一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

乗り継ぎ対決旅に見るリーダー像

太川陽介村井美樹がアイドルやお笑い芸人を率いて、バスと列車で旅の速さを競うテレビ東京の番組「ローカル路線バスVS鉄道 乗り継ぎ対決旅」が面白い。

何が面白いか。2人の旅に関する知識の深さと執念もさることながら、旅の知識がほぼないメンバーをどう引っ張っていくか、言わば2人の「リーダー力」が試されている点だ。

以前も書いたが、この2人はなかなかの絶対地理感を持っている(村井は惜しくも地図が苦手みたいだが)。性格もストイックで優等生的な部分が共通している。たぶん2人とも丁寧かつ綺麗な字を書きそうである。

私は村井美樹にかなり魅力を感じている。見た目は特に好みというわけではないが、一生懸命さというか、健気さというか。負けるとゴールで悔し涙を流すのが、最近の定番になっている。そして「私が悪かったんです」と毎回ぽつりと言う。こちらは胸がキューンとなる。村井のこの涙と言葉が楽しみで、毎回楽しみに放映を待っている気さえする。

先日あった第6弾は長野県松本市松本城から新潟県上越市の高田城がルート。その間、4箇所のポイントで課題をクリアしなくてはならない。今回、あまり過酷な課題ではなかったが、放映後、ネットで散見されたのが、村井班に属したパンクブーブーの黒瀬の態度が悪かったというものだった。

熊本ではテレビ東京は生では見れないので、放映後にネットで見ることになる。だから番組より先にこうした記事や書き込みを見てしまうこともある。今回もそうだった。村井ファンとしては「芸人の態度の悪さに苦しむ村井を見るのはつらい」と見る前から嫌な気分になる。自分がいかに村井好きなのか改めて知った。

でも見てしまいました。

結果から言うと、問題視されるほど黒瀬の態度が悪いとは思えなかった。ツッコミ芸人だから、あんなもんでしょ。確かに熊本弁で言うところの「こぜからしさ」(小うるさい感じ)はあったが。決まりきったツッコミ芸人パターンを踏襲しているだけで、工夫が必要。

とは言いながら、村井の真摯な態度は「マイルドなキャラクターのメンバー」に囲まれていると魅力が際立つが、エッジを効かせたタイプが混じると、混乱を招くリスクが高まるということを感じた。

村井は自分の構想通りに動いてくれないメンバーに苛立ってしまう部分がある(だから鬼軍曹とも呼ばれている)。それが可愛くもあるのだが、今回の場合、ややマイナスに作用した感じがしないでもない。テレ東はゲスト選びに注意しないと、せっかくの村井の魅力を損なう結果になるのでは?

一方、太川は村井より遊びの部分がかなり広い。言うなら大人。蛭子さんとローカル路線バス旅をやっているときはあまり感じなかったが、最近の番組では余裕がある。ホントにリーダーなのだ。奥さんの不倫騒動を経験して一回り大きくなったか。

かくもリーダーの役回りというのは、やっかいなものだ。私など、リーダーの資質がまるで備わってないので、管理職になって以来、昔以上に職場が苦になって仕方ない。そんな苦手オーラを外に出さないよう苦慮するので、疲れる疲れる。子供の頃、成績が良かったから、学級委員をすることが多かったが、あの頃からリーダー不適格だったなぁ。何回やっても板につかなかった。いつも先生に怒られてた。

いわば「いばり下手」。俺様感覚ゼロ。後輩、配下であることの方がまだ楽。というか、人様を率いるなど、あまりにも自分に不似合いで尻がむずむずする。

この年齢になると、社会では野心家、強気、横柄‥そんな気質を強く持っている人々が舞台の中心という感じがしないでもない。そんな同年輩の人々(嫌いなタイプなのだが)を支えるのにきゅうきゅうとするのが人生なら、こんなつまらないことはない。実際のところ、ご同輩はいかなる思いで日々を送っていらっしゃるのだろうか。

結局、今回も自分の話で終わってしまった。いかんなぁ。

 

