旅吉です。
車旅をしていると列車旅との違いを痛感する。
列車旅は「点」と「点」を列車という「線」で結ぶ。しかしその「点」は「旧市街」にとどまりがちだ。なぜなら基本的に旧市街は駅の周りに広がっているからだ。
特に学生の頃の貧乏旅行はどうしても駅周辺を歩き回るレベルにとどまっていた気がする。
しかし今の時代、旧市街が賑わっている場所などほぼない。車で旅しているとよくそれが分かる。賑わっているのは大きな国道沿いの「新市街」だ。おそらく列車の旅なら、ほとんど目にすることがない町並みと言えそう。
鉄道は路線廃止がどんどん進み、例えば北海道を例にあげれば、旅吉が旅に目覚めた70〜80年代の半分以下の路線しか残っていない。青春18切符を使った旅はいまだ静かな人気があるようだが、今の路線の数で充実した旅を楽しめと言われても、無理だと思う。
ただ時代の流れなのでどうしようもない。相次ぐローカル線の廃止に「高齢者や学生の足を奪うな」と呪文のように言い続ける人たちもいるが、それって思考停止なんじゃないかな、といつも思ってしまう。他にいい考えやアイデアは出せないの?と思ってしまう。そもそも高齢者や学生がそれほど利用しているのかな?
話がちょっと逸れてしまった。
一方、車の旅。旧市街に入り込むと運転が大変なので、新市街を通過することが多い。全国どこに行っても変わりばえのしない「新市街」。これが各地に広がっている。この春と初夏の旅で痛感した。ホント、どこに行っても一緒。イオンがあって、吉野家があって、ユニクロがあって、その地方のドラッグストア(北海道ならツルハドラッグやサツドラ)があって‥。
当初は「いかがなものか」と思っていた。ただ北海道を巡っていて、そんな新市街を通ると、ホッとしてしまう自分がいた。「ああ、ここの全国チェーンの店々に、50キロ、あるいは100キロ、場所によっては200キロ離れた町や村の人々が休みの日、買い物に来るんだろうな」と想像してしまう。
熊本も十分に田舎だとは思うが、さすがに「50キロ移動しないと生活に必要な商品が買い揃えられない」という場所はほとんどない。でも北海道にはそんな場所がたくさんあった。「それがいいんだよ。それがこの町の魅力。地元の小さな店を大事にすべき」と言う人がいるかもしれないが、「確かに。あなたのおっしゃる通りです」とまでは言い切れないような。
その点、小さな村にも必ず(と断言できないが)出店しているセイコーマートはなかなか関心だ。さすがは地場企業。コンビニは地域的格差をギリギリの部分で是正してくれる存在だと痛切に感じた。
そんなことをつらつら考えながら北海道を時計回りにぐるっと巡り、この旅2回目の札幌でYOSAKOIソーラン祭りを見て、小樽、積丹半島、大沼公園を経て、今、函館にいる。まだ旭川以降の記事をあげてないので、急ぎ書かなくては。ただYOSAKOIはスマホを車の中に置き忘れて、撮影していない。いい写真になっただろうけど。残念。