一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

台湾に行った話1

 タイトルにもある通り、子供の頃から旅が大好きで、人生の折り返し点を過ぎた今も、それは一向に変わらない。せっかくだから文章にとどめておこうと慣れないながらブログを始めてみた。同じように旅の魅力にとりつかれた人たちに呼んでもらえれば嬉しい限りです。まずは9月に旅した台湾の話から。

 

[台湾に行った話 1]

 

 台湾に二十年ぶりくらいに行ってきた。

 二十年前はまだ下の子が小学校に上がる前で、家族4人で真夏の台湾で汗だらだらになりながら観光した。中正記念堂の衛兵交代や油照りした淡水の道沿いの風景が部分的に記憶に残っているくらい。そういう意味では、今回の台湾旅は統一感があった。妻と2人だったので動き回るが楽だったし、台湾新幹線をフルに利用することで、行動範囲が圧倒的に広がった。

 そんな旅で一番の軸となったのが「建物」だった。日本統治時代の建物が思いのほか残っており、いや、というか、台湾の人々があえて残し、そして利用していた。台北を見ると、総統府(旧台湾総督府、1895年)、台北賓館(旧総督官邸、1899年)、博物館(旧児玉総督後藤民政長官記念館、1908年)…。東京で言えば霞が関にあたる中華民国の官庁街は、まるで日本近代建築の「保存地区」と言っていい状況だった。

 一方、文化都市として人気の台中では、亜熱帯らしい白亜の旧州政庁が市役所として使われていた。青空をバックにしたその姿は実に台湾らしい風景であり、建物を取り囲むパームツリーは南国らしい雰囲気をさらに盛り上げてくれる。中をのぞくと環境部局を示す札が各部屋の入り口にあり、職員らがごくごく当たり前に廊下を行き来している。今でも普通に利用されていることで、建物の価値がさらに高まり、旅情を高めてくれるのだった。近くには、旧警察官舎を利用した台中文学館。そして現代アートを感じさせる台中駅の脇には、東京駅のミニチュアのような旧台中駅舎が大切に保存されていた。

 戦災を受けなかった台湾ではこれら煉瓦造りの豪壮な建物以外にも、ごく普通の日本風民家があちこちに残っている。多くは崩れ落ちる寸前といったものが多いが、中には鉄骨のひさしで覆われた建物もある。崩壊しないよう守っているのだろうか。ネットで調べたが、情報を得ることができなかった。リノベーションしてモダンなカフェや雑貨屋として再生する取り組みが流行しているようだが、もしかしたら、そのための保存の一段階なのかもしれない。

 リノベの一番の成功例は台中駅近くにある「宮原眼科」だろう。まあまあの価格でアイスクリーム類が販売されていたが、台湾国内や日本からの観光客で大変なにぎわいだった。古さと新しさが混在した感覚はどこかニューヨークを思わせる斬新さがあった。ただ室内の本棚に並んだ古書をよく見てみると、なんとただの四角い木片だった。

 台湾がこれほど日本の伝統や歴史を大切に思ってくれていることに、日本人は大変に無頓着である。そういった書籍は少ないし、台湾をPRする雑誌などでも語られることはレアケースだ。だから台湾人がどんな思いで保存活用に取り組んでいるか、今ひとつ見えない。

 台北の官庁街に並ぶ豪壮な伝統的建物群を日本で見ることはもはやできないだろう。戦災に遭い、急速な都市成長で建物の高層化を図らざるを得なかったことなど、諸事情があったことはよく分かるが、何の罪悪感もなくスクラップアンドビルドを進める気質が日本人に根付いてしまったことは残念なことだ。