有明海沿いの干拓地を巡る

自転車を車に乗せて、北へ向かう(ここは南なのに。「あまちゃん」好きには分かるよね)。

午前8時半。熊本の自宅を出発。目的地は未定。とりあえず有明海沿いに福岡方面へ。西高東低の気圧配置で北風が強いが、空はどこまでも青い。

大牟田市の駐車場に車を止め、自転車で海沿いに広がる干拓地や漁村を巡り柳川へ。これが私の頭の中に描かれたルート。なぜだか、柳川、大川、佐賀あたりが以前から好きで、定期的に「ものすごく」行きたくなる。せいぜい自宅から70キロ程度の場所なのに、旅心を満足させてくれる何かがある。

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自動車専用道路である有明海沿岸道路と付かず離れず走っていると、矢部川を渡る巨大な橋の下を通過。干拓地の至る所から見えるシンボル的存在である。まさに巨大建造物。なぜここまで大袈裟に造ったのか、国土交通省に聞きたくなる。
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矢部川筑後川の河口近くには、こんな感じの漁港が多い。山本周五郎の「青べか物語」を思い出す。ディズニーランドができたころの浦安に似ている。向こう側には先程の橋。

北風が強いので、前に進むのが大変である。倍の体力を使う。エッサホッサと走り続け、やがて有明海へ。ちょうど潮が引いて、ものすごい数のムツゴロウがうごめいていた。潟がモゾモゾしている感じ。可愛いと言えば可愛い生物である。

しばらく堤防の上でぼんやり。至福の時間だ。目の前には雲仙岳。左手には大牟田の工場群、右手には多良岳。水平線が望める「海らしい海」ではないが、沿岸の九州人にとっては忘れ得ない「故郷の景色」なのである。まったりとした海だ。残念ながら写真を撮り忘れた。

これは私見だが、江戸時代以来、干拓地が広がったエリアは今でも比較的豊かなのではないかと考えている。

当然そこには必ず大量の土砂を海へ押し流してきた大河(筑後川、緑川、球磨川)が存在するので、交通も発達した。干拓により平野が広がると開発の余地が出てくる。道も鉄道もつくりやすい。人口も増える。こうしてエリアの体力が備わる。

有明海沿い、東京湾沿い、大阪湾沿いは条件に恵まれた場所だったのではないだろうか。ただいずれも遠浅だから、港湾整備は大変だったようだ。浚渫に次ぐ浚渫。天然の良港というのは佐世保、長崎、神戸のような平野が狭くて山が迫った、どん深の海なのだ。

このあたりの干拓地にはクリークが広がる。堀割である。教科書にも出てきた。

Googleマップをみてもらうとよく分かるが、筑後平野佐賀平野には無数のクリークがある。

下の写真のような風景があちこちで見られる。熊本県南部の八代平野に点在する「イグサ御殿」と並び、干拓地を代表する景観と思う。

ちなみにイグサ御殿とは一部の人々が勝手にそう呼んでいる、豪壮な造りの和風住宅。イグサ景気に沸いた1970〜80年代に主に建てられ、ミニ城郭とでも呼びたくなるような破風を組み込んだ民家。陽光に照らされ黒光りする様子は、当時の豊かさをよく表している。このまま100年保存したら、「八代平野のイグサ御殿群」として日本遺産レベルにはなるのではないかと勝手に思っている。

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そして柳川の町中へ。水郷の町は相変わらず観光客でにぎわっている。柳川藩主立花氏の城下町である。いまも殿様のご子孫が「御花」という資料館が一緒になった料亭を経営。よくNHKの旅番組などで紹介される。
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柳川市の中心部は以前の城下町がそのまま今の町に重なっている。古い建物がたくさんあるわけではないが、延々と続く堀割沿いには柳の木が植えられ、風情がある。

オノヨーコの先祖が住んでいた場所もあった。柳川藩士の子孫だったとは。知らなかった。
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午後1時半。やがて40キロ近く自転車を漕いで、尻が痛くなってきたので、西鉄柳川駅近くに自転車を置かせてもらい、車を取りに電車で大牟田へ。バスで車を止めた駐車場に行き、車に乗って再度柳川駅に。無事、自転車を車に積み込み、近くの大川市にある温泉でゆったり。

