一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

古墳はもともと緑色? 茶色?

どうも。旅するおやじ旅生です。

熊本県北部にある和水町に行く用事があったので、ついでに古墳を見てきました。県北部は古墳が多いので有名。特に装飾古墳は福岡の筑後地方とともに国内の装飾古墳のほとんどが集中しています。そしてこの二つの地域に装飾古墳と同じような時期に見られるのが石人。このあたりのことは何度か書いてきました。

 

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上の写真は塚坊主古墳。国宝の大刀で有名な江田船山古墳のすぐ横にあります。国史跡。6世紀初期の築造のようです。もちろん装飾古墳。江田船山古墳の被葬者に関係した人物の墓なのでしょうか。

なんとも見事な形を保った前方後円墳。墳丘は通常、常緑樹が生い茂ったりして古墳かどうか判別しにくいことも多いのですが・・・。

それもそのはず、開墾されて原形をとどめない状態だった古墳を平成の初め頃、復原したらしいのです。下の写真が復原前。真ん中に石室が剥き出しになっています。
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下の写真は石室のアップ。

出土遺物は案内板によりますと、「周溝から埴輪と須恵器が出土」しており、この型式から6世紀初頭の古墳とわかったようです。「石室の内部は何度か盗掘を受けていたが、平成2年度の調査で四獣鏡、金環、くつわなどの馬具類、直刀などが出土」。面白いのは「中世に墓として再利用されており、火葬骨、青磁なども出土した」らしいです。古代の墓を中世期にまた利用するとは。初耳です。もともとの被葬者の子孫なのでしょうか。
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それにしても、完成直後のオリジナルの古墳はどんな様子だったのでしょう。

もちろん、こんにち見られるように、ゴルフ場のような芝生で覆われた姿ではなかったはずです。かと言って、林の中の一部分という荒れた感じでもなかったと思います。

想像するに、表面は土や石が剥き出しの茶色あるいは灰色で、今とは違った存在感を醸し出していたのではないかと思います。質感で一番近いのはピラミッド?

韓国の慶州でみた古墳も同様に芝生で覆われていました。この姿は一体いつごろからなのでしょうか。日韓両国の間で「古墳は基本、芝生で覆う」という取り決めでもしたのでしょうか。
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上の写真は江田船山古墳。塚坊主古墳より二回りくらい大きな前方後円墳です。前回訪れて以来、どこか涼しげで「来る者を拒まない」この古墳のファンになっております。

いい感じに日陰を作ってくれるので、古墳の反対側では円墳部分の斜面で家族づれが弁当を食べていました。まぁ確かにピクニックには最適ですよね。ゴルフ好きがアプローチの練習をしないか、ちょっと心配です。