こんにちは。旅するおやじ旅吉です。
今日は俳句の話です。興味がない人の方が多いと思いますが、お付き合いください。
俳句を始めて8年余りが過ぎてしまいました。
よくぞやめずに続けてきたものだと思います。このブログもそうですが‥。つい最近書きましたが、このブログは始めてから丸3年が経ちました。
ところで俳句。自分ではまだ中堅レベルに達することなく、初心者の上位のあたりで上達がストップし、上に進めずに右往左往している感じがします。
なぜ上に進めないのか。今日図書館で読んだ本で、少しわかった気がしました。
エッセイストであり、NHK俳句番組の司会をしている岸本葉子さんの「俳句の学び方」という本です。
旅吉が以前から気になっていたのが「どんな方向性で俳句を作ればいいのかは大体分かる。いろんな人が本に書いており、皆の主張はそうズレてはいない。分からないのは、何がダメなのか」という一点です。
旅吉の場合、指導者のもとで研鑽を積む句会に所属していません。
月1回作品を出している句会は、もともとは「飲み会を兼ねた句会」。飲んだ席ですから、選句された作品の「良い点」は表に出るのですが、選ばれなかった作品の「問題点」が指摘されることはありません。
ここ最近はコロナのためファクス句会になっており、さらに作品の良し悪しが分かりにくくなっています。
岸本さんは俳句歴十数年だとか。旅吉と同様の悩みを抱えたらしく、いろんな所へ投句しても「なかなか入選さえしない」状況が続いたそうです。ただ、俳句番組の司会をして選者の方々と交流しているうちに「選者はどんな作品を落としているのか」が次第に見え出したらしいのです。それをまとめたのが上記の本なのです。
全部書いてしまうと岸本さんの本が売れなくなるので、強烈に印象に残った箇所を少しだけ。
①言外に匂わせない。物言いたげなそぶりはダメ。
②ムードのある言葉に頼らない。名もなき、見知らぬ、などなど。
③不完全なものを読むのが俳句と思い込むな。軋む、傾く、廃校、無人駅、など使えばハードルを自ら上げてしまうだけ。
大変ためになりました。
そうなんです。旅吉は「俳句とはこんなもの。こう作れば形になる」という思い込みが強過ぎて、同じところをグルグル回っているのです。山頭火や放哉の影響みたいです。
すぐに感情を読み込もうとします。「どうだ。俺の句にはこんな深い悲しみや孤独が込められているんだぞ」と言いたくてたまらないわけです。そんな句は一晩明けて改めて見ると、臭くてたまりません。
岸本さんは「俳句はドラマではなく、一瞬の映像」と強調されています。ドラマになると説明や理屈が先行してしまうわけです。
岸本さんの本から離れますが、「一日一句」を続けている人はすごいと思います。
旅吉の知り合いにも一人いらっしゃいます。なかなかできることではありません。でもこの「根性」こそが俳句上達の1番の近道なのだろうなと思います。旅吉みたいに「俳句とはなんぞや」とか「どうすれば自在に作れるのだろう」と考えるばかりではなかなか壁を突破できないのでしょう。
「頭でっかち」は見た目だけにしとかないと、まずいですね。