こんなトリッキーな行程がなにより好きなのである。こんなルートを組める私の能力、だれか誉めてくれ〜。

野性の解放を書いたコラム

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朝日新聞高橋純編集委員が書いたコラムはなるべく読むようにしている。文章に愛嬌があり、高飛車な感じがしないで、しっかり読ませる。説得力がある。

今回は官邸取材をしている時の話を題材にしている。高圧的に取材を制せられるうちに、自己規制するようになったらしく、それに危機感を持ち始めた。で、取った対策が、「はあ?」と感じたら声にすること。これを高橋さんは「野性の解放」と表現した。

「拒否反応を抑え込まず外に出せば、自分の内側に自分でラインを引かずに済む」。

なるほど見事な対応策。これ以上ないくらいの効率的なアウトプット。なんらかの方法で野性を解放していれば、負けにはならない。ある意味、最も優れた野性の解放なのだろう。感情を爆発させたり、恫喝せずとも野性を発揮する方法はいくらでもあることを改めて知った。

ただ、「はあ?」という一言でさえ、最初は相当な勇気を要することだろう。そんな時、私はいつも「蛮勇をふるう」という言葉を思い出す。時として蛮勇は大切だ。

薩摩藩士らは臆病と見られるのを最大の屈辱とした。西南戦争前夜、決起するか否か論議した士族らの行動を最終的に決定付けたのが、「死ぬとが怖かっですか」という発言だったようだ。蛮勇は薩摩士族が得意とするところであった。四十代の頃、この言葉は私を相当励ましてくれた。

コラムで高橋編集委員はさらに、映画監督の是枝裕和が語った「意味のない勝ち」「価値のある負け」にも言及。哲学者の鶴見俊輔が闘いに身を置きながらも常に「良い負け方」を選択肢に置いていたことを強調している。

最終的に学術会議の任命拒否問題に触れ、高橋編集委員は「野性の念」を送っている。

これほどまで物事を噛み砕いて書けるとは。大新聞の記者でも、いろんな葛藤をしながら仕事をしていることまで語られており、その筆力を思い知らされた。

いい文章はやはりいい。目の前の景色を違ったものにしてくれる。そんな文章が書ければとこのブログをやっているが、そう簡単に書けるものではなさそうである。

 

鹿児島はやはり火山だ

定年後、可能な限り車で長い長い旅を続けるという計画。現実にするべく、以前も書いたが車の中を環境整備を図っている。

まずはサンシェードを購入。百円ショップで便利グッズを買い込んだ。

そしてこの土日を使って旅に出た。関西を旅したばかりというのに。いやいやいいのだ。人生で一番自由に金を使えるのが今なのだ。子供たちは独立し、ローンもない。

私は自分の健康寿命を60代後半に設定している。特に理由はないが、なんとなくである。その後、しばらく介護状態になり、70代後半で鬼籍に入る。自分の運勢、体力気力などから総合的に判断した。

旅の行先は鹿児島だ。

何回も旅した県だが、その中でも15年以上行っていない指宿方面を目指した。

土曜の午後、熊本市の自宅を出発。八代の日奈久温泉に入ったり、出水市の米ノ津港やコメダ珈琲でぼんやりしたり、薩摩川内の高城温泉に浸かったりしながら、午後10時ごろ、道の駅喜入へ。愛車(というほど愛していないか)プリウスαの後部座席を半端フラットにしてマットレスを敷く。道の駅には何台か先客。トイレもある。まぁ安全だろう。

星空が綺麗だったので、一句。

 

示現流の刃の如く星流る

 

サンシェードを取り付けて、早速寝てみる。ところが、なんとなく寝心地悪し。どうしても自分でセッティングすると雑になる。背中あたりに妙な隙間ができて、それが不快。結局、薄〜い5時間ほどの睡眠しか取れなかった、

