一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

越の国は水も空気も澄んでいる

どうも。旅するおやじ旅吉です。

前回のブログで紹介できなかった富山の訪問地を書いていきます。

訪ねた順番も場所もバラバラになっていますが、できるだけ分かりやすく。

まずは新潟との県境にある「親不知」。正確に言うと新潟県糸魚川市にある道の駅から、富山方面を撮影しました。このあたりは陸に道を通しているのではなく、海の上に高速道路などの高架を造っています。静岡県の薩埵峠一帯と同じ感じ。

何しろ北アルプスの北の端っこに当たります。旅吉は高速道路ではなく国道8号線を西へ向かいましたが、ウネウネとした洞門をいくつもくぐり、地形の荒々しさを実感しました。

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そのすぐ西側にはNHKのドキュメンタリー「72時間」にも取り上げられた「ひすい海岸」。前回のブログで紹介した映画「えきすとら」の舞台・朝日町にあります。皆さん一生懸命に探されていました。
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そのさらに西側にある入善町の高瀬の湧水地。北アルプスのから伏流水があちこちで湧いているので、富山県は水が豊富です。北アルプスを源流とするいくつかの川は、富山湾にそそぐ河口でも澄んでいます。水量が豊富で川が短いからでしょうか。
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その近くにある「杉沢の沢スギ」。富山の扇状地には以前、沢沿いにスギが自生するエリアがいくつもあり、高山性〜暖地性の植物が混在する天然林を構成していたとか。しかし昭和30年代の圃場整備で姿を消し、ここの沢スギだけ保存されたそうです。海岸近くとは思えない、清々しい「山の空気」に満ちていました。
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富山市護国神社のすぐ裏にある神通川沿いの「磯部堤の桜並木」。偶然ですが今回の日本半周の旅は、桜前線の外側と内側を行ったり来たりする旅でした。なのでこれまでの人生で最もたくさんの桜を見ることができました。

この磯部堤の桜並木はその中でも1、2を争う美しさだったように思います。訪ねた時期や時間帯も良かったのでしょうね。
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砺波市のチューリップ公園の一角にある砺波郷土資料館。明治期の銀行を市内の別の場所から移設して資料館として活用していました。豪華な造りや調度品が目を引きました。学芸員さんからはいろんな話を伺え、大変参考になりました。
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砺波平野からぐぐぐっと山間部に入った五箇山。30年ぶりに訪問。白川郷と並んで合掌造りで有名です。「撮影ポイント」を案内してあるので、観光客の皆さんもスマホ片手に撮影に大忙しです。個人的には、遠くに人形山を見渡すポイントからの風景が一番見事でした。ちなみにこの山は2000メートルもないのに、冬の季節風をもろにうける場所にあるため、南アルプス中央アルプスに比べ残雪量が多かったですね。
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南砺市城端にある善徳寺。このあたりは中世以来、浄土真宗が盛んな場所柄。なので巨大な真宗寺院が多いのです。戦国時代は城郭として機能していたとか。
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城端には古い町並みも残っています。
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本当は立山黒部アルペンルートに行きたかったのですが、4月中旬以降でないとダメのようでした。

富山は風情にあふれてる

旅するおやじ旅吉です。今福井県です。もうそろそろ一度家に帰らないとまずいかな。

遅ればせながら、富山県訪問を報告します。富山県では行こうと予定していた場所がいくつかあります。

一つは新潟県に近い富山湾に面した朝日町。ここでは映画のロケが行われています。2カ所目は散居村が広がる砺波平野。3カ所目は定点観測となっている高岡市の伏木。

朝日町は以前の記事で書いた映画「えきすとら」(武田鉄矢主演、1982年制作)の最後の最後に出てきます。

売れない俳優である主人公が、旅芸人の一座と一緒に列車で移動している場面。車窓に流れるのは日本海とその手前に等間隔で並ぶ小屋のような建物。浪人時代にその映画を見た旅吉は「あの建物はなんだろう」と記憶に残り、それからおそらく2度(1回目は大学時代、2回目は10年前の一人旅)、列車(当時は北陸本線)からその風景を見ています。

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でも実際に近くに行ったのは今回が初めて。場所は新潟との県境にごく近い場所でした。その名も「境」地区。国道8号線を走るとそれらしき場所を発見。

