どうも。旅するおやじ旅吉です。
やがて一ヶ月ぶりのアップ。特に何か忙しかったわけではなく、日々ぼんやりと時を過ごしただけです。
ここ2年ほど、体力気力の減退を実感せずにはいられません。私が人一倍衰えが激しいのか、みんなこんなものなのか、体を入れ替えるわけにもいかず、判断のしようがありません。
なんとなく頭がぼんやりしているので、俳句も三歩進んで三歩下がる感じです。このままではまずいと、自ら自由になるべく、自由律俳句を作り始めました。
もともと山頭火が大好き。季語や定型に捉われず、敷居を低くすることで本当の感動を読み込みたい。印象に残ったことの記録も兼ねて。
そこで早速作ってみました。
変わった人だと目が言いたげ
元気なおっちゃん 脚が悪かったんや
赤いマスク それってホントの自由か
ニックネームで呼ぶのが苦手
サンタ姿の配達員が切符切られてる
季語の大切さは十分過ぎるほどわかるし、定型の良さも実感しています。
でもそれゆえ、自分なりの感動がうまく読み込めず、というかありふれた表現になってしまうのが、自分の腕がないのは重々分かっているとはいえ、残念でならない。
この苦しさは自分を俳句から遠ざける苦しさなのです。
というわけで、しばらく自由律俳句を詠んでいくことにします。
自由律俳句は逃げ場ではない、と怒られそうですが、ご理解の程を。
昨日熊本の城下を自転車で巡っていたら、桐の並木道があまりに綺麗なので写真撮りました。