しかしそれもよし。今回の旅は一人きりの車中泊長旅が現実的にはどんなものか知るのが目的なのだ。「寝るときのセッティングは徹底してこだわろう。雑にやるな」。胸に刻むこととする。

喜入からからに南下。しばらく行くと「道の駅指宿」。車中泊ならこちらが良かったようだ。なんとなくです。こじんまりとしているけど。

錦江湾がとにかく明るい。桜島大隅半島の山々がくっきりと浮かび、屋久島行きの高速艇が波を切っている。熊本にはないメリハリのある景観。「火山活動の活発な土地」という感じがする。思えば、熊本は「火の国」などと言われるが、やはり鹿児島には遠く及びません。景色が「ズドン、ズドン」としている。分かるかなぁこん感じ。熊本の景色はもっと、よく言えば穏やか、悪く言えばメリハリがない。

やがて指宿の代表的な名所・知林ヶ島。潮が引くと歩いて渡れるらしい。北風が強くて、白波が綺麗だった。観光客も多く、アマチュア写真家が熱心に撮影していた。撮りたくなる気持ちわかります。

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知林ヶ島と対面している風景が下の写真。
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インディアンの砦がありそうだ。火山地帯ならではの景観である。荒々しい。

その後、指宿の町中にある歴史の古い小さな温泉場に向かうも、「県外の人お断り」とあちこちに貼ってあり、流石に入れませんでした。このご時世、無理もない。地元のお年寄りを大事にしている温泉場なのだから。

そこで図書館に行くことにする。

日本全国を巡り、その土地の歴史や風土を知りたいのだから、やはり図書館だ。そのうち「日本の図書館のことなら、あいつに聞け」と言われるのではないかなどとニタニタ想像しながら向かったが、なんと「工事のため閉館中」。ふられ続けである。

今度は山川の温泉に向かう。太平洋に面した有名な温泉場があるのだ。

ヘルシーランド温泉保養館にある「たまて箱温泉」。正面には太平洋。右手には開聞岳。右手には、これまたアメリカの砂漠地帯にでもあるような「竹山」(名前は日本的)。

 

写真は「ヘルシーランド保養館」のホームページから引用

若い観光客で賑わっていた。泉質極めてよし。景色も最高によし。ただお湯が熱めのせいか、みな湯船の縁に座り、集団の若い入浴客が声高に会話をするので、なんとなく落ち着かない。「お湯に入る気がないのなら、どこか海岸にでも行って、思う存分話し込んでこい」と言いたくなる。

それにしても急角度で屹立する山々は、この辺りが火山地帯であることを感じさせる。

温泉から上がってしばらくすると、ググッと眠気が襲ってきた。何しろ睡眠不足なのだ。

山川港の道の駅で、カツオのたたき定食を食べる。この港は西郷隆盛が二度の島流しの際に出航した港だ。幕末史にかぶれた15年前だったら、さらに感動したことだろう。指宿でもう1箇所温泉に入り、久々に知覧へ。

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武家屋敷が整然としている。ここも文化庁指定の重要伝統的建造物群保存地区である。

数軒が観光客向けに庭を開放している。その中の一軒で、家の女性が歴史を説明してくれた。琉球文化の影響も随所に見え、山々を借景にしていて美しい。火山灰なのか、地面はどこも白い砂がうっすら覆っている。

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火山岩らしいがっちりとした石が目立つ。鹿児島県の各地に「麓」と呼ばれる士族の居住エリアが見られるが、このがっちりした石垣が薩摩の武家屋敷の独特な雰囲気を醸し出している。
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帰途につく。ハイウェイからは桜島とその先の霧島が見事だった。やはり鹿児島は火山だ。

結局、睡眠不足のまま、自宅に帰り着き、泥のように眠った。翌日の仕事に疲れを残したのはいうまでもない。

でもそれでいい。

吉本の舞台を見てお笑いを考える

記念すべき100本目の記事である。

昨年11月に書き始めて約11ヶ月でここまで来た。ブログを始めてから100本まで達成する人はそう多くないと聞く。通常、アクセス数が少ないと心が折れて撤退してしまう人たちが多いらしい。アクセス数の少なさは第1級と自認しているが、「何か書いておきたい」という思いの方が勝ったのだろう。どうにか100回を達成することができた。売れないお笑い芸人の気持ちがよく分かる気がする。「それでもお笑いがやりたい」といった感じ。