まずは海側から、次に線路を挟んだ反対側(集落になっています)から確認し、「ここで間違いない」と確信しました。

で、どんな建物だったのか。答えは漁具を入れておく木造の倉庫でした。小さな住居に見えなくもないのですが‥。通りかかった若い女性に聞くと「私も最近移住してきたばかりなので、わかりません」との答えでした。旅吉としてはら長年の疑問を解決できたような感じで、達成感を味わいました。

集落のすぐ近くにある食堂で人気の「たら汁」を食べました。確かに量が多くて素朴で美味しかった。食べた後気づいたけど、YouTuberが誰か紹介していたような。

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ちなみに30年ほど前、この朝日町(あるいは隣接する入善町?)であの名作映画「少年時代」のロケが行われました。旅吉は仕事の関係でロケ現場を訪ねました。原作は「長い道」。その名の通り、富山湾に続く緩やかな扇状地にはいくつもの長い道があり、ロケは木造の古い小学校が使われていました。

ただ再度訪ねたものの、どのあたりだったのか、ネットで調べてもどうしても分かりません。地元のお年寄りに聞いたところ、だいたいの場所は覚えてらっしゃいましたが、その小学校もなくなったとかで、明確には分かりませんでした。せっかくの名作なので何かしら記念になるものを残せばよかったのに。

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さて話は変わって砺波平野の散居村。と言われても多くの人はピンとこないでしょうね。

通常、農村集落が1カ所に密集して住まれることが多いです。わが故郷の熊本で見てみると、山々の麓に固まって集落があります。いかに広く農地を確保するかの知恵だったのでしょうね。

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しかし砺波平野は、それぞれの農家が分散して居住しています。村ではあるが集落がないのです。それぞれに背の高い防風林が必ずあり、建物も立派。旅吉からすると、村の小さな社がたくさん点在しているような不思議な景色に見えます。

なぜこんな散居村ができたのか。砺波郷土資料館の学芸員さんと話していたら少しずつ見えてきました。「砺波平野は広く、雪解け水の伏流水の影響で農地を開拓しやすい条件が揃っていた」「固まらずに散居することが農作業をするのに合理的と判断された」といったことのようです。

旅吉はこの合理的という言葉に反応してしまいました。大学時代に知り合った富山の方々(多くは高岡高校出身者でしたが)は勤勉実直で無駄がなく合理的な人ばかりでした。簡単に言うとクールで静か、馬鹿騒ぎする人はいませんでした。その後も「県民性」の本など読むと、そうした気質を示す記述ばかりです。

普通であれば「横並び」「同調」(監視というニュアンスさえ含む)に進みがちな日本人なら、固まって暮らすことをよしとするのではないかと思いますが、おそらく砺波の人々は「そんなことは無駄。より生産性を上げるべき」と考えたのではないかと推測しています。もちろん旅吉の勝手な妄想ですが、当たらずとも遠からずではないかと。

ちなみに砺波平野は明治期、人口が過密になり(それだけ裕福だったのでしょう)、北海道などへ移住された人がかなり多いとか。熊本もブラジル移民の多さでは全国1、2を競っています。

さて、定点観測の高岡市伏木へ。この時期なら北アルプスが綺麗なはず、と踏んで行きましたが、その通りでした。

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海辺の東屋から北アルプス方面を見るとどれだけでも時間が過ぎていきます。それほど魅力的な景観。でも伏木の町並みはだいぶ寂れていました。北前船で賑わった当時の面影はあまり見えません。

今回は伏木の西側の氷見市、東側の射水市にも足を延ばしました。氷見市から見る北アルプスも良かった。町並みも寂れたとはいえ、しっとりとしたものがありました。新潟県南魚沼市で感じた雪国らしさを感じました。

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一方で射水市ベネチアっぽい趣が。確か映画のロケ地にもなったのでは? 訪ねた時間が遅かったので話を聞くことができませんでした。

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富山って地味だけど、なんともいえない風情があるんですよねー。

旅も終盤に入ったような感じ

どうも。旅するおやじ旅吉です。

おそらく全国半周の旅「春編」は終盤に入っているのだろう。そんな気がする。

なにしろ4月の半ばまでには熊本に帰る必要がある。娘が出産するためだ。さすがにいないわけにはいかない。仕事の出張ではなく、趣味の旅なのだから。

で、今、石川県の輪島市にいる。初めての訪問。旅人を自認する割には、旅先として人気が高い能登半島をスルーしていたとは情けない限りである。

これまでのブログで長野県から糸魚川経由で富山県に入ったことまで書いた。

ただここで富山県の報告を始めてしまうと、「○○の風景は素晴らしかった」とか「記憶に刻み込まれた」などといつもの漫然とした記事になってしまうので、今日はやめておく。

