しでも高く売りたい」と力んでいたのですが、どこも額があまり変わらないのでだんだん面倒くさくなり、適当なところで手を打ちました。ただそんな「適当な」態度がプリウスαへの裏切りみたいな感じもして。

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で、今日が店に持っていく期日なのです。このブログを書き終えたら出発します。

プリウスαでは、あちこちに行きました。思い起こせば、一番遠い場所で鳥取県米子市かな。以前のボクシーでは関西に2回ほど行ったので、それに比べれば行動範囲は狭かったと言えそう。米子への旅の様子を書いた記事もありますので、ぜひ。もう2年以上前の記事。

noaema1963.hatenablog.com

やはり車を手放す時は、なんとも言えない寂しさがあります。ただここで手放さないことには、新しくやってくるキャンピングカーを置く場所がありません。

出来る限り綺麗に掃除しました。ナビに登録した自宅の位置も消去。いろんな登録場所も全て消去。エレカシがたっぷり録音されたSDカードも抜き取りました。記念に写真も撮影。

この車に乗っている期間に、熊本では大地震があり、100年に一度の豪雨があり、コロナも感染拡大するなど、色々と苦しい6年間でした。仕事の関係で2年間を過ごした八代市では業務でも使ったので、6年間にしては使用した距離は大きく伸びています。

子供も独立して別々に暮らしているのであまり過酷な使い方はしませんでしたが、片付け下手な旅生なので、とてもではないが「大事にしました」とは言えない気もします。

その一方、キャンピングカーの手続きは始まりました。

佐賀県鳥栖市のお店からは「車が届きました。後付けの装置(インバーターやETCなど)を付けたり、申請手続きもあるので、やはりお届けできるのは月末ですね」との連絡。その翌日には車庫証明の申請用紙などがお店から郵送されてきました。納車の時期に合わせて月末には連休を確保しているものの、うまくタイミングが合わないかもしれません。

最後まで迷ってしまったのがインバーターでした。

お店の方は「400Wで十分ですよ」と言うのですが、旅生のような「長い長い長い旅」をするタイプには1500Wくらいのインバーターが必要なのではないか、と相当迷いました。でも実際のところ、どのくらい電化製品を使用することになるのか、実際に乗り始めないことにはピンときません。トイファクトリーのバンコンを7年ほど所有している同僚も400Wのインバーター(実は同じ店で購入していました)。聞いたところ「特に困ったことはなかったですねぇ」と言うので、結局、400Wにしました。

旅生はちょっとした細部にグズグズ迷うところがあり(もちろん本人からすると大切なこと)、後で「考え込む必要など何もない案件だった」と思うことが割と多いので、今回もそうなるだろうと思っています。

しばらくは妻の車を借りたり、自転車を利用したり、といった生活になりそうです。もちろんキャンピングカーが来ても、それで通勤する度胸は旅生にはなく、会社もそんな空気ではないので、明日からの通勤スタイルがそのまま定年まで(あと2年間)の通勤スタイルとなります。

それでは、プリウスαとお別れしてきます。