前回、京都旅行の話を書いたが、実は旅行3日目の最終日(10月17日土曜)、十数年ぶりに「なんばグランド花月」に出向いた。100回目の今回、旅行を時系列に書くことを諦め、お笑いについて書いてみたい。

お笑いが結構好きだ。コントと漫才、どちらが好きかと聞かれれば、コントなのだろう。「しゃべくり漫才」は笑いを強要されている気がして、よっぽど面白ければ別だが、心の底から楽しめない時がある。

とは言いながら、オーソドックス系の漫才は好きで、関西なら「中川家」「かまいたち」、東京なら「ナイツ」のファンである。コント系なら「ジャルジャル」や「東京03」。恥ずかしながら就寝時にはいつもナイツの漫才をYouTubeで聞きながら、子守唄がわりとしている。ただ最近の塙は本を出したり、お笑いを高所から論評したり、新たな立ち位置を下手に模索しているようで、心配である。

話が逸れたが、なんばグランド花月の17日2回目公演は、前半が「スーパーマラドーナ」「まるむし商店」「和牛」「トミーズ」「テンダラー」の漫才。中田カウスが若手漫才師を紹介するコーナーでは「さや香」。後半は川畑泰史が座長の吉本新喜劇(テレビ収録をやっていた。10月30日放映と言っていた)。なかなか「当たり」だったのではないかと思っている。お笑いにあまり興味がない妻にも「結構な顔ぶれ」だと胸を張れた。

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で、感想。自分はやはり「コント派」なのだなと実感した。新喜劇の方が安心して見ることができた。前から3列目の真ん中あたりの席、という特等席だったが、漫才芸人たちの「圧」がすごいのだ。

特に常々「見ていてきついな」と思っていたスーパーマラドーナは、ヤンキーキャラ武智の圧が強過ぎて、ボケの田中がまじで虐められている感じがしてしまい、うまく笑えなかった。舞台上から「3列目の客、面白がってないな」と思われてしまいはしないか、という病的な感覚にまで襲われてしまう始末。ただ他の観客からの受けは上々だった。

「和牛」は以前は好きだった。ただ「立て板に水」のスムーズ過ぎる掛け合いに次第に拒否反応を示すようになってきた。上手なんですよ、本当に。でも上手過ぎて‥。今回の舞台もコント系漫才とでもいった見事な作り込みと演技力を見せてくれたが、旅の疲れかだんだんと眠気に襲われている自分に気づいた。

漫才師はちょっと角が取れてきたくらいが、私にはちょうどいい。今回で言えば「テンダラー」あたり。

しかしそれにしても、あの「圧」を醸し出し合う若手芸人たちの楽屋は、一体全体どんな感じなのだろう。想像するだけで、こちらが病んできそうである。又吉直樹芥川賞受賞作「火花」で、ある程度の雰囲気を掴むことはできたが。

休憩時間、妻に感想を聞く。コロナ対策で会場は「客席の5割しか入場できない」状態なので、席が離れていたのだ。「良かった。みな声がいい。マイクの使い方がうまい。特に和牛は上手だった」と分かるような分からないような反応。「絶対退屈しているはず」と心配していただけにとりあえず安心した。

後半の新喜劇は大満足。ラーメン屋の大将が女優希望のアルバイトを好きになる話。私が好きな小藪も出演していたので尚更である。それにしてもアルバイト役の井上安世は綺麗だった。そしてスッチーは盤石の存在感を示していた。

シナリオが善意に満ちている。お約束通り。笑いの敷居が低い。いつも通りのキャラをいつも通りにアウトプットしてくれる。とんがっていない。あれくらいがいい。「あれくらいとは失礼な」と言われそうだが、あの予定調和を量産する世界が大阪には存在しているんだなぁと思えるだけで、相当多くの人々が救われていると思う。「男はつらいよ」と少し似ているなと思った。