すでに3週間以上を費やし、すでに自分史上最長となっている長旅において、旅吉は何か掴んだものがあったのだろうか。あるいは自分の中の変化、みたいなものが‥。いや、あろうがずがない。

ではせめて俳句が上達する何かを会得したか? いやそれもない。余計に下手になっているのを実感している。

孤独感が募り、家族の大切さを再認識したか? 残念ながら孤独感を感じていない。だから家族への思いは以前のままだ。自分がこれほど孤独(な状況)に耐性があるとは驚いた。

その毎日を簡単に紹介しよう。

朝起きて、自分で朝食を作って、トイレや歯磨きを済ませ、宿泊地(ほぼ道の駅)の周りをしばし散策。今日の予定ルートを思い描き(時に深く悩み)出発する。

旅に出る前は「旅の半分くらいはその土地の図書館に籠り、歴史や風土を把握しよう」と妄想していたが、実際に旅に出ると「そんなことしてたら時間がもったいない。せっかく気候がいいのに」と強く思ってしまい、必死になって自分にとって有意義と思われる観光ルートを毎日毎日設定している。

食に関するこだわりはないので、私の食事は半分「餌」だ。妻が「野菜は欠かさずに」というので愚直なまでに「洗わず食べられる野菜」をスーパーで購入。小さな炊飯器で無洗米を炊いて、実に質素な食事を繰り返している。

なのでいつも少し空腹だ。それを解決すべく1日1回は外食する。質素な自炊(と言っていいのかな)ばかりなので群馬県沼田市の小さな食堂で食べた「味噌カツ定食」は涙が出るほど美味しく感じた。ちょっと涙目になった。

風呂もあまり問題ない。九州と違って低温・乾燥している地域なので(特に東日本に入って以来、「熊本とこんなに気候が違うのか」と実感する日々)、連日までは風呂に入る必要はなく、風呂に入らない日は濡れタオルで拭いている(想像するんじゃない❗️)。何しろ本州は風呂代が高い。

夕食を終えた後は、自らをせっつくようにブログを書いたり、文庫本を読んだり。テレビもたまに見る。

それからラジオをよく聞いている。運転中もだが、夜、ぼんやりとその土地のラジオ番組に耳を傾けるのはを旅心を掻き立てられる。

やはり大阪のラジオ番組は面白かった。富山・石川も独特な味わいがある。時に方言を交えたりされると興味を惹かれる。熊本で同じことされると「そんな変な形で郷土におもねるな」と思ってしまうが、こうやって別の土地で同様な経験すると、決して間違った演出ではないな、と感じるのである。

ところで今日、能登半島の西岸を走っていると元同僚から電話がかかってきた。2月末の退職以来初めてだ。運転中だったので取らずに数分後にかけ直すと、相手は出ない。ピンときた旅吉は「もしかして間違い電話だろ?」とラインしたら、「すいません。間違えました」との返信だった。

「時間があるなら飲みませんか」と誘いの電話かなと一瞬でも思ってしまった自分がちょっとかわいそうだった。だがちょっと小説っぽくてドラマチックだなとも思った。能登半島とマッチして、いいアクセントになった。

下の写真は松本清張ゼロの焦点」で有名な「やせの断崖」。読んでないが、ラストにヒロインが飛び降りるとか。

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雪山の美しさに振り回された

旅吉です。

前回のブログで書いたように信州に4泊した後、また一度新潟県に抜け(糸魚川に)、そのまま富山県に入っています。

実はちょっとほっとしています。信州にいる間、「あれも見なければ」「あそこにも行っておく必要がある」と何か気ばかり焦って。

特に振り回されたのが北、中央、南の日本アルプス。なぜだか旅吉は子供の頃から雪をかぶった山が大好き。図工の授業でなんど雪山を描いたことか。それが妙にうまく描けて、おかげで図工の成績は上々でした。

信州の方々が口をそろえたのが「今年は雪解けが異様に早い」。それが幸いしてか(?)ちょうどいい具合に雪を被っているわけです。

もう旅吉は大喜び。写真を撮れるポイントを探しては、あっち行ったりこっち行ったり。

南アルプスはなかなかいい感じに見える場所がなく残念でしたが(それでも結構努力しました)、中央アルプス伊那谷にある駒ヶ根市駒ヶ根高原がベストと思いました。木曽駒ヶ岳が眼前に迫ります。

