一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

神話は続くよどこまでも

こんにちは。旅するおやじ旅生です。

相変わらず古事記日本書紀記紀)の神話を調べている。何が旅生の興味をひいているのか。頭の中を整理してみた。

「神話と言いながら、あまりに具体的地名(日向とか出雲とか)が多過ぎる。どういう根拠で地名を出しているのか」「神話ではなく歴史書の形態に近い。どこまでが史実か」「具体的地名を入れるくらいだから、史実とまでは行かなくとも、その地の有力者への政治的配慮があったのか」などなど。

と言うわけで熊本県立図書館に行ってきた。硬軟合わせて神話の本がかなりあると思いきや、すごく隅っこの本棚に20冊ほど。戦前の皇国史観への反発なのか、それともそもそも人気がないテーマなのか(歴史好きの旅生でさえ57歳にして初めて興味を示した)ー。ただコンビニの本棚とかでは「マンガで読む古事記」みたいなのを時折見掛けるから、全く不人気な分野でもないのだろう。

旅生の熱意に八百万の神々が応えてくれたのか、県立図書館の本棚から一冊、いろいろな疑問に答えてくれる本を発見! 「天皇の歴史01 神話から歴史へ」(大津透著、講談社)がそれである。ちなみに大津先生は東京大教授。年齢は旅生の3歳上。ほぼ同年輩。それだけで嬉しい。

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記紀神話のあらすじ

大津教授がまとめた記紀神話のあらすじは次の通り(失礼とは思いながら旅生がさらに短かめ、羅列した)。

(1)天地が混沌とした中、男女の神イザナギイザナミが「この漂える土地を固めなせ」と命令を受ける。二人はオノゴロ島の天の御柱を回り、ミトノマグワイ(性交渉)をして日本列島の八つの島々を生む。国生み神話と言われる部分。

(2)二人はアマテラス、スサノヲ、ツキヨミの天上三神を生む。太陽神アマテラスは天皇家の祖先であり、天上世界の中心。一方、海原の統治を命ぜられたスサノヲは乱行を繰り返し、怒ったアマテラスは天の岩屋戸にこもり世界は真っ暗になる。神々は祭りや歌舞でアマテラスを誘い出し、明かりを取り戻す。スサノヲは天上世界から追放される。

(3)スサノヲが降り立った場所が出雲(ここから出雲神話となる)。スサノヲは肥の河(斐伊川)上流にいる八岐大蛇を退治。大蛇の体内から得た剣をアマテラスに献上。これが三種の神器の一つ草薙の剣となる。

(4)スサノヲの子孫オホクニヌシは葦原の中つ国の「国作り」を完成。するとアマテラスが「国は我が子が支配すべき」と宣言するも交渉は難航する。最終的にオホクニヌシが支配権を譲ることを承諾。条件として出雲大社を建て、自分を祀ることを要求した。

(5)国譲りが実現したため、アマテラスは孫のニニギを地上の世界に派遣する(天孫降臨)。ニニギに三種の神器を与え、5人の神を従者をつけ日向の高千穂の峰に下らせた(以降は日向神話という)。ニニギはコノハナサクヤヒメと結婚し、ホデリ(海幸彦)とホヲリ(山幸彦)を生む。山幸彦が兄から借りた釣り針をなくして対立するが、結局、弟が勝利。兄のホデリの子孫が南九州の隼人であるとされ、隼人が天皇家に奉仕する起源を語っている。

(6)ホヲリはトヨタマヒメと結婚。二人の孫がカムヤマトイワレヒコ(後の神武天皇)で、成長して九州から出発して東征。苦難を乗り越えて大和盆地に入り、橿原宮で即位して初代天皇となる。

大津教授は「記紀神話は8世紀の天皇を中心とする律令国家、その前の大和政権がどうして日本列島を支配するようになったのか、その正統性を説明した神話である」と強調。淡路、出雲など各地に伝わる神話を素材として大和政権の側で再構成し、国生みー出雲神話天孫降臨ー東征ー建国という大きな構想を作り上げたのである」と語っている。

ではこうした記紀神話、それに続く神武天皇以下の記述にはどの程度の史料的価値があるのかー。大津教授は津田左右吉(20世紀前半の歴史学者)の研究成果で説明している。津田は「応神以前には天皇の系譜をもふくめて史実の記録とよべる部分はなく、日本の民族あるいは国家の起源について知るためにはまったく史料価値は持っていない」としたという。

さらに「朝廷の官人の政治的目的による造作の所産。記紀神話は皇室が太陽があまねく国土を照らすように国民を支配するという思想を前提に、それを物語として展開していったものであり、神武東征もその一部である」と津田は主張しているという。

これらの主張は当時の皇国史観を覆すものとなるので、津田の著書は昭和15年に発禁となっている。しかし終戦後、歴史の見方は急展開。津田は文化勲章を受けている。大津教授は「津田説の結論は日本古代史上の大きな成果であり、今日の通説的理解になっている」と書いている。

神話解説はまだまだ続く

大津教授の「神話から歴史へ」はまだ途中までしか読んでいない。これから神武以降の話も続き、古事記以前に編まれた「帝紀」「旧辞」からの影響、中臣氏や物部氏ら有力豪族の存在が記紀にもたらしたものなども出てくる。

ちなみに以前書いた「宮崎県の歴史」(1970年出版)の新バージョン(1999年出版)も読んでみた。旧版は日向神話について冷めた表記をしていたことを書いたが、新バージョンでは神話を記したページはさらに減り、「神話の舞台=宮崎」という主張は幕末以降に盛り上がった話であるーといった旧作以上に冷めた表現になっていた。あらあら。

それにしてもなぜここまで一生懸命、神話と史実の関係を調べるのか、俺。みうらじゅん風に言えば「いやいや、それがいい」というところだろう。