公演は2時間で終了。夕方の冷たい雨が降る中、混沌とした千日前から戎橋あたりを妻とうろつく。大阪の大学を卒業している妻は「京都の人も神戸の人も、買い物は大阪に来る」と話していたが、その話もそう間違っていないかな、と思わせるほどの人出。午後8時出発の新幹線を予約していたので、喫茶店などで時間をつぶす。それにしてもあれだけたくさんの人たちが全員関西弁で物事を考えているのだろうな、と思うと、ちょっとゾッとした。当たり前の話なので、ゾッとする必要もないのであるが。

 

足底筋膜炎に耐えながら京都旅行

実に久しぶりに京都に来た。それも足底筋膜炎に苦しみながらの旅となった。

足底筋膜炎とは、足の裏の土踏まずあたりの測定筋膜が炎症を起こす症状で、マラソン選手らがかかりやすいとか。10年ほど前に右足が足底筋膜炎になり、半年以上苦しんだため、その後は靴選びにはかなり気を使ってきたが、今度は左足に発症。5月くらいから病院に通い、騙し騙し暮らしてきた。

しかし頑固に治らず、それでも旅行には行きたい。ようやく現実化した京都旅行。「どうにかなるだろう」「レンタサイクルを使おう」などと踏み切ったが、かなり辛いものがあった。

初日木曜日。風が強いものの快晴。京都駅近くで妻と2人、電動自転車を借りる。まずは東寺。講堂の立体曼荼羅は必見。これまで何度見たか覚えていないが、何回見ても圧倒される。空海はよくぞこんな仰々しい世界を展開しようと思いついたもんだ。下の写真は大師堂。ここも国宝。

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何回か書いたが、仏像は見るものを圧倒してなんぼのものだと思う。平等院鳳凰堂の再現壁画を見てもそう感じるが、仏教は民衆にとってファンタジーだったはずだ。平等院の壁画には阿弥陀様の視線ビームが描かれている。現代にも通じる漫画の世界である。

東寺の宝物館では、平安時代の羅城門に置かれていたらしい兜跋毘沙門天を見る。中国製なので足が長い。すらっとした毘沙門天である。羅城門に置かれていたというのが、なんともロマンをかき立てる。

電動自転車で三十三間堂へ。

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ここもスペクタクルの世界である。無数の千手観音の前には神将らの像。これらがほぼすべて国宝なのだ。見学路に展望台みたいなのが設置されていて、ちょっと高い位置からこの仏像たちを見ることができた。これがなかなか良い。

三十三間堂に行くと、いつもベートーベンの第九を思い出す。千手観音は合唱団。神将像はソリスト。中央の本尊は指揮者。みな生き生きと、しかし厳かに客席を見ている。あの勇壮なドイツ語の響きが聞こえてきそうだ。

このあたりから、足底筋膜炎の痛みが気になり出した。自転車で巡っているとは言え、やはりかなり歩いているわけで。

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禅寺の建仁寺へ。「足の痛みを気にするな。無になれ」と禅問答のようなことを思いながら、枯山水の方丈などを歩く。この寺は祇園にあることもあり、観光客が多い。襖絵は複製なので、どけだけ撮影してもOK。その辺り、よく心得ていらっしゃる。

結局、京都は禅寺でもっているのでは? 南禅寺金閣寺銀閣寺、大徳寺などいずれも禅寺。戦国時代に有力者の庇護を受け、その当時の歴史遺産を受け継いでいるせいもある。豊臣家も徳川家も相当な富を注ぎ込んだ。