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さらに丁寧なことに旅吉は反対側の木曽谷まで遠征し、「道の駅 日義木曽駒高原」も負けず劣らず素晴らしいポイントであることを発見しました。その写真は撮り損ねまして。

北アルプスはやはり安曇野から見るのが最高でした。ただ山に近づき過ぎると逆に手前の山々が邪魔して雪山が見えなくなるので‥。出来たらJR大糸線くらいの標高の場所で、昔ながらの集落に迷い込むように散策すると、防風林に囲まれた大きな農家や道端の道祖神に出会え、感動はグッと高まります。

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大王わさび園も素晴らしかった。恥ずかしながら初めての訪問。驚くことに入場無料。ただ外国人観光客が次から次にやってくる人気ぶりなので、食事やお土産の販売だけで十分なのでしょう。黒澤明監督の「夢」のロケ地なので、「いつかは行って見たい」と思っていました。

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実に素晴らしい、ホントに素晴らしい、だけど北アルプスを背景に水車が回っているのを見た時、「ちょっと整い過ぎでは」とちらりと思ってしまいました。贅沢なイチャモンなのでスルーしてください。

そのあと信濃大町、白馬、小谷と北上。緯度が上がるにつれ、雪を被っている部分が増えていきます。ただ白馬になると「日本アルプス」ではなく「本格的なスキー場」と見てしまいました。

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ちなみに白馬では、ジャンプ競技場にも行き、高所恐怖症のくせにスタート地点までリフトとエレベーターで登りました。

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3枚目の写真を見れば分かる通り、スタート地点に行くにはこの橋を渡り、その後、数十メートル下が見える金網の階段をだいぶ登らねばなりません。脚がガクガク震え、早々に諦めました。引き返す勇気も必要です。

それにしてもジャンプ台の傾斜の凄いこと。あれは飛んでいるのではなく、落ちているんですね。転ばないように落ちている感じ。

本当はもう少し信州を堪能しようと思いましたが(例えば上田や小諸には行っていません)、あまりに雪山の美しさに振り回されてしまい、ちょっと疲れました。

で、再度、日本海側に移動しました。

信州はどこも花でいっぱい

旅吉です。

上越市から信州に入りました。結局4泊しました。信州の場合、書き出すとキリが無いので、まずは花が綺麗だった場所を。

長野市は訪ねた頃、まだ桜が開花していませんでしたが、アンズは満開。千曲市にある「あんずの里」は平日なのに相当な人出でした。

信州の風景にはアンズがよく似合います。昔話の舞台です。思うに昔話とか童謡の世界って、信州、新潟、福島あたりの雰囲気を意識して作られているような。今回の旅でその意を強くしました。

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その翌日は伊那市高遠町に行きました。南アルプスの西側の麓にある小さな町。ただ高遠城は日本百名城にカウントされており、桜の名所で有名。ガイドさんの話ではソメイヨシノではなく、タカトオコヒカンザクラという固有種です。少し赤が強い桜。見事でした。遠くに雪を被った南アルプスが見えました。
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飯田市の美術館には老木の山桜。堂々としてバランスが良く、伊達に歳とってないぜ、という感じでした。飯田の桜はどこも満開でした。長野市とはだいぶ気候が違うみたいですね。
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三国峠を越えたら別世界だった

旅吉です。

いよいよ上州から三国峠を越えて越後に入りました。実は楽しみでした。

 

この日のスタートは群馬県沼田市河岸段丘の町として有名です。ブラタモリでも紹介されていました。タモリのお気に入りの地形なのです。

なにしろ上越線沼田駅から、市役所や沼田の城下町がある市街地まで100メートル以上の坂道を登ります。なので「天空の城下町」と呼ばれています。で、市街地を歩いていても、そんな段丘の上にいる感じが全くしません。ただ、ちょっと裏道の方に入っていくと家並みが途切れ、薄暗い崖が現れるのです。小説の題材になりそうな町です。

城跡から駅のあたりを見下ろしたのが下の写真です。城跡には樹齢400年の御殿桜が咲いていました。沼田は長野県の上田、松代と並び「真田一色」です。六文銭の赤い旗が至る所に翻っています。

