一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

海に出会う時の開放感は何にも替え難い

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これは日本平から見た富士山


前の回に書いた「野武士西へ」でもしばしば出てくるのだが、旅していて大海原を目にした時の開放感はなんとも素晴らしい。「うわ~」といつも思ってしまう。

先日両親を連れて巡った静岡でもそんな瞬間があった。ちなみに「野武士西へ」も静岡での散歩を結構なスペースを割いており、最近の自分の脳みそと見事にクロスしている。何かというと静岡のことを思い出している。

静岡駅から南へまっすぐ伸びる道を、レンタカーでぐんぐんと南下。片道2車線の道路沿いには全国チェーンのレストランや自動車販売店が並んでいる。「画一的だ」とかなんとかいわれがちだが、安心できる風景ではある。道路はやがて高速道路の下をくぐるのだが、そのすぐ手前に登呂遺跡があった。「これはいかねば」と駐車場に入ろうとすると、残念ながらこの日は休み。遺跡に休みがあるとは。まあ仕方ない。実は考古学にはあまり興味がない。歴史学は大好きだが。

登呂遺跡はあきらめてさらに南へ。すると遠くに松林。考えてみれば静岡駅から海辺まで、たぶん10キロくらいあったが、道が完全にまっすぐだった。「まっすぐな道で寂しい」とは山頭火の句。ただこの道はひたすら明るく、静岡県らしい。

近くの駐車場に車を置いて、急ぐ思いを抑えながら両親と妻と一緒に松林を越えると、やはり「うわ~」だった。陽光に照らされた午前10時の太平洋。右手には遠く焼津港。左手には遠く伊豆半島の山並みが見える。富士山は松林に隠れて見えない。幅10メートルくらいの砂浜が延々と続く。「海の向こうはアメリカかな」とベタな質問をしてくる妻に、なんとなく気恥ずかしい思いがして、「そうなんじゃ」とぶすっと答えながらも、景色を脳裏に焼き付ける。

近くを散策していたもさもさした格好の60代の男性に、年を重ねるごとにフレンドリーさを増す母親が、「このあたりの方ですか? 私たちは熊本から来ました」となんの迷いもなく声を掛ける。男性も似たような性格らしく、この一帯の説明をしてくれたり、「私はお城好き。熊本城は大変でしたね」とか話している。私は常々「静岡は大地震で相当な津波被害を受けるのでは」と心配をしているもので、そんな思いを投げ掛けてみると、「そうですね。でも静岡の中心地は少しここより高くなっているから」とか楽観的な言葉が返る。あとで父が「真剣に心配していたら、暮らしていけないからな」ともらした。確かにそうなのかもしれない。

静岡から見る太平洋は、宮崎から見る太平洋や九十九里から見る太平洋とよく似ていた。とにかく明るい。開放的だ。時々、見に行きたくなる。