千年の都ではあるが、実際は400年前の歴史遺産が多い。おまけに幕末の蛤御門の変で京都の町並みは半分以上が焼けた。

などと言うと、しらけてしまうかもしれないが、木造の建造物がこれほど確かに残っているのは、奇跡的だと思う。石造りの町とは違うのだから。

建仁寺を後にして、東山の青蓮院門跡へ。電動自転車なので多少の坂道はすいすい進む。門跡は天皇家の人々を受け入れてきた格式の高い寺院である。初めて訪問。訪れる人も少なく静謐な空気に包まれていたが、40歳くらいの女性2人連れがずっと喋り続け、耳障りで仕方なかった。聞いていると話は全く中身がなく、どちらかというと囀りである。

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その後、平安神宮に参り、吉田山をぐるっと回り、鴨川沿いを下って自転車を返却。自転車に乗っている間は楽だが、降りると足の痛みが気になる。

逆に自転車が苦手な妻は、距離を重ねるにつれ、機嫌が悪くなった。なかなか一人旅みたいにはいかないものである。

 

 

「旅をすみかに」車内環境整える

人生のセカンドステージに向け、あることを始めた。

費用をかけず、長期間旅ができるよう、キャンピングカーとまではいかないまでも、車の中で寝泊りできる環境をつくる❗️

私は人生の後半生を旅三昧にするつもりでいる。松尾芭蕉ではないが「旅をすみか」としたい。可能な限り長い長い旅をする。その気になれば、2、3日あれば縦断できる日本列島なので、結果的にたいした旅にはならないだろうが、出来るだけ深く深く各地を巡る。そしてその地方の歴史と文化に触れ、この日本という国がどのように形成されたのか肌で感じたい。

夢だけは壮大で知的だ。

そのためにまずは車だ。

ネットで調べてみる。まずは最初にキャンピングカーを調べてみる。なんと高いことよ。おまけにデカイ。取り扱いが不自由そうである。

同僚が以前、キャンピングカーを購入した。普通にでかいやつ。ただ話を聞いていると、その同僚は「どこか遠くへ旅するのが好き」というより、「キャンピングカーに乗るのが好き。キャンピングカー仲間とわいわいやるのが好き」という感じだった。

それはそれで正しい。ただ私の場合はロマンを求める本格派旅人である。ひたすら遠くに、知らない町に行くのが望みなのだ。カッコいいけど、暗いのだ。「孤独に苛まれた半生だった」と悔やむ割には、好んで孤独を求めている。中二病は治ることなく、やがて還暦を迎えようとしている。

話がそれたが、キャンピングカーは自分の目的とズレてくるので、「外観は普通の車。でも中は車中泊重視の作り」という着地点へ進むことにする。外見は地味だが内側に凝る、江戸の化政文化風である。内面重視の私にはぴったりだ。

ちなみに私の車はプリウスα。実は後部座席を倒せば、フルフラットに近い感じにできる。その恩恵で今年に入り2度の車中泊を経験した。

「軽自動車の内部をプチ改造した擬似キャンピングカー」の存在がちょっと気になっていたこの頃だが、「プリウスαでも 工夫次第でどうにでもなるよ」という妻の言葉にあっさり方針転換。「確かに。軽自動車ではスピードもパワーもないだろう。プリウスαなら燃費もいいし、いい具合に広いし」。無駄金を使わせない妻の思惑にまんまと飲み込まれた感じはする。いやいやそれも大事。

それならば、ということで、ネットで車内環境を快適にするグッズを検索。まずはサンシェードを購入した。明日届く予定。ちょっとした道具や小物を保管したり置いたりできる棚みたいなのも欲しいが、そのあたりは百均で買えそうな感じもする。近々出向いてみることに。

少しずつ充実させよう。一歩一歩。あいだみつおみたいだ。

思えばこのプリウスα、これまで車内環境を変えようとしたことがなかった。デリカ→ボクシーとアウトドア系の車に乗ってきたせいで、妙におとなしく感じてしまい、上品な乗り方をしてきた。しかしふと気付いた。プリウスαステーションワゴンだ。その機能をしっかり使ってやらないと。ワイルドに乗りこなそうではないか。

あすはサンシェードを早速貼り付けてみよう。そして月内には一人で車中泊訓練に出たみたい。ヘイ、カモーン、セカンドステージ。失礼。ちょっとはしゃいでしまいました。