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三国峠方面へしばらく行くと豊臣秀吉の北条攻めのきっかけになった名胡桃城跡。北条軍が秀吉の命令に従わずにこの城を攻めたので、北条征伐の理由ができてしまったのです。
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国道17号線を北へどんどん進みます。関越道を使う人が多いのか、交通量はかなり少なめ。途中でいくつか温泉がありましたが、その誘惑に負けずに国境(くにざかい)へ。
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上州側の最後の宿場である永井宿。かなりの急斜面に家々が支え合うように立っています。標高は800メートル。雪はありませんでしたが路面が凍ったら歩くことすら出来ないのではないかなと思いました。
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標高はさらに上がり、少しづつ雪国の様相に。思えば、この大変な道筋を上杉謙信の軍勢が越えたわけです。義侠心からの関東への遠征だと聞きますが、標高1300メートルの三国峠を越えて北条氏の小田原城まで数百キロ。感心させられます。

この上杉謙信三国峠越えを「越山」と言うらしく、田中角栄氏の「越山会」はここから命名されたとか。越後の人々の「関東への思い」が伝わるエピソードです。有名な「越後の瞽女さん」たちにとっても関東は稼げる場所だったらしく、苦労してこの峠を越えました。

ちなみに最後の瞽女さんは昭和52年まで活動されていたそうです。旅吉が中学生の頃。もっと昔のことかと思っていました。新潟県南魚沼市の図書館で調べました。

峠に近づいたので、振り返って写真を一枚。

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たぶん下の写真は峠近くの群馬県側の風景だと思います。
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長いトンネルで昔の峠の下を通り過ぎました。川端康成が言う通り、トンネルを抜けると見事にがらりと景色が変わります。積雪量が全く違い、新潟の湯沢町に入って間も無く苗場スキー場がドーンと現れるのです。子供の時に見た芸能人のスキー大会は必ずこのスキー場でした。

写真ではうまく伝わりませんが、高層のホテル群がとにかく巨大です。見たことないので例えが悪いものの、「チベットポタラ宮はこんな存在感ではないかな」とイメージしました。
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雪の深さは平野部の南魚沼市に入ってからも変わらず、霧雨と相まって幻想的な風景を醸し出していました。長谷川等伯の「松林図屏風」のようです。等伯はこの屏風で故郷である加賀国の景色を描いたと言われています。
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南魚沼市の町を歩きました。雁木がいいですね。雪国らしい。熊本在住者としては雪国のいろんなことを新鮮な驚きで見てしまいます。
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翌日の朝、魚沼市の西福寺を訪問。「越後のミケランジェロ」と最近言われている石川雲蝶(幕末〜明治に活躍)の彫刻に度肝を抜かされました。「過剰」だとは思いますが、その力強さゆえ、言葉を失ってしまいました。
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関東平野の北の端を横断

どうも。旅するおやじ旅吉です。

順番が逆になりましたが、茨城から群馬への北関東横断を報告しておきます。

これまであまり興味を持っていなかったエリア。でも実際に巡ってみたら魅力的でした。

まずは水戸市偕楽園徳川斉昭が手掛けた日本三名園の一つです。梅はほんの少しだけ咲き残っておりました。

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栃木県佐野市には「みかも山公園」という標高200メートルほどの山全体が県営の公園になっていたので、ちょっと歩いてみました。関東平野の北の端っこ。

さすがにこの辺りに来ると、木々が九州とは違います。落葉樹が多くため表情が明るい感じ。2時間ほど歩いて車に戻ると、序盤だけ見ていたWBC決勝が丁度終わるところでした。

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高齢者の方々が賑やかでした。旅吉もやがてはこんなグループに入るのかな。

佐野市には足尾銅山で有名な田中正造の生家跡もありました。
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隣の足利市では、日本で最も古い学校と言われる「足利学校」を訪問。分かっている範囲でも室町時代から明治初年まで運営されていたようです。
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足利学校のすぐ裏には鑁阿寺(ばんなじ)。鎌倉時代に建てられた建物群は国宝と重要文化財に指定されています。

ただあまり構えたところがなく、境内は子供達の遊び場でもあります。国宝の本堂のすぐ裏は幼稚園の駐車場だったりして、「いいなあ、こういうの」と感じました。桜がすごくきれいでした。

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もともとは足利氏の館跡なので、いまでも館を守る堀が残っています。これもすごい。
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足利市には渡良瀬川が流れ、森高千里が歌った渡良瀬橋がありました。
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群馬といえば伊香保温泉。江戸時代から温泉地として賑わったみたい。温泉街全体が結構な傾斜地にあります。長崎と同様、家を建てるのが大変そう。

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旅吉は温泉街の一番上にある掛け流しの露天風呂に入りました。有馬温泉のような金色に近い茶色の湯でした。
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伊香保温泉の近くには水澤寺という名の寺院。本堂の横に変わった建物がありました。
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